第2章 廃棄王女と帝国の影

8. 廃棄王女、宰相の贈花を想う

 馬車に揺られること数日――


 カザリア王国内を南下する旅は順調そのもの。ただ、嫁ぐ先であるロオカの資料に目を通しながらも、エドガー卿の言葉が私の頭を離れませんでした。


 ダリア、月桂樹、カルミア……


 これらの花の共通の花言葉……それは『裏切り』です。


 エドガー卿が最後に『裏切らない』と言ったのは、彼なりの皮肉なのでしょう。そして、最初に挙げたのがアセビでした。『裏切り』の花言葉から連想できるアセビの花言葉は『犠牲』だと思われます。


 これらがエドガー卿から私へ贈られた花。ならば、この忠告には必ず深い意味があるはずです。


「どうかなさいましたか?」


 私が考え込んでいると、マリカが心配そうな顔で訊ねてきました。


「ん?……ええ、ちょっとエドガー卿がお勧めしてくれた花について考えていたのよ」

「確かダリアと月桂樹……えーと、それから……カルミアでしたか?」

「ええ、それからアセビも挙げられていたわね」

「そうそう、それです、アセビです」


 マリカがパンッと手を叩く。


「それで、あれ?って思ったんですよ」

「何か変だったかしら?」

「アセビは我が国でも普通に見られるものではないですか。それに、庭園に植えるようなものでもありませんし」


 マリカの疑問はもっともです。アセビはむしろ我がカザリア王国に、多く分布している植物なのですから。


「アセビは私の事なのね」


 犠牲とは私を指す言葉なのでしょう。


 ただ、今回の婚約は確かに私が『犠牲』になっておりますが、そんな事は分かりきっております。今さら隠語にして伝える意味はありません。


 私はとっくにお父様から見捨てられています。だからこそ、愛する婚約者を取り上げられ、危険なロオカへと送られたのですから。


 そんな事はエドガー伯爵もご存じのはず。今さら指摘されるようなこととも思えません。


 犠牲から他に連想するのは……生け贄、身代わり、献身……分かりません。いったいエドガー卿は何を伝えたかったのでしょうか?


「何か仰いましたか?」

「ううん、ダリアは楽しみだなって」

「たいそう美しい花だそうですね」

「ダリアはロオカの国花にもなっているそうだから、きっと素晴らしい庭園があるのではないかしら」


 それから、ダリアはロオカを示しているのもすぐに分かりました。


 かの国の外交は定見が無く、少しでも有利だと思う国へ擦り寄って友好国さえすぐ裏切ります。その信義の無さから、ダリアには『移り気』という不名誉な花言葉を持つのです。


 オスカー様の話では、ギルス王子はたいそう美しい女性を好まれるとか。つまり、婚約の話がありながら誰か恋人がいるのでしょう。


「それにしても、エドガー卿はどうして月桂樹を挙げられたのでしょう?」

「何かおかしいかしら?」

「だって、月桂樹は花ではないではありませんか」

「月桂樹は黄色く愛らしい花を咲かせるのよ」

「そうなんですか?」


 私の説明に感心して頷くと、マリカがバツが悪そうに苦笑いしました。


「葉っぱでリースを作るくらいしか想像できませんでした」

「ふふ、月桂冠を被っている神様の絵はよく見るものね」

「そう言えば、ヴェルバイトの皇帝は王冠の代わりに月桂冠を頭上に戴いておられるとか。ご自分を神だとでも主張なさっておられるのですかね?」

「そんな側面もあるようだけど、昔のヴェルバイトでは王冠を被るのは死を意味したのよ」


 今でこそ帝国では皇帝の独裁がまかり通っていますが、昔は元老院の力が強く皇帝に専横の気配があるとすぐに暗殺されていたそうです。


「だから月桂冠を代わりにしたの……」


 そうか……月桂樹はヴェルバイト帝国の事なのね。


 ですが、帝国は既にカザリアの敵国。裏切ると言うのは少々不自然です。ならば、ロオカに帝国と繋がっている者がいると考えるのが妥当でしょうか?


 もしかしたら、ダリアと月桂樹を並べて挙げたのにも意味があるのかもしれません。ギルス殿下、あるいは近しい人物に裏切り者がいるのかも。


「最後のカルミアとは聞かない花でしたが?」

「五角形の小さな花で密集して咲くの」

「まあ、メディア様のように可憐な花なのでしょうか?」

「私のようかはさておき、とっても可愛らしいのよ」

「それは楽しみです」

「でも気をつけてね。いちおう毒があるから」


 とても愛らしいカルミアですが、見た目とは裏腹に強い毒を持っています。


「羊が誤って食べて死ぬ事もあるの。別名『羊殺し』よ」

「まあ! それはそれは恐ろしい」

「私みたいに?」


 先ほどのマリカの言葉を受け戯けてみましたが、言い得て妙だったかもしれません。お父様からすれば、私は恐ろしい魔眼を持つ毒婦なのでしょうから。


 ところが、マリカは不満そうに口を尖らせました。


「毒花とはミルエラ様のような方を指すのです」

「それはさすがに不敬よ」

「どうせミルエラ様の耳には届きませんよ」


 届いたって構いやしませんが、とマリカの歯に衣着せぬ物言いに、私は思わず苦笑を漏らしてしまいました。


「あの方の関心は自分の周囲を美しいもので固める事だけです」

「まあ、あながち間違ってはいないけれど」

「少しはメディア様を見習って欲しいものです」

「どうやらマリカの舌にも毒があったみたいね」

「私の毒舌の前には、アルト隊長だって逃げ出すんですから」

「ふふふ、それは私の魔眼よりもずっと強そうね」

「ええ、ええ、私の舌先でメディア様に仇なす不届者どもを、残らず成敗してやりますとも」

「それは頼もしいわ」


 私とマリカは顔を見合わせてくすくすと笑った。道を進む馬車の中が、私達の明るい笑い声で満たされる。


 そう言えば、エドガー卿は私をアセビに例えたようですが、実はあれも有毒の花です。馬が酔ったような症状を起こすとか……なんとなくカルミアと似たような話ですね。


 この類似点は偶然……ではないでしょう。恐らくカルミアに相当する者はカザリアと繋がっているとエドガー卿は示唆していると思われます。


 カルミアは裏切りの他に『野心』という花言葉があります。ロオカでカルミアに由来するような人物で野心家の裏切り者……ダメですね、カルミアの意味はまだ良く分かりません。


 特定するには情報が少な過ぎます。エドガー卿は心に留めておけと仰ったのですから、ロオカへ赴けばいずれ分かる日が来るのでしょう。


 それにしても……


「今回の輿入れには裏があるのかもしれないわね」


 エドガー卿がここまで警戒されているのなら、ただ単にミルエラの我が儘やお父様の嫌がらせというわけではなさそうです。


 お父様には何か含むところがあるのでしょう。それも私や周囲に知られてはならないような。


 そんな私の暗い予想をよそに、ロオカへの旅程は平和に過ぎて行きました。しかし、私の胸に昏く蠢く何とも形容しがたい不安よかんは日増しに強くなるばかり。


 きっと、エドガー卿の言葉の意味を読み解けないせいで、未知のものに対する恐怖にも似た感情が沸き上がってくるのでしょう。


「何か良くない事が起きそう」


 そうは思いながらも、独り言ちる私の胸には確信めいた予感が拭い去れないのでした。そして、そんな予感とは得てして現実となるものなのやもしれません。


 それはカザリアを離れ、幾日か後にロオカの国境を抜けた直後に起きました。


 ――ヒヒーン!

 ――ガタンッ!


 突然、馬の嘶きと共に馬車が急停車したのです。

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