2. 廃棄王女、声なき慟哭を上げる

「……西方よりヴェルバイト帝国が、版図はんとを広げながら東進してきている」


 お父様がもっともらしく話を切り出しました。もっとも、これは聞かされるまでもない周知の事実です。


「ですから、帝国の脅威に対抗すべくカザリア王国が盟主となって、東方諸国をまとめたのでございましょう?」


 西方諸国の雄、ヴェルバイト帝国のディラン皇帝は征服欲の強い御仁です。彼の野心は西方全域を飲み込み、大陸の西半分を平らげてしまいました。


 ですが、それでもディラン皇帝の欲望は収まらず、今では東方の国々を脅かしています。


 このままでは、東方諸国も帝国の前に屈してしまうでしょう。


 それを危惧した私が宰相のケイマン・エドガー卿を通してお父様に献策しました。カザリアを盟主とした東方諸国連合を作り上げるようにと。


 表向きはエドガー卿の立案となっていますが、この連合の礎となる草案は私の手によるものです。ですから、帝国の脅威を私が知らぬはずがありません。


「そうだ。現在はシュラフトが東方諸国の盾となってくれている」


 ヴェルバイト帝国は西から真っ直ぐ東進しております。ですので、東方諸国で真っ先にぶつかったのは、我がカザリア王国の西隣にあるシュラフト王国でした。


 東方諸国最西端にある彼の国はカザリアに次ぐ大国です。ですが、軍事面だけを見れば、東方諸国随一と言って差し支えないでしょう。加えて、カザリアを筆頭に東方諸国が支援しております。いかに強大な帝国と言えども簡単には降せません。


 ならば帝国はどうするか?


「それに、北のストラキエ公国もよく耐えております」


 帝国にとってくみし易いのは、シュラフト王国の北方に位置するストラキエ公国か、そうでなければロオカ王国を始めとする南方諸国です。


「帝国がストラキエを侵略すると読んで、援軍を派遣したのは最良の策であった」


 東方諸国最北のストラキエ公国は、北面を海に接した海路の重要な要所。ここを押さえられると、シュラフト王国は補給路の一部を奪われるだけではなく、帝国が海路を使って兵員と物資を送り込める地の利を得てしまいます。


 そうなればシュラフト王国は北と西の二方面から攻め込まれ、ひとたまりもないでしょう。


「ご慧眼にございます」


 帝国が間違いなくストラキエ公国へ侵攻すると予想し、それについて宰相エドガー卿と話し合ってカザリアから援軍を送る。その策を実際に立案したのは私なのですが。


「今では、シュラフト王国とストラキエ公国との二面戦争となり、戦局は硬直しました」

「ああ、帝国を西へ追い返すのも不可能ではない状況だ」


 後ひと押しでディラン皇帝の抱く東方進出の野望を挫けます。ですが、その為には東方諸国が一丸になる必要があるでしょう。


「その為にロオカの協力が必要だ。なのにロオカは渦中にいながら、危機感がなく連合に対してに非協力的だ」

「彼の国は帝国がシュラフトとストラキエしか攻めないと楽観している節があります」


 帝国がロオカ王国へ攻め込まないのは、現時点で戦略的重要性が低く三面戦争になって泥沼になるのを嫌っているからです。


 ストラキエ公国が陥落すれば、次は自分達の番だと想像がつかないのでしょうか?


「今、南方から突けば帝国は戦線を維持できなくなると言うのに……」

「あえて自分達から虎を刺激して己に牙を向けたくないのだろう」


 息を潜めていれば猛獣もやり過ごせると勘違いしているとは愚かしい。虎はとっくにロオカ王国を獲物認定していているというのに。


「ゆえに我が国の者をロオカの王太子ギルスの妃として発言力を増さねばならない」

「それは理解しております」


 急ぎロオカ王国を取り込まないといけない。


「ですが、私がお尋ねしているのは、その役が何故ミルエラではなく私なのかについてです」


 それだけが理由であるなら、私である必要は全くありません。


「今のロオカは各国の間諜が入り乱れる危険な場所だ」


 ロオカの動向に目を光らせている我が国と帝国、そして前線のシュラフト王国はもちろん間諜を送っております。その他にもロオカ周辺の南方諸国も自国の命運がかかっていますので、ロオカは間諜が繰り広げる戦の最前線となっています。


 知らぬのはロオカ王国当人たちだけでしょう。


「そのような危険な国へミルエラを行かせられん!」

「お父様……」


 私なら何が起きようと構わないと仰るのですね。目障りな娘を追い出したいと発言しているのと同義だと気がつかないのでしょうか。


 それとも、お父様はもう隠す気も無いのでしょうか?


 お父様がミルエラを溺愛しているのも、その一方で私を嫌っているのも存じておりました。それでも実の父娘でここまで思いが通い合っていないのは、私でもさすがに気持ちが沈みます。


「お前には魔眼と卓越した魔術があるだろう」


 確かに私には強力な魔眼と幼少期より磨いてきた魔術の腕があります。


 魔術の才があったのでしょう。私は十歳の時には宮廷魔術師にも引けを取りませんでしたし、それからも研鑽を積んで参りました。


 もっとも、女というだけで周囲は侮り、誰も私の力量を正確には知らないでしょう。


 それは、お父様も同じこと。


 むしろ、ここまで軽んじているのですから私の魔術は大したものではないと思っているのではないでしょうか。


 私の魔術を一度だってご覧になられたことは無いでしょうに……それなのに、こんな時だけ評価するのですね。


「とにかくこれは王命だ。否は認めぬ」

「……慎んで承りました」


 もはや、こうなっては全ての抵抗は無駄でしょう。私はお父様に頭を下げて命令を受諾する他ありません。


 ――ああ、オスカー様……

 ――私の想いはあなたの想いと交わらない運命だったのですね。


 ただただ愛する恋人と永遠に別れねばならないのだと、私は胸の内で慟哭どうこくしたのでした。

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