その恋はエスプレッソコンパナに似ている

うびぞお

第1話

 運命を変えるような恋をした。

 君に出会って運命が変わった。

 最初からそうなる運命だった。


 どれだって構わない。私は、もう会えないだろうと思っていた君とまた会えて、もう君を離さないと決めたのだから。


 これは、まだ、私がその決意が間違っているかもしれないと迷っていた頃の話。

 

 私はこの恋にまつわる出来事をしっかりと記憶しておくつもりだ。ただし、この記憶は、私自身が見聞きしたものよりも、君から聞かされたものが多いし、君以外の人から得たものもある。だから、真実はこの記憶とはいくらか異なっている筈だけれど、そんな細かいところはどうだっていい。


 ただ、あの頃の君をしっかりと覚えておきたいんだ。



 右手の小指の下、手のひらから甲にかけて、君に噛み付かれた傷痕が点線で円を描いて残っている。大分、薄くはなったけれど、完全には消えない。所々消えているけれど円で繋がった傷。このあり様は私と君との関係に似ているかもしれない。



 さあ、ここからは、私、侑佳ゆかなつめの再会の物語だ。





 __________ 


  

 3年前。


 

 私は、いわゆる非行少女たちの更生施設で働いていた。


 まだまだ、新採用に毛が生えた段階で、大学の座学とは違うナマの非行少女たちに日々悪戦苦闘していた。予想していた以上に厳しい仕事だったけれど、高校の時から憧れていた職業に、結構な高倍率の試験を突破して就職できたのは幸運だと信じていた。そう信じていなきゃやってられない、って時も多かったけど。


「島田先生には浜岡さんを担当してもらう」


 私は上司のその指示に少し驚いた。まだ新人同様の私が担当するような子じゃないと思ったからだ。

「ある意味、今いる中で一番扱いは楽に見える子だけど、心を開かせるかどうかは、今の島田先生の実力次第」

 上司は、私に彼女の資料を手渡しながら言った。

「あの強情っ張りな子に、島田先生がどう組み合うか楽しみにしてる」

 頑張りますと答えるしかなくて、私は資料を持つ指に力を入れた。


 窓の外、運動場で子供達が走っている。やる気のなさそうな女の子たちの群れで、先頭を走っているのが浜岡だった。

 短髪で細身、手足が長い。ぱっと見、男の子のようだけれど綺麗な子。目尻が少し下がっていて、優しい顔立ちをしていた。

 姦しい生徒たちの中で方で口数は少ない。

 要は、弱っちい小物に見える。

 しかし、施設に入ったばかりの頃、気の強い先住の生徒から大人しくて気弱な子だろうと舐められて、子分として言いなりになれと言われた途端、無言のまま、机と椅子を音立てて蹴っ飛ばし、相手を本気でぶん殴ろうとしているところを、私を含めて職員が数人がかりで止めた。

 以来、生徒たちは誰も浜岡には手出しをしていない。あいつはヤバい。そう思われているらしかった。



 浜岡なつめ



 今は、中学校3年生。家出中に、強姦目的の中年男に襲われて、逆に相手を半殺しにした。明らかにギブしている男を痛め付けて重傷を負わせて過剰防衛と判断された上、断固として親元に戻ることを拒否したため、この更生施設に送られてきた。

 ここに来てからは、一度は大暴れしたものの、それ以後はとても良い子だ。従順で、一切の問題行動はなく、大人の期待通りに振る舞っている。


 けど、それは、良い子にしてるから干渉するなと言わんばかりだ。


 浜岡は、もうずっと、親を完全に拒否している。

 父親宛に被害者の治療費等を払ってくれたことへの礼と、迷惑を掛けたことへの詫び、そして、一生で最後のお願いとして、絶対に引き取らないでくれとしたためた手紙を一通父親宛に送ったきりだ。両親は、何回か施設を訪れたが、浜岡に拒否し続けられて、遂に、最近は諦めてここには来なくなった。


 実母とは小学生の時に死別。実父は昨年、彼女の家庭教師だった元大学生と再婚した。


「そりゃ嫌か」

 独りごち、浜岡の資料の入ったファイルを閉じた。



 _____



 最初の面接の日。


 夕食前。夕暮れの面接室の一つで、私は浜岡と二人きりだった。

 西向きの窓は明るくて、まだ照明はいらないが、だんだんオレンジ色が濃くなっていく。そのうち暗くなるだろう。

 

「島田先生があたしの担任ですか。嬉しいです。よろしくお願いします」

 机の向こう、正面に腰掛けた浜岡は可愛らしくにっこりと笑って、そう言った。

「嬉しい?」

 そう尋ねると、浜岡は、あれ、間違ったかな、という顔を一瞬見せてから質問に答えた。

「若い先生だと話しやすいし、それが一番人気の島田先生ならラッキーです」

 ニコニコ笑顔はぱっと見、14歳という年相応。

 でも、それが14歳とは思えないくらいの作り笑顔であることに気付いて、私はゾッとした。

 

「これから最低でも週1回は面接するけど、大丈夫?」

「はい」

「嫌な話でも?」

 そう言うと、ようやく浜岡の笑顔が少し曇る。踏み込まなければ可愛いままでいてあげたのに、てところかな。

「事件の話ですか」

 事件のことなら話すよ、って意味だよね。

「それだけじゃなくて」

「帰りたくない理由は話しません」

 そう食い気味に言った浜岡は、ようやく作り笑顔じゃない笑顔を見せた。あざ笑うみたいにも見える明確な拒否を示したのだ。

 山に陽が落ちて、急に部屋が暗くなり、その笑顔の陰影が濃くなった。 


 どうしたら、君が本当の笑顔で生きていってくれるのか。

 私はそれを考えていた。

 それが更生施設の指導者としての使命だと思っていたからだ。


 でも今なら分かる。


 

 あの頃は、本当は、ただ君のことを知りたかった。


 ナツ、君のことを


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