第28話 ミカエルの本心
ぼんやりとした意識の外から誰かの声が聞こえる。
聖典を朗読する穏やかで甘やかな声。この声は──。
「ミカエル様……?」
呟くと同時に目を開けると、すぐそばに立っていたミカエルが不思議そうに目を見張った。
「……もう目が覚めたのですか?」
「すみません、急に気を失ってしまったみたいで……」
儀式は外で行うという話だったが、アリーセが気絶してしまったせいか、どこかの部屋に運んでくれたらしい。寝かされていた寝台のような場所からゆっくりと体を起こす。
「もう大丈夫ですので、儀式の続きを──」
ふと部屋の隅に視線を向けると、床の上に何かが転がっているのが見えた。それは見慣れた白い布地を纏っていて、同じものがいくつも無造作に打ち捨てられている。
そして、それらが何なのかに気づいたアリーセは、ひゅっと声にならない悲鳴を漏らした。
「あ……そんな……」
床に転がっているのは、神殿の祭服を着た神官たちだった。皆、力無くぐにゃりと倒れている。今になって、部屋に酷い臭気が満ちていることにも気がついた。
恐ろしい光景に体が震える。全身が氷水を浴びたように冷え切って、視界が涙で滲んでくる。
「ミ……ミカエル様、この部屋は一体……?」
縋るようにミカエルを見上げれば、彼は困ったように微笑んだ。
「ここは例の立ち入り禁止の塔ですよ。本当はアリーセ様が眠られている間にすべて終わらせるつもりだったのですが、お見苦しいものを見せてしまい申し訳ございません」
ミカエルはまるで散らかっていた部屋を見られたかのようなささやかな反省を見せたあと、神官たちの亡骸が視界に入らないようアリーセを自分のほうへと向き直らせた。
「今夜の儀式は特別だと申し上げましたよね? なぜだか分かりますか?」
「い、いえ……」
「今夜は女神イルヴァのための儀式ではなく、あなたのための儀式だからです」
「私のため……?」
意味が分からず困惑するばかりのアリーセの手にミカエルが触れる。大切な壊れ物を扱うように優しく繊細な手つきで。そして、神秘的な光が宿った瞳でアリーセを真っ直ぐに見つめた。
「今夜、アリーセ様は聖女になるのです」
「聖女……私が……?」
古来、リンドブロム王国にはいくつかの時代にひとりの聖女が現れた。皆、女神によって生まれつき強い神聖力を授けられた乙女で、彼女たちはその力によって人々を癒し、王国の歴史に名を残した。
つまり、聖女というのはそう決まって生まれてくるもので、神聖力を持たないアリーセがなろうとしてなれるものではない。そんなことは大神官であるミカエルが一番理解しているはずなのに、なぜそのようなあり得ないことを言うのだろう。
しかしミカエルはアリーセの疑問を見抜いて、くすりと笑みを漏らした。
「そうですね、アリーセ様に神聖力はありません」
「ならどうして……」
「ですが、あなたには神聖力との優れた親和力があるのです」
「親和力……?」
「ええ。普通、神聖力は生まれつきのもので他人に定着することはありません。しかし、アリーセ様は違います。他者の神聖力を取り込んで自分のものにすることができるのです。しかもその器の大きさは無限。この意味が分かりますか?」
アリーセに説明するミカエルの頬が、暗がりの中で紅潮して見える。細くて繊細なミカエルの手に強い力がこもった。
「──つまり、アリーセ様は他者の神聖力を吸収することで、後天的に聖女となることができるのです」
「……!」
「ただ、聖女と名乗るには大量の神聖力が必要になります。人知れず集めるため、少し時間がかかってしまいました」
「まさか……!」
アリーセが先ほど目にした神官たちの哀れな姿を思い出す。その推測は当たっていたようで、ミカエルも当然のようにうなずいた。
「ええ、彼らにはアリーセ様のための尊い犠牲となっていただきました。本当は神聖力の源である核を移植できるのが一番いいと思ったのですが、なかなか上手くいかなくて。ですので神聖力を凝縮して取り込んでいただくことにしました。これで数年はもつと思います」
ミカエルが台座に置かれていた瓶を取って軽く振った。中に入っている艶やかで粘度のある黄金色の液体がとろりと揺れる。
「そんな……そんなことのために神官様たちを……? 命を奪う必要なんてなかったはずです……!」
「いいえ、必要なことでした。あなたが人工の聖女だと疑われる危険は排除しないといけませんから」
今まであれほど優しく慈悲深かったミカエルの言葉とは思えない。まるで悪魔にでも取り憑かれてしまったようだ。
「……そもそも、なぜ私を聖女にしようとなさっているのですか? そうすれば名声を得られるからですか?」
聖女を見出して洗礼を執り行った大神官は、大神官よりさらに上級の「聖大神官」の称号を与えられ、偉大な聖職者として後世に語り継がれている。ミカエルもその称号を欲して、このような暴挙に走ってしまったのかもしれない。
アリーセはそう考えたが、ミカエルは心外だとでも言うように美しい眉をわずかに顰めた。
「名声を高めることに興味はありません。たしかに『聖大神官』の称号を得たいとは思っていますが、それは目的ではなく手段です」
「手段……?」
「はい。聖大神官になれば、生涯を通して聖女を庇護する義務が生じます。聖大神官と聖女は互いに運命の半身。単なる婚姻よりよほど強く結ばれた関係です。そして、その絆は死後も永遠に続く──」
ミカエルがアリーセの冷え切った手を持ち上げて、真っ白な甲に温かな口づけを落とした。
「愛しています、アリーセ様」
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