第27話 侵入

 同じ夜。エドゥアルトは闇に紛れ、リンドブロム神殿に忍び込んでいた。これほどすんなり侵入できたのは間違いなく彼のおかげだろう。


 数日前、エイデシュテッド孤児院にやって来た神官。パウルと名乗った彼は前置きもなく「話がある」と切り出した。怪訝に思っていると「アリーセ様のことです」と囁いたため、人払いして話を聞いたのだった。



◇◇◇



『この孤児院は俺を捕まえるための場所じゃないんだが』


 人払いしてパウルと二人きりになったエドゥアルトが椅子にどかっと腰を下ろす。パウルは立ったままエドゥアルトに頭を下げた。


『申し訳ございません。公爵邸へ伺うのは避けたかったものですから』

『そこに座れ。避けたかったというのは?』

『公爵様との接触を勘づかれると危険だということです』

『危険というのは、まさかアリーセが……?』

『それはまだ分かりませんが……少なくとも僕の存在は消されることになるでしょう』


 パウルの目は真剣だった。自らの生命の危険を感じながら、それでもエドゥアルトに話をしに来たのだろう。


『……それほどの危険を冒してまで、なぜ俺に会いに?』

『僕の話を信じて動いてくださる方が公爵様以外に思いつきませんでした。それに、アリーセ様を救うためならどんなことでもなさるでしょう?』


 パウルに微笑まれ、エドゥアルトも溜め息混じりに笑った。


『当然だ』

『では、時間もありませんので早速本題に入らせてください』


 そうしてパウルが語り始めた内容は、正直なところ、初めは耳を疑うものだった。彼が自分以外に信じてもらえそうな人が思いつかないと言ったのも頷ける。こんな話、誰が真に受けるだろう。


 ──神殿の神官たちが相次いで失踪し、それにはミカエル大神官が関わっているだなんて。


『……その話は確かなのか?』

『確かかと言われれば、確実な証拠はありません。ですが、神殿を辞めたとされる神官たちが失踪しているのは事実です』


 パウルはある二人の神官の話を始めた。シモン、そしてニコライという神官の話だ。


『私たち三人は神殿に入った年は違うのですが、互いに通じ合うところがあって仲の良い友人同士でした』


 しかしある日、二人の友人のうちシモンが突然神殿を辞めてしまったのだという。週末は三人で勉強会をする約束をしていたのに、パウルにもニコライにも挨拶すらせず神殿から去ってしまった。


 ニコライはシモンを心配して彼の実家に手紙を出した。悩みがあるならいつでも聞くから気兼ねなく頼ってほしいと。しかし、いくら待てども返事が来ない。仕方がないので今度は休暇中に直接訪ねてみると、シモンの両親が出てきてこう言ったのだという。息子は王都の神殿で働いているので、ここにはいないのだと──。


 そんなはずはない。シモンはたしかに神殿を辞め、彼の部屋もすでに別の神官が使っている。それならシモンはどこへ行ったのだろう? 実家以外の場所へ移ったというのだろうか?


 ニコライは混乱し、結局「分かりました」と返事して帰ったのだったが、それ以降も下級神官が突然辞めてしまう事態が続いた。ニコライ、そしてパウルは互いに同じ疑惑が膨らんでいくのを感じた。神官たちは本当に自らの意思で辞めたのだろうか?


 それからパウルとニコライは二人で協力して辞めた神官たちの足取りを内密に調べていたが、安否の確認が取れた者は誰一人いなかった。


『──ただ、あることが分かったのです。いなくなった神官たちは皆、ミカエル大神官と直接話をしたことがあったということです』


 下級神官が神殿の頂点である大神官と言葉を交わす機会はほとんどない。退職の相談だって大神官ではなく直属の上級神官にするのが普通で、そこに大神官であるミカエルが関わるのは極めて稀だ。そうした珍しい事態が何度もあったというのは、神官たちの失踪と無関係だとは思えなかった。


『……そして最近、ニコライもいなくなりました』


 今まで淡々と話していたパウルが辛そうに呟いた。


『大神官様がどう関わっているのかは分かりません。神官たちがいなくなった本当の理由もです。ですが、おそらくアリーセ様が関係していると思っています』

『なぜだ?』

『神官たちの失踪は、アリーセ様がよく神殿にいらっしゃるようになってから起こっているのです。奉願の儀式もアリーセ様が申し出られる前にすべて準備が整っていました。だからアリーセ様がいらっしゃった当日にすぐ迎え入れることができたのです。そして──大神官様はアリーセ様を異様に大切になさっています。まるで最愛の人かのように……』


 パウルの言葉を聞いた瞬間、エドゥアルトが思いきり机を叩いた。突然の暴挙にパウルがびくりとしたが、エドゥアルトは続けて大きな舌打ちの音を立てた。


『最愛の人だと? あの男……大神官の立場を利用してアリーセを閉じ込めるなんて、ふざけやがって』


 ミカエルが何を企んでいるのかは知らないが、このままアリーセを彼の手元に置いておくのは危険としか思えなかった。


『神殿からアリーセを連れ出す。手伝ってくれるか?』

『できる限りのことはいたしましょう』



◇◇◇



 そうしてパウルから神殿の見取り図を書いてもらい、エドゥアルトはそれを全て頭に叩き込んだ。今夜も現在はほとんど使われていない門から手引きしてもらって、神殿内に入り込むことができた。


(神殿内は足音が響く。まずは外からアリーセの部屋の様子を伺って……)


 アリーセの部屋の場所もパウルから教えてもらっていた。暗い色のローブを羽織って目立たないようにしながら、慎重にアリーセの部屋へと向かう。


(よし、ここだな)


 アリーセに気づいてもらえるよう、部屋の窓を指先で静かに叩く。子供の頃もたまにいたずらでこんなことをしていたが、今はそんな呑気な状況ではないし、何度窓を叩いても反応がないことがエドゥアルトの不安を煽る。


(……窓の鍵は開いている)


 不用心を注意したいところだが、今夜に限っては助かった。そっと窓を開けて部屋の中に入り込むと、案の定そこにアリーセの姿はなかった。


「一体どこへ……」


 ふとそばにあった書き物机に視線を遣ると、小さな手帳が目に入った。孤児院にいたときにも使っていたもので、アリーセはここにその日の予定を書き込んでいた。エドゥアルトが手帳を手に取り、今日の予定を確認する。


 するとそこには、懐かしいアリーセの字でこう書かれていた──「夜、ガゼボにてミカエル様と儀式」。

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