第2話 不幸の連鎖
二日後。アリーセはグランホルム伯爵家の応接間で、伯爵と彼の娘たちと対面していた。
さすが資産家の屋敷らしく、内装も調度品も高級そうなものばかりだ。実家のフランソン侯爵家も父の趣味のせいで無駄に高価なものを揃えているが、おそらく桁が一つ二つ違うだろう。
目の前のソファに腰掛けた四十代ほどの女性二人──伯爵の娘たちが、紅茶を飲みながらじろじろとアリーセを見つめる。全身をくまなく品定めされているようで落ち着かない。
「器量は悪くないけど、なんか貧乏くらい印象ね」
「痩せすぎだからじゃない? こんなんじゃ跡継ぎを産めるのか心配だわ」
アリーセは標準的な体型のはずだが、彼女たちと比較すれば痩せすぎに見えるかもしれない。
嫁の粗探しに忙しい小姑たちに閉口していると、アリーセの隣に座っていた伯爵が豚のように鼻を鳴らして笑った。
「これほど若ければ大丈夫だろう。娘はお前たちで充分だから、次は男子を産んでもらわんとな!」
笑うのに合わせて、彼の肥え太ったお腹がゆさゆさと揺れている。さらに肉団子のような手で肩を抱き寄せられ、アリーセは今にも嘔吐しそうだった。
(結婚式を挙げずに済んで本当によかったわ……)
伯爵にとっては再婚ということで、式は行わないことになったのだった。もう歳なので、あれこれ準備するのも面倒だったのかもしれない。
(伯爵と誓いの口づけなんてさせられたら、本当に吐いていたかもしれない)
でも、そうしたら伯爵に激怒されて結婚も破棄になっていただろうか。それならそれでもよかったかもしれない。
(……だって、結婚してしまったら、口づけよりも悍ましいことに耐えなければならないもの)
伯爵の腕の中で身を固くしながら、アリーセは虚ろな目でドレスの布を握りしめた。
◇◇◇
小姑との顔合わせのあと、執事から屋敷の中を案内され、伯爵たちに会いたくなかったアリーセは「緊張して具合が悪くなった」と嘘をついて部屋に閉じこもった。
このまま朝までそっと寝かせておいてほしいと願ったが、夜になるとメイドたちが現れてアリーセを浴室へと連れていった。
「あの、まだ体調が優れなくて……」
「お風呂で温まれば良くなります」
「身体がいうことをきかなくて……」
「私たちがお身体を洗ってマッサージいたしますので、何もなさらなくて結構です」
拒否してもメイドたちは強引にアリーセの身体を洗い、薔薇の香りのする香油を使ってマッサージを始めてしまった。
「さあ身支度が整いました」
鏡には薄い寝衣を着たアリーセの姿が映っているが、これが自分の姿だとは思えない。思いたくない。
「では寝室にお連れいたします、奥様」
(奥様……)
メイドたちはみなアリーセのことを「奥様」と呼ぶ。自分が本当に伯爵と結婚してしまったのだという現実を突きつけられるようで、思いきり耳を塞ぎたくなる。
それに、これから寝室に向かうのは、ただ眠って休むだめではない。伯爵との初夜が始まるということだ。
(……ここから逃げたい。何もかも捨てて飛び出したい。逃げきれなくても、2階から飛び降りて怪我でもすれば初夜はしなくて済むかしら……)
しかし、アリーセを逃さないようにとでも命じられているのか、大勢のメイドに囲まれてとても逃げ出せそうにない。
そうこうしているうちに、伯爵のいる寝室の前まで来てしまった。メイドが扉を開け、アリーセを部屋の中に押し込める。
天蓋付きのベッドの上には、ガウンを羽織ったグランホルム伯爵が腰掛けている。伯爵は飲んでいたブランデーをサイドテーブルに置くと、待ちわびた様子で鼻を鳴らした。
「やっぱり妻が若いと違うな。それにこの黄金の髪とエメラルドの瞳。高貴な見た目がまさにわし好みだ」
老人とは思えない獣のような目つきが恐ろしくて気持ち悪い。
日々、家計のやりくりに追われて男性と付き合うどころか、デートしたこともなかったが、アリーセにも人並みに結婚への憧れはあった。ただ、立場的に政略結婚を強いられることもあるかもしれないと心の中で覚悟はしていたが、こんなにも歳の離れた老人の妻になるとは夢にも思っていなかった。
「さあ来なさい。わしがお前を女にしてやろう」
のっそりと起き上がってきた伯爵がアリーセの腕を掴み、ベッドへと押し倒す。羽織っていたガウンの紐を解き、アリーセの頬をぬるりと撫でた。
(……っ、もう耐えられない。今すぐ死んでしまいたい──)
そう思った瞬間、突然伯爵が顔を歪ませて苦しみ出した。ベッドから転げ落ち、喉を掻きむしって呻いている。
そのあまりにも異様な様子にアリーセが震えていると、伯爵は口からゴボッと血を吐いて、そのまま動かなくなった。
(嘘……死んだの……?)
何が起こったのか理解できないが、血まみれの伯爵の歪んだ顔が恐ろしくて堪らない。
「だ、誰か……! 伯爵様が……!」
部屋から飛び出して人を呼ぶと、すぐに数人の使用人と少し遅れて伯爵の娘たちがやって来た。寝室に入った彼らが悲鳴をあげる。
「きゃああ! お父様!」
「お父様! 嘘でしょう……!? どうしてこんなことに……!」
アリーセが扉の前でひとり肩を抱いて震えていると、伯爵の娘たちが戻ってきてアリーセの頬を思いきり引っ叩いた。
「あんたがお父様を殺したんでしょう!?」
「この人殺し!!」
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