イシガミサマ

維々てんき

イシガミサマ

うちの裏山には、イシガミサマがいる。


仕事の時間なので、ぼさぼさの髪のまま、一階の台所へと向かう。


台所の横から、苔とカビでいっぱいの鬱蒼とした裏口に出る。どこか鼻を刺激するような、それでいて落ち着くような匂いが一瞬で肺を満たす。あまり吸い込んではいけない気がして、すこし浅めに息をする。

ここは裏山の影になっていて、真夏の朝7時だというのに未だに闇が支配している。私が生まれるずっとずっと前にこの家が建ってから、この場所に太陽が手を伸ばしたことはないのだろう。陽の光を知らない地面は、いつ踏んでもじゅくじゅくとスポンジのような音を立てる。


裏山はフェンスで囲まれていて、裏口にはその結界の中へと入ることのできる通用口がある。裏山はうちの土地なので、誰も入り込めないようになっているのだろう。もっとも、それより深い理由があるのかもしれないが。経年劣化によってティラミスのように茶色く錆びついた錠前を開けると、ぎ、ぎいという音を立てて鉄の扉が開く。完全に閉じてしまうとこの陰鬱とした場所に閉め出されてしまうような気がして、いつも開けっ放しにしておく。


通用口から入ると、少し先に急な階段が見える。五段しかないのに、私の身長くらいの高さまで登る急な階段。ここにも苔がびっしり生えていて、転げ落ちないように慎重に登らないといけない。木でできたこの階段はほとんど腐りかけていて、人が通ったところだけ削られて黒く変色している。


慎重に慎重に、一歩づつ一段づつ階段を登りきると、すぐそこに一本の棒が見える。アルファベットのLをさかさまにしたような木の棒。その棒が、何年も落ち葉が堆積してふかふかになった森の床に突き刺さっている。 


棒の先には。


イシガミサマがぶら下がっている。


丸めた紙を、別の紙でくるんでクラゲのように成型した形。言ってしまえばてるてる坊主である。棒の先にぶら下がっている古いイシガミサマを、持ってきた新しいイシガミサマに交換する。これが私の仕事だった。「カミサマ」というのに、お参りのようなこともなにもしない。ただ、取り換える。それだけ。


私はこの作業を、かれこれ1年近く続けていた。


階段を上るのがすこしつらいだけで、10分で終わる作業。何の意味があるのかわからない。夜、暗くなってきたから寝る。食後、歯が気持ち悪いから磨く。当たり前のこと。イシガミサマが汚れてきたから、新しくする。そんな感じで、この仕事を続けているのだった。


そもそも、「イシガミサマ」なんだから本体は大きな石にしめ縄とかじゃないんかい、と思う。カミサマというか、ただのてるてる坊主じゃないか。その割にはここらへん、結構雨が降るし。


ぶつくさ唱えながら、家に戻る。両手両足を使いながら階段を降り、裏手から台所に戻る。体にまとわりついたじめっとした空気をこそぎ落とすように、念入りに手を洗う。そこから、居間に差し込んでいる日光が見える。居間は金色に光り輝き、裏山とは文字通り別世界であった。


居間に入ると、


祖母がいた。


「ああ、行ってきてくれたんだねえ。ありがとうねえ。ありがとうねえ。」


おばあちゃん。


「イシガミサマのとこ行ってきてくれたんだねえ。」


おばあちゃん。


「イシガミサマねえ、あれねえ。なんの意味があるんだろうって思うよねえ。」


おばあちゃんは。


「あれはねえ、悪いものからうちを守ってくれてるんだよねえ。」


「イシってのは、そこらへんに転がってる石のことじゃないんだよねえ。」


「イシってのはたくさん意味があるよねえ。医師。意志。いし。いし。いし。」


「イシガミサマはね。」


「首吊って、死んでる、カミサマ。」


「縊死神様、」


「ね。」


「もともとね、裏山にはちゃんとカミサマがいたんだよね。でもその祠を壊して、あたしがイシガミサマにしたのね。生きてるカミサマにお参りしてても、じいちゃんは、ヒロシさんは、あんなに酷い無惨な死に方をしたんだから、カミサマなんて、いないほうが、死んでもらった方がいいから。へへ。」


おばあちゃんは。


「カミサマが首吊って死んでるとこなんて、気味悪くて誰も近寄りたくないだろ。へへへ。だからイシガミサマはうちに悪いものを寄せ付けないの。その代わり、いいもんも寄ってこないけどねえ。へへへへへ。」


「だから、こういうふうに入れ替えないとねえ。新鮮なカミサマに。新鮮なカミサマの死体に。それが、お前の仕事、これから、ずっと、死ぬまで。」


で、


でも、


でもさ、


そんなことして、


「そんなことして、」


「そんなことしてバチが当たらないのかって?」


「だからおばあちゃんはまだここにいるんだよ。」


おばあちゃんは。


首を吊って死んだんだった。


祖母は伸びきった舌をだらりと垂らし、また物言わぬ死体となった。祖母の縊死体は、死んだときのままの姿で、居間にぶら下がり続けている。


祖母が居間で首を吊ったのは1年前。私は、自分でここに住むといったんだっけ。取り壊しが決まっていたこの祖母の家に。でも、なんでだっけ。


電話をかける。


あー。


私もこういう風に死ぬのかなー。


「もしもし、ヤスくん?」


カラス避けのCDみたいに、ここにはどんどん何も寄り付かなくなるんだろうな。


それで、


「あのさ、」


それで、


ずっとここでイシガミサマなんだろうな。


「私たちそろそろ同棲しない?」


私たち。


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