6章 すこやかで愛しい日々に

第1話 賑やかな夜

 4月、春たけなわ。少しずつ気温がぬるんできて、過ごしやすくなってきている。桜のつぼみも待ってましたとばかりに華麗に開いていた。


 そんなとき、ゆうちゃんのご両親が2週間の休みを取って日本に帰って来た。年に1度、この時期の恒例行事となっている。その度に「久々の日本やし〜」と、国内旅行に多くの日を充てている。


 タイの玄関口であるスワンナプーム国際空港は、大阪の関西国際空港から直行便で6時間ほどである。アメリカやヨーロッパなどへは10時間以上も掛かるので、それを思えば短いが、それでもそうぽんぽんと往復するのは難しい距離だ。


 タイは日本の様にゴールデンウィークやお盆休みなどが無い。週に1日以上と祝祭日はお休みになるのだが、基本、公的に3日以上の連休は少ないのだ。


 なのでおじちゃんは与えられた有給休暇を普段はあまり使わずに、春にまとめて取るのである。


 帰国の連絡は悠ちゃんにSNSを通じて送られる。それをみのりと両親が教えてもらい、お家にいる間はお食事を一緒に食べたりする。


 さて、悠ちゃんのご両親が帰国して1週間。今おふたりは東京と東京ディズニーリゾート旅行からお家に帰って来ていた。東京では主に浅草や銀座、築地場外市場などを巡るそうだ。築地は美味しいものの宝庫だというイメージがみのりにはあって、羨ましい。


 東京ディズニーリゾートは、いわずと知れた世界的に有名なアニメ、ディズニーの世界を表現したテーマパークで、オープン当時からその人気は衰えない。


 東京を冠しているが実際は千葉県にあり、毎年千葉県浦安うらやす市の成人式が執り行われている。人気キャラクターと触れ合うこともでき、ニュースなどでその模様が流される。ディズニーファンにはきっと堪らないことだろう。


 みのりと悠ちゃんが「すこやか食堂」の営業を終えて22時近くにお家に帰ると、みのりのお家には誰もおらず、リビングのローテーブルに書き置きがあった。


 柏木かしわぎ家にいます。両親より。


 するとインターフォンが鳴る。ぱっとリビングの壁に取り付けられている親機を見ると、マンションの外玄関では無く、各戸ドアからの呼び出しだった。みのりは受話器を上げる。


「はい」


「みのり、僕や。おじさんとおばさん、うちにおるから、おいで」


「うん。ありがとう」


 きっと悠ちゃんのお家で宴会をしているのだろう。それも毎年恒例のことだった。みのりは置いたばかりのトートバッグを担ぎ直した。一緒に持ち上げたエコバッグの中身は今日のお惣菜のあまり。いつもなら常盤家の翌日の朝やお昼のおかずになるのだが、せっかくだからおじちゃんたちにも食べてもらおう。


 玄関ドアを開くと悠ちゃんが待っていてくれたので、施錠をしてお隣の悠ちゃんの家に行く。ドアを開けるとリビングの方からたくさんの笑い声が届いた。


 みのりのお家と悠ちゃんのお家は同じ間取りである。なのでどこが水回りでどこがリビングなのかは手に取るように分かる。みのりは悠ちゃんに促されてリビングに向かった。


 リビングに続くドアは開いていたのでそのまま入る。すると想像通り、リビングでみのりの両親と悠ちゃんのご両親は宴会を繰り広げていた。


 と言っても、そう騒いでいるわけでは無い。酔っ払いが苦手なみのりでも大丈夫な程度だ。


「あ、おかえり、みのり」


「おかえり」


「みのりちゃんおかえり〜」


「おかえり!」


 両親と悠ちゃんのご両親が笑顔で迎えてくれる。お酒が入っているので、お父さんたちは陽気である。だが顔はそう赤く無いし、酔いは酷くは見えない。親しい人たち同士だからというものあるのだろうか。


「ただいま。おじちゃん、おばちゃん、お久しぶり」


「久しぶり! 1年の間にまた綺麗になってぇ。ほんま若いころのかのこちゃんそっくりやわ」


 おばちゃんはグラスに入ったビールを傾けながら、嬉しそうにそんなことを言ってくれる。おばちゃんはお酒にとても強い。いわゆる「ざる」なのだそうだ。ビールだけならかなりの量を飲めるらしい。


 おじちゃんはお父さんと同じぐらい。お母さんは下戸なので、きっとおばちゃんが大半のお酒を消費しているのだろう。


 ローテーブルの上にはグラスが4客とウィスキーのボトル、氷が入ったアイスペールとお水らしきものが入ったピッチャーと、お母さんのものであろう麦茶のボトルが置かれていた。宴会の一環である晩ごはんのターンはもう終わっているのだろう、おつまみにお皿に入れられたミックスナッツがあった。


「これ、今日のお店のお惣菜。良かったらおつまみにしてくださいね」


 みのりが数個のタッパーをローテーブルに出すと、おばちゃんが「やったぁ!」と華やいだ声を上げた。


「みのり、ジュース入れるから、ゆっくりしとき。コーラでええか?」


「うん。ありがとう」


 悠ちゃんがキッチンに向かうので付いて行くと、シンクには使い終えた食器がさっとお水ですすがれて積まれている。お鍋などは少ない。


 宴会のお料理を作るのはいつもお母さんである。お母さんはお料理をしながらお鍋などを適宜てきぎ洗い、宴会が始まってからの食器などはそのままにしている。それを帰って来た悠ちゃんが片付けるのもいつものことだった。


 おばちゃんは日本にいたときはパート雇用で時短で働いていて、お料理も毎日していた。タイに移ってからもお仕事に就いたのだが、それからはおじちゃんとふたりして、ほとんどが外食か中食になっているそうだ。


 タイは外食文化なのである。レストランや食堂もだが何より屋台が多く、特に食堂や屋台では日本よりぐっとお安く食べることができる。日本食レストランも豊富で、そのクオリティは高いと聞く。


 自炊そのものをする文化があまり無いので、単身用アパートメントなどには最初からキッチンが無かったりする。おじちゃんたちが借りているお家は外国人居住者などが多いコンドミニアムなので、キッチンが付いているそうだ。だが下手に自炊するより屋台でお持ち帰りした方が安かったりするらしい。


 日本食が食べたくなったら、お家で作ることもあるそうだ。タイは日本の食材や調味料も手に入りやすい。多少割高になってしまうのは外国食材の常である。


 おばちゃんはもともと、あまりお料理に手を掛ける人では無い。なのでタイのこうした文化が助かっているのだと言っていた。タイは日本と同じアジア圏だからか、タイ料理は日本人の口に合いやすいのだ。みのりも辛さが効いたカレーやバジルとナンプラーが香るガパオライス、鶏のお出汁がふっくらとしたカオマンガイ、しっかりとした味付けのガイヤーンなどが好きである。


 悠ちゃんが冷蔵庫から出した2リットルペットボトルのコーラをグラスに注いでくれる。悠ちゃんは缶ビールを出して、プルタブを開けるとみのりのコーラのグラスにこつんと合わせた。


「お疲れさん」


「うん、お疲れさま」


 みのりはこくりと口を付け、悠ちゃんはごっごっと喉を鳴らした。缶ビールをカウンタに置いた悠ちゃんは「よっしゃ、やるか」と腕まくりをし、水道の蛇口を開けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る