第8話 赤塚さんの提案

 赤塚あかつかさんの元で修行すること1年。季節はまた夏に差し掛かっていた。湿度が上がり始め、これから酷暑こくしょに移り変わる気配が濃く漂っている。


 この1年、アルバイトと含めて、アルバイト先の日本料理レストランが入っている、あべのハルカス休館日の元旦ぐらいしかお休みが無かったみのりだが、お母さんにも協力してもらって体調を整えることに留意しながら、どうにかお休みをせずに乗り切っていた。


 目指すもののために、みのりができることは、真摯に向き合うことだけだ。手を抜かず、粛々と。常に心がけているつもりだ。


 そんな時、赤塚さんに聞かれたのだ。


「今まであんま踏み込むんもあれやと思ってたから聞かんかったけど、常盤ときわちゃんはここで料理習ろて、レストランでバイトして、やりたいことがあるんか? 想像は何となく付いとるけど」


 その日のテーマはヤングコーンだった。ヤングコーンはお手軽に水煮のものがいつでも買えるが、生のものを手ずから調理したものの香りや食感は別格である。赤塚さんが仕入れてくれていたものは皮も髭も付いていて、新鮮で瑞々しかった。


 ヤングコーンは、とうもろこしを若取りしたものだ。とうもろこしの株は2〜3本の実を付けるが、いちばん上の1本に栄養を集中させるため、残りを摘果てきかするのだ。それがヤングコーンである。とうもろこしの旬は夏。だからその前の初夏あたりが、ヤングコーンの旬になるのだ。


「まずは、やっぱり丸焼き食いたいやんな」


 まさに。コンロに焼き網を置き、薄皮2、3枚を纏わせ、髭も身に絡んだそのままのヤングコーンを乗せる。お料理の傍ら時々返して。


 焼きあがったヤングコーンの丸焼きを、みのりは赤塚さんと並んではふはふ言いながら頬張った。薄皮をめくったときの感動。甘い芳醇な香りに淡い黄色の身、白い滑らかな髭。


 ほくっと噛みしめると、爽やかな甘さがほとばしる。初めて食べたときには、髭の実力にも驚いたものだ。これはヤングコーンだからこそ味わえる恵みだ。ヤングコーンだから髭も柔らかいが、とうもろこしになってしまうと固くなってしまい、さすがにそのまま食べるのは困難である。


 ヤングコーンの様に摘果しつつ食べるものが他にもある。中抜き大根やきゅうりだってそうだ。それこそ大阪ではお目に掛かれないが、摘果メロンにも興味がある。お漬物が美味しいと良く聞く。きっと熟していない瓜の様な爽やかな味がするのでは、なんて想像してしまう。


 赤塚さんが話を振って来たのは、ヤングコーンの丸焼きを食べ終えて満足しているときだった。みのりは少し恥ずかしいな、と思いながらも口を開く。


「私、心にも身体にもええ食堂をやりたいんです。ええっと、飲食店て基本がそうやとは思うんですけど、旬のもん使って、例えばこのお惣菜はビタミンCが多いからコラーゲンが作られるとか抗酸化作用があるとか、そういうコメントを添えたりして。でもあんま難しく考えずに、こう、ちょっとしたことですけど、自分に足りんもんは何かなぁとか、そういうのんをちょっと意識してもろて、でも基本は食べたいもんで自分で定食を作るっちゅうか。メインにお肉とかお魚とか日替わりで用意するつもりなんですけど、その副菜にいろんなお惣菜を用意したいんです。風邪気味の人にはニラとかおネギ、血圧が高い人には玉ねぎとか、胃が弱い人にはきゃべつとかお大根とか、……貧血の人には、ブロッコリとかおじゃがとか。できたら食物アレルギーにも配慮できたらなって」


「そっか。常盤ちゃんも貧血に悩まされとんやもんなぁ」


 みのりの貧血のことは、教室に通うことを決めたときに伝えており、赤塚さんはみのりのために、授業のときは背の高いキャスター付きのカウンタチェアを出してくれた。ご年配の生徒さんのためにと用意しているものなのだそうだ。今もみのりはそのカウンタチェアに身体を預けている。


「はい。短大で栄養学を学んだんもそのためで。私の貧血のことがあるからか、母が栄養学の本とか買ってくれて、それで私も興味を持ったんです。それが今に繋がってて」


「ええやん。常盤ちゃんらしいわ。常盤ちゃん、優しい子やもんな」


 赤塚さんは目を細める。そうだろうか。あまり自分で意識したことは無いのだが。


「そりゃあ糖尿とか腎臓がどうとか肝臓がー、とか言われたらまずは医療やと思うけど、高血圧かてそれだけや無いもんな。薬飲みながらも塩分控えたり、下げる効果がある酢の物摂ったりするもんな。いつぐらいからやろうとか、そんなんあるん?」


 その問いに、みのりはつい苦笑を浮かべてしまう。なぜなら。


「まだまだ難しいんです。私はバイトなんで、貯金があんまたくさんできひんのですよ。せっかく実家のお世話になってるのに。あ、もちろん家にお金は入れてますよ。でも開店資金てやっぱり結構掛かるやろうから。融資もどんだけしてもらえるか分からんですし。なのでなかなか踏ん切りが付かんで」


「ふぅん……」


 赤塚さんが考え込む様に眉間にしわを寄せる。


「常盤ちゃん、その食堂、酒出す予定ある?」


「いえ、お酒は置かんつもりです」


 みのりは自分があまり飲まないこともあるせいか、酔っ払いに慣れておらず、やや苦手なのである。お父さんとゆうちゃんはしょっちゅう常盤家で晩酌を楽しんでいるが、ふたりは節度を保っていて、深酒するようなことは無い。少しばかり笑い声が増える程度だ。


 しかし短期大学時代や専門学校時代、飲み会に参加することがたまのたまにあったのだが、そのときお酒の力で豹変ひょうへんしていく友人を見て、みのりは恐怖すら覚えたものだ。


 話し声や笑い声が次第に騒音のごとく大きくなり、態度が尊大になって行ったり、いきなり泣き出したり、お手洗いに行ったまま帰って来なかったり。


 そうしてできあがってしまった友人たちを介抱することも怖く、みのりは友人の厚意に甘えて先に帰らせてもらったりしていた。翌日などに友人にお礼を言ってどうしたのか聞いたら、たいがい「タクシーに放り込んだわ」と笑っていた。


 だから、できる限り酒気帯びの人には関わりたく無いのだ。


 もちろん飲んでもあまり変わらない人がいることだって知っている。悪いのはお酒そのものでは無いことも。


 「酒は百薬の長」なんて言葉だってある。お酒は適量なら身体に、というより心に良いものだってことも分かっている。だがこれまであまり酔いどれに触れたことが無いので、どうしても慣れないのだ。


 だからみのりが食堂を開くときには、お酒は置かず、ごはんをしっかりと食べてもらえるお店にしたいのだ。お昼には、またこれからも頑張って動ける様に。そして夜には、疲れた身体を労ってあげられる様に。


「そんだら常盤ちゃん、ここの1階はどうや?」


「はい?」


 赤塚さんの言葉に、みのりはきょとんと目を丸くした。

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