三、少女の名
「おい! こいつが裏切り者だ! 見た目で油断すんじゃねぇ!」
隊長ではない誰かが叫んだ。
「てか、こんな長い岩無かったよな……」
また誰かが言った。そして隊長も野太い声で、男どもに言った。
「本気で言ってるのか? いや、確かにおかしいな。状況アルファ! 構えろ!」
状況が分からない。恐怖で目を閉じている場合じゃない。
そう思ってうっすらと目を開くと、涙でぼやける視界の中に、少し離れた岩の上に乗った少女が居た。さっきの声の主は、間違いなくこの子だ。その少女が、小首を傾げながらつぶやいた。
「オマエたち、邪魔だから殺しちゃうけど、いいよね?」
綺麗な声なのに、言うことが物騒だ。でもそれより、この子を逃がしてあげないと私と一緒に襲われてしまうかもしれない。こいつらの中に、少女を嬲る趣味の変態野郎が居てもおかしくはないから。
「逃げなさい! あなたも襲われてしまう!」
近くに、この女の子を連れてきた部隊でも居るのだろうか。いや、居なければ迷宮の深くに、こんな女の子が来られるはずがない。
「早く仲間のところに逃げなさい!」
と言ったあたりで、私を羽交い絞めにしていた手が離れた。
隊長に怒鳴られたからだった。
「いつまでそいつに構ってやがる! 状況アルファだ!」
ハッとしたように、後ろの男も私を離し、遅れて構えを取ったのだった。
それは訓練で見慣れた構えだったから、気に留めなかったけれど――こいつらまで持っているとは思わなかった――銃を構えていた。
「――いけない! その岩の裏に隠れなさい!」
こんな少女に銃を向けるなんて正気じゃない!
こいつら一人、二人に不意打ちしたところで、他の三人が撃ってしまうかもしれない。私に出来ることは、あの子との射線上に立って、盾になることくらいしかない。
――動け、私。
何のために厳しい訓練を受けて来たのか。
――戦えない人たちを、守るためだ!
切り裂かれた服をいとわず、私は少女の前に立ち塞がるべくダッシュした。あの長い岩は、人の背丈くらいだからすぐに登れるはず。
――間に合え!
「ねぇ。殺してもいい? 一応、聞くことにしてるの。答えて?」
ああ、こいつらを挑発するようなことを言わないで――。
「くっ! 撃て撃て撃て! 先手を取らせるな!」
隊長が叫ぶと、一瞬の
バン! バン! バン!
重い炸裂音と、連射しきれない反動の間。それが五人分重なって、凄まじい轟音がまるで耳元で弾け続けているよう。
それらの銃弾は、駆け出した私の背中から、頭上を掠めるようにして少女に向かった。
私は、間に合わなかった。
「リロード! 効いてない! ありったけ撃ち込めぇぇ!」
――効いていない?
弾のカートリッジ交換の、一瞬の銃声の止み間にそう聞こえた。
そんなはずがと、岩の上を見上げると――。
同時に、また激しい銃撃が始まった。
――けど、確かに少女は、小首を傾げたまま平然と立っている。
あの重い炸裂音は、マグナム系のもので高い殺傷力を持つ。子どもの体なんて、まさしく弾け飛ぶ威力のはず。
だけどやっぱり、少女は指をくちびるに当てたりして、不思議そうに見ているだけだった。銃弾は何かに阻まれていて、少女まで届かずに静止してしまう。透明な壁でもあるかのように、そこに留まり続けて浮いている。
私は今起こっていることが理解出来ないまま、あっけに取られて動きを止めてしまった。
「どういう状況……?」
あと数歩で、長い岩に手が届く。
登って救助しようか。だけどその必要を感じなくなってしまった。
「アナタはまだ生きているから、食べられないわ。それに、絶望が消えてしまった」
少女は、私に向かってそう言った。無機質で、何の感情も乗っていない声で。
「な……何を言っているの? それより早く、逃げなさい。あいつらは、悪い奴らだから――」
「知っているわ。アナタに酷いことをしようとした……でも、ほんとはその後で来ようと思っていたの。ごめんね。絶望を帯びた魂が欲しいから。だけど、そうね。たまには助けてあげる」
この子は……一体、何を言っているんだろう。
「シロ。起きなさい。ゴハンよ」
それはペットに話しかけるような、優しいものだった。でも、どこにも犬なんていない。
そう思った瞬間だった。
長い岩だと思っていたそれは、少女の足元でぬるりとした動きで鎌首を持ち上げたのだ。
「岩じゃ、なかったんだ……」
その驚くべき衝撃的な状況は、だけど納得でもあった。
「何だあれは! 目だ! 目を狙え!」
彼らの声に釣られて見上げると、いつの間にか岩などではなく、白い蛇……でもなく。
「龍だ! 龍なんてものが出るなんて、迷宮ってのはどこまでイカレてやがんだ!」
「いいから撃ち続けろ!」
銃撃音が止まない。
でも、やはり全く効いていないようで、彼らの顔色はすでに敗色で染まっていた。
「クソがっ! 撃ちながら後退! 撤退だ!」
隊長は逃げる判断を下した。けれど、それは遅かったらしい。
白い龍は持ち上げた頭を微動だにさせず、器用に体の方を大きくうねらせた。
それは、巨大な鞭のように鋭く何度も跳ね、辺り一帯を巻き込みながら、岩壁さえも削り取っていく。
私は……ちょうど、龍が持ち上げた頭の下に居たから、その無残に破壊される様を傍観することになった。
ピタリと止んだ銃声と、叫び声さえ上げる間もなく、龍の体と岩壁にすり潰された男たちの血のりの痕を目にするのは、ほとんど同時だった。
そのくらい一瞬で終わったのに、龍はその後数秒ほど、体をうねらせ続けた。まるで、何かが気に入らないとダダをこねるように。
「シロ。それじゃお肉がなくなっちゃったじゃない。もうゴハンなしよ」
その少女の言葉に、グゥルルルルと龍は、不満げに唸る。
「あんな不味そうなものはいらないの? そう」
それから、つまらなそうに私を見下ろした。
「は……はい?」
何かを要求するような、けれど、それをしくじったのだと責められているような気持ちになった。
「アナタのように仲間に裏切られて、後悔を残した魂が欲しかったの。死んでも死にきれない恨み。仇を殺しても足りない憎しみ。怨念。そのどうしようもなく、報われない絶望した魂。それを食べると、わタしがもっと強くなれるの。でも……結果的に、助けちゃったわね」
「えっと……ありが、とう?」
何かとんでもないことを言っているけれど、助けてもらったお礼を伝えた。
今起きている出来事に、頭が追い付かない。
「ありがとう? どうしてお礼を言うの? わタし、アナタがもう一度裏切られて、死ぬのを待とうかと思ったのだけど」
「……え。い、いやいや。それはちょっと…………嫌よ」
この子が普通じゃないのは分かった。
龍を操る子……。もしかして、人型の魔物、ということだろうか。それも、人の言葉を使いこなしている。
でも、そういえば死んだ彼らは、裏切り者と呼んでいたけれど。
――一体、何の裏切り者?
「そんな……せっかくのゴハンなのに。もう一度、同じ目にあって欲しいのだけど?」
二回目の、同じ要求。
「……そうしないと、逃がしてくれない感じかしら」
「え? あぁ……そっか、トリヒキすれば、よかったのね。うん、わかった。逃がしてあげるから、また仲間に裏切られたり、襲われたりしてくれる? その時はきっと、ちゃんとアナタが死んでから出て来るから」
これは、「うん」と言わないとこの場で殺されるのかもしれない。
「ハハ……そ、そうね。一度逃がしてくれたら、嬉しいなぁ、なんて。そ、それよりもさ。あなたって、何者なの? 人間じゃないの?」
「人間……。そうね。そういうふうに、呼ばれたことがあるかも。でも、みんな殺しちゃったから、詳しくは知らないわ」
……人は、人を「人間」とは呼ばない。
言葉は通じるけれど、人ではない可能性が高い。いや……これほどの魔物を操るなんて、人には無理だ。ましてや少女が。
「人間を殺したの? それって、今日みたいな悪い奴らのこと?」
「悪い人間? 人間って、ぜんぶ同じじゃないかしら。わたしの安全を脅かす、愚かで浅はかなモノたち。でも、時々こうして、わたしのゴハンになるの。不思議ね」
話が微妙にかみ合わない。この子はやっぱり、人型の魔物なのかもしれない。じゃなきゃ、人間のことをゴハンだなんて形容するだろうか。
何とか生きて戻って……人型の魔物が居たと、報告しなければ。
「そ、そうね不思議よね。それで、その、ムシがいいとは思うんだけど、私、一度地上に帰りたいの。このままだと仲間が居ないし、戻ってもう一度仲間と来ないと、あなたのゴハンになれないよね?」
「そう。そうだった。アナタはきっと、とても美味しいと思うの。裏切る仲間を連れて、また来てくれる? でないと……。なんだっけ。いけない、忘れてしまったわ」
「私を地上に送る?」
咄嗟に出た言葉だった。
「そう。そうね、アナタを地上に送ってあげないと。でも……言いかけたのは、もっと別のことだったと思う」
「そ、それはまたほら、また今度思い出せばいいじゃない! ね? 今はすぐに私を送らないと、憎しみとかがほら、無いままだし?」
このまま言いくるめられそうな気がする。悪いけど、せっかく無事で済んだのだから、このまま生きて帰りたい。
「アナタ……」
微妙な間が怖い。
――やばい。知能がそこまで高くないと思ったけど、実は演技だった、とか?
「いい人、ね。わたしのゴハンのために、ちゃんと教えてくれるなんて。分からなくなっちゃったから、とりあえず殺そうかと思ったの。でも、それはイケナイことね。せっかくのゴハンだもの」
「う、うんうん! そうよ。だからお願い。地上に連れていって」
――こ、怖っっわ!
今の返事、何かミスってたら殺されてた――。
「それじゃあ、この子の背中に乗って。地上まで乗せてあげる」
「ありがとう! 本当に助かるわ。ここから一人でなんて、帰れないもの」
「……でも、忘れないで。アナタは、わタしのゴハンなの」
「う、うん」
何か急に、雰囲気が変わった。ような気がする。
白い龍も、持ち上げたままの頭を下ろす素振りがない。
「いつ戻ってくる? 明日? それとも、あさって?」
「えっと……編成を組んでからだし、早くても二週間後、とかかなぁ」
「なにそれ。そんなの待てない。わタしのこと、騙そうとしたんだ」
少女は、龍の頭上から私を見下ろしたままで、乗せてくれそうだった様子が消えた。
いけない。何か言い訳をしないと。
「えっ? な、なんで? 時間は必要だもの、そのくらい待ってもらわないと――」
「だまれ、人間。うそつきは嫌い。気が変わったから、死んで」
「う、うそじゃないわ。まって、殺さないで」
「わタし、途中からうそだろうと思ってたの。やっぱり正しかった。さようなら」
――ああ、もうだめだ。私はやっぱり、ここで死ぬ。
クソ野郎どもに、犯されなかっただけまだましか……。
「その子達を、離せえぇぇぇぇぇ!
唐突に聞こえたそれは、私の頭を飛び越えて龍の首に激突した。
よく見えなかったけれど、人が後ろから、すっ飛んで来たように思う。
そして、今ハッキリと見えているのは、空中で浮いたまま、龍の首にカタナを突き付けた形で止まっている青年の姿。
「なんと! この一撃が通らないだと? なかなかやるじゃないか、魔物!」
空気を読まない感じの、ハキハキとした大きな声。
茶色のボロいマントに身を包んでいて、顔もフードで隠れている。
けれど、この人が私の寿命を長らえさせてくれている。
「なに、アナタ。邪魔をしないで。うそつきを殺すところだから」
「何を言っているんだ! キミもこの人も、僕が助けに来たんだ! さあ、先ずはキミから降ろしてあげよう!」
「シロ。炎」
その刹那、龍は口を開けると同時に火炎放射器のように炎を吐いた。
でも、青年の姿はすでにそこにない。
「キミ、その魔物を操れるのか! すごいな! それにカッコイイじゃないか! 龍か!」
彼は少女のすぐ横に移動していて、浮いて留まっている。
「ほめられた。アナタ……いい人?」
「ああそうだとも! 僕は
「なおひこ……。すてきな名前ね。わタしは、ユカ」
「キミも素敵な、可愛い名前だな!」
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