終《つい》の研究成果

 手を伸ばした隔離世かくりよから光の射す世界へ這い出ると、ココロ・ユグドラシアドレスは未だ、一、二歩と歩みを進めたばかりであった。


 奇襲攻撃を振るう素振りすらない彼女の前に立ちはだかり、実際的な敵とすら認識されていない、果てしない試練と向き合う。


 試練。

 けれど、俺はもう、


 一つ、息を行う。


 あとはもう、迷いもなく、無防備にしゃがみ込むと――リティエルリの創生剣を掴んだその手で、地に手を当てた。


 闇向こうの泥を俺の傍にして気付いたのは、【事象透過ワールドオフ】の本質。

 今まで傍にしようともしなかった、【魔導】への理解を経て、【魔法】へ辿り着く。


 地に手を沈める。虚無の泥に触れ、いつもであれば、瞬時に隔てられた世界へ引き摺り込まれる。


 けれど、この隔離世かくりよの空間は。

 もう、俺にとって、拘泥の意味だけを持つ魔法ではない。


 ――【事象透過ワールドオフ】の本質とは。

 境界魔法より高度に、存在の境を隔てることができるという一点だ。


 虚無に体が溶け出さないということは、【事象透過ワールドオフ】は輪郭を隔てる能力でもあるということ。その実体は世界においての、例外を生み出すほどの魔法力を体現している。


 つまりは。

 意識して、境界を形作ることも――【創生】することもまた、可能であるということだ。


 ――――リティエルリの創生武器、砕かれた残骸に施された境界魔法を、そして妖精の剣の実在をこの手にして感じていた感覚を、想起して――地面から


 ああ、そうだ。

 妖精の御業を真似るというのなら。

 きちんと、それを、言葉にしないとな。



「――あらわれろ【死世界の剣マンニガウス】。虚無故に失うことを知らない実在よ、今、魔法力の呼吸を宿せ」



 引き抜く。


 リティエルリの創生剣のように力強い柄、そして、【ティルヴィング】に劣らない、おぞましい闇向こうの泥を固めた刀身――。


 境界の創生。輪郭を自身と同一視させることで虚無世界の泥を肉として、魂の原則を希釈する形で、あの泥へ、仮初かりそめの命を与える。


 この世界のことわりから外れた仮想物質。

 重さもない、重量だけがある、矛盾した大剣。


「――――行くぞ、バランサー【レベルⅧ】」


 やっと、こちらを向いた彼女へ、対決を宣言した。


 同時に動く。振りかざした大剣が――つんざくような音を立てて、衝突し、弾かれる。


「――――!?」


 やっと――生物意識的な感情を露わにしたな。


 理解した、あの剣【ティルヴィング】は、どうやってか概念を物質として顕現させているんだ。故に、。顕現化していようと、物質は概念には接触できない。


死世界の剣マンニガウス】もある意味の概念だ、同じ硬度を有している。

死世界の剣マンニガウス】は世界ワールドという概念を顕現化した物質である。それは【事象透過ワールドオフ】という固有因果律エゴスフィアの今まで意識していなかった使い方であり、新しい力というわけではないため、死ぬ物狂いで突き止めた既存の理屈がそのまま適用される。【死世界の剣マンニガウス】は【事象透過ワールドオフ】の力によって、隔てられている。


 一切の不明がないその理論を意識すると、まるで頭に情報が流れ込むように、【死世界の剣マンニガウス】についての事象へと理解が及んだ。



①【死世界の剣マンニガウス】を五秒以上手放してはならない。五秒以上手放した場合、【死世界の剣マンニガウス】は崩壊する。

②もし【事象透過ワールドオフ】の世界へ【死世界の剣マンニガウス】を戻さずにそれが崩壊した場合、魂の情報の一部が失われる。

③【死世界の剣マンニガウス】使用中は、【事象透過ワールドオフ】以上の精神負荷を絶えず負う。



 魂の一部が欠損した場合に起こる障害は計り知れない。また、虚無世界の泥と同一存在となっている弊害で、魂が奈落の闇に浸かったような言い難い絶望に、絶えず襲われる。


 だが、それくらいの試練は――。


「もう乗り越えてきた」


 質量の実在を有して無質量の剣を、振るう。

 くうへ――弾かれて後退したココロバランサーの先へと。


「虚構の口で咆哮しろ、【死世界の剣マンニガウス】、呼吸の証をここに示せッッ」


 身の毛のよだつ、低く響く金属音を増幅したような叫び声を上げて、【死世界の剣マンニガウス】はその体積を膨張させた。おぞましい、獣の成り損ないのような姿をとって、姿を変えた大剣が疾駆してココロバランサーに迫る。


 彼女は信じ難いアジリティを見せて、疾駆して、樹木の枝のように身をわかちながら襲いかかった刀身を、むくろの大剣でいなし応戦して、圧倒してみせた。――躯体魔法か、俺も簡単なところなら使えるが、練度は天地の差だ……。


 ――不思議だ、こうして刀身を全力で交わし合うと、互いの特性が


 なぜリティエルリが先の戦闘で【妖精の矢尻】の魔法を使わなかったのか、理解した。【魂の願いティルヴィング】という絶無の呪いが、他の呪いを塗り潰して無効化するからだ。だから創生武器も簡単に破壊されていた――。


 俺がこうして直観で理解したように、相手もまた、俺の【死世界の剣マンニガウス】の特性をかいしたことだろう。


 だが――、それをどこまで理解できる……?



「【死世界の剣マンニガウス】、境界を超えて、この世界にちよ――……」



 隔てるいきを軟化させる。


死世界の剣マンニガウス】が液状となって、絡み付くようにココロバランサーを襲う。最高硬度を持つ大剣であろうとも、である物質には、斬るやといった手段は分が悪い。それを避けるに防戦一方となる。


 こうなれは、彼女が打ってくる手は――。


「まるで【ティルヴィング】に対抗するために創られた大剣だな」


 言って、彼女は僅かの躊躇も持たずに、――【ティルヴィング】を俺に向かって投擲してきた。


 躯体魔法の膂力りょりょくで投擲された大剣は、明確に俺を殺傷する脅威を有して襲い来る。――体積を広げ過ぎた【死世界の剣マンニガウス】で防御した瞬間、液状剣の操作がお粗末になった。


 天と地の差――その躯体魔法のアジリティで、一瞬にして、距離が詰められる。ぜろ距離になれば、あとは明白、アジリティの差で俺は敗北する……。


 人形のような彼女。

 命令を絶対視より上に置いて遂行する彼女。


 故に。


 先の戦闘も、全てが――指の動きの一本の動きまでが、美しいまでの、極論の合理的を体現していた。


 だから彼女は必ず距離を詰めてくると知っていた。


「――――!?」


 二度目の驚きは致命だった。



 彼女の足元が、境界が失せたように、地に



 ――【死世界の剣マンニガウス】は。

 はしったあとの空間に、【事象透過ワールドオフ】の境界を形作ることができる。境界線を緩く形作り、任意で、虚無空間への境界域を広げられる。



「【死世界の剣マンニガウス】――!」



 足が沈み込んだココロバランサーは、剣を失った彼女は、解決策を見出すことができない。


 枝分かれした【死世界の剣マンニガウス】が襲う、最高硬度、どのような魔法も、呪いも受け付けず、そして――致命を喉元に突き付ける、完全決着の形で、彼女を、拘束した。


 鉛のように重い足を踏み出し、ココロバランサーへ近寄る。それでも表情の変わらない彼女へ、その表情の奥の狂気――超越者の常として、おそらくのこと、おぞましい奥の手を有しているだろう彼女へ、――話しかける。


「『妖精の即時無力化』が命令でしたね。それを遂行するにあたって、一案があります」

「…………?」


 動かせないまま、小首を傾げる仕草を見せた彼女へ、立場も弁えずに告げる。


「殺害は即時とは言えない手段でしょう。理由は①あなたを阻む【死世界の剣マンニガウス】との相性が悪すぎるから。そして②【願いの剣ティルヴィング】の願いの力は、先刻の通り、隔離された空間には及ばないものだったから。使、また願いの力が使用できるのかもしれない、工夫次第で【隔離した世界へ移動する方法】を破ることも十分できるでしょう。けれど、その方法は想像がつくし、対抗策も考えられます」

「…………」

「そこで、殺害の他に、『妖精の即時無力化』を遂行する案がある。――蜜凪」


 名を呼ぶと、いつの間にか後方で、この状況を見開いた瞳で立ち尽くし収めていた蜜凪が、ハッと気を取り戻して、駆け寄り、をその手にしてココロバランサーの前へと立った。


 背負ったバッグに入れて持ってきてくれたのは、あの日俺に見せてくれた、幾枚からなる研究資料だった。


死世界の剣マンニガウス】で拘束したまま。

 蜜凪が彼女の前で、レポートを一枚一枚、捲って見せた。


 彼女の表情は変わらないが――しかし「これは何だ?」ということは、問わなかった。


「この研究は、『妖精の存在における影響力の抑制について』という題目テーマの、結論レポートです」


 紙を捲りながら、蜜凪がその、信じ難い研究成果の注釈を述べる。


「その内容は、『妖精の力の封印式』。妖精は魔法を行使する際、周辺周囲の影響力を取り込んで魔法を発現させますが、その際、実世界に既存する現実現象力に強く干渉してしまうため、その影響度によっては天災を生じさせてしまいます。私の研究、この《封印式》は、妖精の『影響力の取り込み』という魔法特性を完全に封じます。身体の一部に傷を施し、封じる形でそれを実現する。――特定の特性を封印し、死を焼く刻印の傷、【死焔印リヴァイブシアー】の理論を転用しました。これを施せば、対象の妖精はもう、影響を与えるに至りません。――『妖精の即時無力化』を実現する案です」

「――いや、駄目だな」


 だが。

 ココロバランサーは、端的に、それだけを言った。


「『妖精の力の封印式』の理論は理解した、それが成立していることも知った。しかし、この封印方法では、卓越した魔法技術の任意において、封印の改変が可能だ。妖精の本領が解放される可能性が取り除かれない以上、解決とは言えない。故に、命令に沿わない」

「――――では、レーヴィア魔導学校校長、織枷おりかせ 優撫ゆうなが彼女を監督します。その信用において、この封印式を施す解決は、解決に及びませんか?」


 ハッとして、視線を走らせると――いつの間にか、隣に、織枷校長の姿があった。


 その姿を認めて、ココロバランサーが告げる。


「幻想体か」

「ええ、ですが実体と同程度の現実性は有しています。座標指定に時間がかかりましたが、妖精の影響力干渉がマーカーとなりまして、こうして顕現できました。――さて、私の監督責任において、この世界においては該当の妖精に、決して封印式を解き放った魔法を行使させません。私の魔法がそうさせない。その保証は納得いただけることと思います」


 桃色の瞳を、赤色に染めて。

 その目を刃のように細め、織枷校長はココロバランサーの目を直視した。


「【英雄製造機アーチスミス】によって生まれたあなたといえども、私の魔法技巧は、あなたの力を凌駕している。その私が、彼女がこの世界に在る限り【影響力に干渉する方法】を許さない、絶対を約束しましょう」


 織枷校長の言葉に、ココロバランサーはやはり、機械神エクスデウスのように答えたのだった。



「――その条件においては、命令遂行と認められる」



 ――……思わず、【死世界の剣マンニガウス】の柄を握り締める手が、緩みそうになった。


 蜜凪に、笑みながらバチンと背を叩かれる。――視界かすみがかった認識が少し晴れる。これで最後だ、気張れ、成志郎。


 柔らかく微笑んだ優撫さんが、そこからは指揮を取ってくれた。


「みんな、この苦難の連続であった試練を、よく乗り越えました。成志郎くん、今少しだけ、彼女を拘束できますか? 彼女の前で、封印式を施さなければなりません。『妖精の力の封印式』は私が施しましょう、蜜凪ちゃん、素晴らしいです……! 資料を見せてもらっても? ――ありがとう。幻想体ではありますが、この封印式であれば、幻想の実在で施術できます。蜜凪ちゃん、意見番として隣で見ててね。余技打よぎうちバランサー! あなたも、ここに来て手伝ってくださいませんか?」

「了解です」「よっしゃッ、任せて!」「あ、私も頭数に数えられてるんだ……」


 ――こうして、世間の裏側で騒がれた、『妖精の騒動』は終結した。


 俺たちが、懸命した、結果は。

 ビターエンドだった。


 だけどもし、その結末の良し悪しを、俺たち自身で決定づけるのだとすれば――。


「フラフラですね、余技打よぎうちバランサー。どうしてあなたも、【ティルヴィング】の願いの影響を?」

「【ティルヴィング】の魔法は見境いが無いのさ。過去に一度でも敵対していれば範囲対象だった。鎖を媒介とした精神魔法で、あれやこれやで精神時間を早送りさせて、蘇生はできたけれど」

「……どうして、戦いの成り行きを黙認してくれたんです?」

「あのねえ、手なんて出せないって」


 余技打よぎうちバランサーは、苦笑して答えた。


「誰も彼もが、自身の、人間性の実在を信じるために、必死なんだから」


 何もに目を瞑ることができるとは限らない、ということだよ。

 彼はそう言った。


 ビターエンド。けれどそれは、ただ物事を俯瞰しただけの結論。

 俺たちが辿り着いたこの場所は、最たる願いに辿り着いた、《疑いようもない幸せ》のある場所だった。


 だって。


 リティエルリ、お前が生きている。




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