まるで腑抜けたように、机へ突っ伏していた。


 今は手を付ける気にならない『妖精に関する記述』と数冊の書、『誠実の王子様』の絵本だけがぱらぱらと捲られた形跡がある。


 昼間の時間だった。

 日の光が世界を白く照らしているさまが、なにか虚し気に見えた。


 先程、律織からまた連絡があった。


【バランサー】は依然、遠くはないが目星の外れた位置を捜索しているようだ。もう安全圏と見て問題ない、あとは優秀な人間が単独でここにアタリをつけて来るといった事態にだけ注視していればよい。


 だが今日も、例外的なその様子もなく、喜ばしく平和だった。


 結局、いまいち腑抜けになったまま、長い長い日の時間を消化していた。日が傾き始めて、警戒の緊張度が増すにつれて、次第にしゃんとなっていったけれど。


 何を話そう。


 最後に、きちんと話せる時間に、たくさんを話したかった。

 励ます言葉も伝えたいし、何気ない話もしたい、聞きたいことも無限にあった。なんにしても、今晩、また早くに会いたいと願っていて、そんな中、終盤の警戒を緩めないよう準備に勤しんでいた。――――そんな時だった。





 耳鳴り――――。


 日は落ちて、残滓のくれないが地平の向こうにまだ見える、その時節だった。


 星が落ちたかのような衝撃。


 耳を潰す理解不能の轟音が、――あの丘の方角からとどろいてきた。





 瞳を見開き、思考を意図的に捨てて駆け出した。


 携帯機だけを取って外に飛び出し、空を見上げながら、駆ける。飲み込まれそうになる焦燥を遠ざけて、最悪の事態すら想像せずに、リティエルリの待つ丘へ急行した。


 だが。

 空を見上げて見降ろせた景色に、思わず、息を詰まらせる。


 すでに、


 そこにあった景色は――――。



 リティエルリを抱いていたあの大木は、雷が落ちたとかそういう程度じゃない、見るも無残な暴虐の傷跡を刻まれて、おそらく一撃で――ズタズタに裂かれていた。


 地に刻み付けられた、爪痕のような幾筋もの深い戦場痕。大木を裂いたそれのように、禍々しい暴虐が発露された傷跡のような有様の――事後の景色。そこにはすでに、誰もいない。



 現場に到着する。――血の跡がないことに、一呼吸分、安堵する。


「――シキッ! ――……リティエルリは!?」


 少し時間を置いて、蜜凪も現場に駆けて来た。

 上気しながらも青白い顔をちらりとだけ見やり、状況を告げる。


「リティエルリは視界からロストした。俺が【翼視力よくしりょく】で見上げたときには、もう襲撃者の姿もなかった。【移動の方法】……相手はなんらかの魔法で、一瞬で移動して来たのち、瞬時にこの状況を形作ったと見ていい。リティエルリは【移動の方法】を使用して、もしかすれば……、その先で追われているかもしれない。今はとにかく現場を探る、警察が急行するまでの間、あまり周囲を荒らさずに探索を進めよう」

「でもっ、リティエルリの状況を……この惨状の痕跡を考えると、すぐにでもリフたちに救援を求めて救出部隊を作り上げたほうが――あと、優撫ゆうなさんに連絡しないと――」

「落ち着け」


 背の下あたりを叩いて、蜜凪のテンパった瞳を見つめる。


「【翼視力よくしりょく】で辺りを確認した、もう四キロ周辺にリティエルリの姿はないんだよ。救援の速攻を実行するにも、どうやってリティエルリは移動したのか、相手の移動手段も、憶測つけねぇと。警察が来るまでが勝負だ、今は出来うる限りの情報を最速で集める最後のチャンスだから、それを行おう。織枷校長にはもう連絡した、お前の知識が必要だから、手伝ってくれ」

「わっ、分かった……!」


 今は、焦りも不安も祈りもいらない。


 蜜凪を落ち着かせると、俺も現場の仔細調査に戻る。――草地のどこにも、ここを訪れた足跡の痕跡がない、慣れれば土の地面より見分けやすいから間違いない。瞬間移動の類いか? 激しい戦闘の痕――星を落としたような音に怯み、外に飛び出すまでの僅かな間に戦闘は完結していた。およそ人間業に思えない……。


 まさか……――。


 そして、痕跡を辿って、確信する。これが、リティエルリの逃走痕、やはり、それは途中で痕跡が途絶えている。【鈍色の杖アンヴァーアンプス】だろうか……?


「シキ、これ……」


 蜜凪の呼びかけに駆け寄ると、そこには、見たこともない不思議な素材の金属片が飛び散っていた。


「『伝説の武器の創造』……」


 移動手段だけではなく、使っていたのか。

 欠片を手に取って観測する。――分かる、境界魔法によって境界線が形作られている。超非常の手段で造られた創造武器だ……。


「これは蜜凪が持っていて」

「分かった。――シキ、何か分かった……?」

「おそらく、飛んだ方角だけは憶測できる」


 蜜凪を連れて、リティエルリの逃走痕の、最終位置を示す。


「足跡の向きを見るに、もし目的地も曖昧にテンパって逃走手段を使ったとしたら、――瞬間移動した方角はあちらと憶測もできる。俺たちが推測できる範囲で判断材料があるなら問題ない、写真を撮った、これは織枷校長に判断を仰ごう」

「わ、分かった。――私に出来ることはなに?」

「その武器片の解析と……今まで学んだ妖精の知識を活かして、リティエルリを助けに行く準備を」

「分かった!」


 私分かったしか言ってねぇ、とぼやいた蜜凪の隣で、携帯を取り出しダイヤルを呼び出す。


『――――はい』

「律織。今までお前に預けていた借りを、今ここからの大事で、全て……ことごとく返せ」


 丘から空を見上げながら、見開いた目に現実と未来を映す。


「妖精が……大切な人が危難に遭っている。彼女の救出と奪還を手伝ってほしい」

『……詳しく話せ』


 軽く嘆息したように言った律織に、この数日を打ち明ける。


 警察に拘束されないよう現場を離れながら、一度だけ、あの丘を振り返って視界に収めた。焦燥が、不安が、腹の奥底からせり上がり、情感を掻き乱してくる。奥歯を噛み砕くようにして、計り知れないそれに耐えて、呑み込んで腹に収める。


 不安に呑まれる人間性はいらない。

 リティエルリ。

 必ずお前を助け出す。


 必ずだ。



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