4-9 聖女は清めの儀式に向かう


 ラピスに連れていってくれたのは、村の奥にある勝利草で屋根をふいた村長さんの家だった。


「かれんさまーここなのー」


 村長さんの家は他の家より大きくて立派で、急にラピスと離れて一人で行くことが怖くなってくる。オーリ君たちと合流する約束をしているラピスの手を離さなくちゃと思うのに、ぎゅっと握りしめてしまう。


「かれんさまーぎゅーしてあげるのー」

「えっ、いいの? ありがとう、ラピス」

「いいよなのー。しゃがむのー」

「うん!」


 勝利酒の入った厚手の布袋を落とさないように、そっとしゃがむとラピスが小さな腕を回して、ぎゅっと抱きしめてくれる。子供特有の高めの体温と、ふわりと優しい雨の匂いに包まれると安心して、くるんくるんの柔らかな髪を撫でる。頬をくすぐる髪に顔を埋めるとラピスの匂いが濃くて、すんすんと匂いを嗅いでしまう。春の優しい雨上がりみたいな匂いは、心がシン、とするみたいに落ち着いていく。


「ん、んーくすぐったいのーちょっとだけなのー」

「うんっ! ちょっとだけね! ちょっとだけ!」

「しかたないなのー」


 身をよじっていたラピスが力を抜いて背中をぽんぽんとあやしてくれる。小さなぷっくりした手の音が耳に心地よくて、勝利酒の布袋を倒さないように傍に置いて、ぎゅっとラピスに抱きついた。


「ラピス、ありがとう」

「どういたしましてなのー」


 くるんくるんの誘惑から離れてお礼を言うと、ふにゃりと緩ませた青い瞳と目が合った。胸がきゅんとしてもう一度、ぎゅっと抱きしめて、くるんくるんの誘惑にすり寄ってしまう。


「ん、んーくすぐったいのーちょっとだけなのー」

「うんっ! ちょっとだけね! ちょっとだけ!」

「しかたないなのー」


 やっぱりあと少しだけ。

 ベルデさんの意中のお姫さまに会いたいって言ったのは私だけど、知らない人が沢山いる中に一人で行くのはやっぱり勇気がいる。あと少しだけラピスから勇気をもらったら行くと決めて、優しい雨の匂いを求めて目を閉じた途端。


「また、かれんお姉ちゃんがいちゃいちゃしてる」

「ひゃあ! お、お、オーリ君、いつからいたの?」

「まあまあ前からいたよ。かれんお姉ちゃんはさ、ちょっとは回り見たほうがいいよ。ほら、清めの儀式が始められなくて困ってるぜ」

「ふえっ? そ、そうなの?」

「うん。ほら、入り口から見てるの俺の姉ちゃん。早く行きなよ」

「ひゃああ! オーリ君、あ、ありがとう!」


 慌てて立ち上がり、走り出そうとした私の涼しげな麻素材の白ワンピースに鯉のぼり色で波模様がぐるりと刺繍された裾をラピスがくいっと掴んでいるのを見て、ちゃんと挨拶をしていなかったことを思い出して、もう一度しゃがみ込んで青い瞳と目を合わせる。


「ラピスのおかげで勇気が出たよ、ありがとう。いってきます」

「いいよだぜーなのー。わすれものだぜーなのー」

「ああっ、本当だ! 手ぶらで行くところだった、ラピスありがとね」

「どういたしましてだぜーなのー」


 オーリ君が現れた途端に悪い子風の口調に変わるラピスが可愛くて愛おしくて、胸がきゅんきゅんしてしまう。ラピスが差し出す勝利酒の布袋を受け取らないで、ときめき苦しい胸を押さえていると、ラピスが青い瞳を心配そうに揺らして覗き込んできた。煌めく太陽の下で見るラピスの青い瞳は、青い光が輝いてくるような青色で吸い込まれるように見惚れてしまう。


「だ、か、ら! かれんお姉ちゃん、すぐにいちゃいちゃしようとするなってば!」

「ひゃあああ! お、お、オーリ君、ち、ちが、ちがうんだよ! あの、ね、ラピスの瞳がきれいだったからで、その、あの……」

「そういうのをいちゃいちゃって言うんだぞ! ほら、勝利酒忘れないで持つんだぜ」

「う、うん! ありがとう」


 今度こそ勝利酒の入った厚手の茶色の布袋をラピスから受け取る。革ひもが手に馴染む袋には、右端に家紋のような太い円の中に、花と鯉のぼりが泳いでいる刺繍がされていて、そっと手でなぞると村長さんの家の門をくぐり抜けた。


「オーリ君のお姉さん、遅くなってごめんなさい」

「いえいえ、オーリからかれん様がいちゃいちゃすると聞いてましたから、少し早めの時刻をお伝えしていたんです」


 ぽかんと口を開けた私を見て、オーリ君と同じ優しそうな織部色が揶揄うようにぱちんと片目をつむり、いたずらに成功したというような顔で笑っている。


 オーリ君のお姉さん——私と同じような麻の白ワンピースに織部色の髪を低く結んだリリエさんに、村長の家屋に案内される。

 夏めく日差しを防ぐための大きな屋根のひさしの下は、風通しの良い間取りなのか爽やかな風が頬を撫でて涼しく感じる。


「姫さまは、かれん様に会うのを楽しみにしているんですよ」

「えっ、本当ですか?」

「ええ。姫さまがそわそわしているので、私が何度も見に行ったんですよ」


 くすくすと思い出したように笑うリリエさんは姫さまと仲が良さそうで、姫さまに会うのが楽しみになってきた。


「こちらでお待ちくださいね」


 リリエさんに案内された客間に座る。

 手触りもさっぱりした花ござが敷いてあり、涼しげで夏らしい。

 勝利酒の入った布袋を置くと、ロズが言っていた勝利酒の詳しい説明を確認しようと下を向いて布袋を開けようとしていたら、すっと扉が開いた音がした。


「——お待たせしました、かれん様」


 視線を向けると、凛とした声の美女が立っていた——。

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