1-6 聖女は一日三回を希望される



 当たり前のように、キスをすると言ったノワルの言葉に、私は目を丸くした。

 たっくん、私、いきなり大ピンチみたいです……。


「へあっ? ノ、ノワル……もう一回言ってもらえる?」

「花恋様が望むなら何度でも。『キス』と言った。もちろん口と口でするやつだから、魚のキスを食べるとかトボけないでね」

「はい……。あの、他に方法はないの?」


 魚のキスや頬っぺにキスとか、と現実逃避していたのはノワルにはお見通しだったらしい。

 悪い笑顔で笑われてしまった……悪い笑顔の色気がすごくて心臓が跳ね上がってしまったのは内緒だ。


「あるよ。その方法だとしばらく魔力は貰わなくても平気になるよ」

「そっちがいいですっ!」

「花恋様は、大胆だな。彷徨いの森を出発するのが遅くなるが、……今からみんなで交わる・・・・・・・?」

「ふえっ! な、な、なんでそうなるのっ?」


 ノワルは意表を突かれたような顔をしたが、すぐに納得したように表情を和らげ、頷いた。


「心配しなくていいよ。鯉は、一匹のメスと複数のオスが交尾をするから問題ないよ」

「——無理っ!!」


 パニックになった私は、絶叫をしてしまった。

 ノワルは綺麗な瞳を細めて、喉の奥でくつくつと笑い声を漏らす。


「花恋様、慌てすぎだよ。時間はかかるだろうけど、一対一でも構わないよ」

「ひゃあっ! ノワル、それも無理だよ……っ!」


 顔を真っ赤にして、慌ててノワルを見上げれば、ノワルが片手を伸ばしてあやすように私の頬をなぞる。その視線から逃げるように顔を横に向ける。


「花恋様、俺たち聖獣は花恋様の魔力を食べないと死んじゃうんだよ。元の世界にも戻れないし、花恋様はそれでもいいの?」


 私はふるふると首を左右に振る。

 ノワルをちらりと見ると、目が合ったノワルは甘く微笑みを浮かべて、私の頭をゆっくり撫でる。

 ノワルからお日さまのぽかぽかした春の匂いがして、こんな時なのに、とっても癒やされる。

 

 そんな言い方はずるいと思う。

 ノワルの手のひらの上で転がされていると思うのに、嫌だと思えない自分にも困ってしまう。


「——キ……ス、にする……」


 ノワルの執事服の黒ジャケットをきゅっと握りしめる。覚悟を決めて、ノワルを見上げる。耳までじんじん痛いくらい緊張している。


「あ、あのね、……私、キ、スするの、初めてで、できればお手柔らかに──」


 見つめていたノワルの瞳が、ぱちぱちと数回瞬く。

 ノワルの手が、ノワルと同じように黒い私の髪を優しく撫でる。


「花恋様は、かわいいね」


 ノワルに優しく体を抱き寄せられると、お日さまのぽかぽかした春の匂いに包まれる。

 すごく安心するような匂いに、緊張していた体から、ふにゃりと力が抜ける。

 頬に手を優しく添えたノワルの顔がゆっくり近づく。


「——花恋様、目を閉じて?」


 慌てて、ぎゅっと目を閉じると、くすりと笑われる。

 私の唇に、ノワルの唇が軽く触れた。

 小指がほんのり淡く金色に光ると、すぐに消えた。


今は・・、花恋様のペースに合わせるよ。でも、これだと一日最低三回は必要かな」

「へっ?」


 私が呆気に取られ、ぽかんとノワルを見上げると、ノワルがにこりと微笑んだ。

 ノワルに優しく腕を取られ、ソファにへなへなと座り込む。ロズが横にぴったり座ると、私をじっと見つめる。


「カレン様、次は私の番ですよ」

「ふえっ?」

「カレン様は、ノワルは良くて、私は駄目だと言うことでしょうか?」

「ええっ? 違うの、違うんだけど……その、ロズは女の子でしょう?」


 ラピスの「やっちゃったのー」と小さな声が聞こえ、ノワルは、くくっと笑いを堪えたような表情を浮かべていて、なんだろう、と首を傾げた瞬間。

 すうっと、回りの温度が下がった気がした。


「はあ……カレン様、私は男ですよ」


 ロズが大きくため息を吐いた後には、暫くの沈黙に包まれ、気まずさが募る。

 沈黙を破ったのは、ロズの言葉だった。


「カレン様は、鯉のぼりの歌をご存知ですか?」

「えっと、屋根より高いから始まるやつかな?」

「ええ、それで合っています。では最初から歌って頂いてもよろしいでしょうか」


 肩下の赤い髪をいつの間にかひとつに結び、執事服を着たロズに有無を言わせない笑みで頼まれる。

 こくこくと全力で首を上下に振る。


「——大きい真鯉はお父さん〜小さい緋鯉は子どもたち——」

「カレン様、分かりましたか! 小さな緋鯉は子どもなんです。お母さんなんて、ひと言も言っておりません」

「すごい! 本当だ……っ! 赤色だから女の子だと思い込んでたよ」

「赤色は女の子だけの色ではありません。赤色は、ヒーローの色です。スーパー戦隊のキラメイテヨジャーの中心にいるヒーローも赤色ですっ!」


 ロズがにっこりと愛らしく微笑む。


「——ロズ、勘違いしていて、ごめんなさい……」


 ロズが私の額に口づけを落とす。柔らかな感触と、若葉が芽吹くような瑞々しい春の匂いに包まれる。


(あれ、なんかすごく大切な事を見落としてるような……?)


 すごく癒される匂いに、頭が働かなくて、くたりと力が抜けて寄りかかると、ロズが腰に腕を回して支えてくれる。回された腕が、力強くて男の人なんだと実感する。


「カレン様、目をつむって下さい……」


 耳元で囁かれ、びくっと肩を揺らすと、「かわいいですね」とくすっと笑われてしまう。

 ぎゅうっと瞼を閉じると、ロズのすらりと長い指に私の顎を掬われる。

 ほんの少しの間。

 ロズの唇が、ちゅ、とかわいい音を立てる。

 小指がほんのり淡く金色に光ると、すぐに消えた。


「カレン様、私も一日最低三回は必要そうです」


 ロズは、いたずらっぽく笑みを浮かべてそう言った。

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