第36話 漢、婚約者と二人きり(色めくとはならない)1
満天の星を仰ぎながらユリウスは胸の奥から吐く。
ふぅー、と声までなった息を耳にする者はいない。
小高い丘に一人だけでいた。胸の前で腕を組んで仁王立ちしている。
考えを巡らせているのだが、ここは戦場だ。自分の陣営内とはいえ、油断は出来ない。
向かってくる微かな足音を名だたる騎士の耳は逃さない。
やや緊張を孕み振り返ったユリウスだが、たちまちにして相好を崩す。
「どうした、王女。まさか一人ではないよな」
冗談のつもりでした確認が、「はい、一人で来ました」とするプリムラの返事だ。
慌てて近寄るユリウスは、きょろきょろといった調子で周囲を見渡した。
「危ないぞ。この頃はアサシン連中がどう紛れ込んでいるか知れたものではないからな。高貴な身分であるからして、用心に用心は越したことはないぞ」
「だからわたくしはユリウスさまの傍へ参りました」
と、にこり笑って返された。
会話のやり取りよりもプリムラの笑顔に一本取られたユリウスだ。熊かゴリラかとする図体を丸めては、照れ臭そうにこめかみをかきだす。
「そ、そう言ってもらえるのは嬉しいが、やっぱりだな。一人は危ないぞ。せめてツバキかニンジャの誰かについてもらったほうが良いのではないか」
「今晩は特別です。ユリウスさまと二人だけでお話をしたかったのです」
そうか、とユリウスはせめてといった感じで提案する。座って話そう、と近くの岩を指す。ポケットからハンカチというより手拭いを出しては敷く。どうぞ、と取る手の仕草は似合わないゆえに可愛らしさがある。
ありがとうございます、とプリムラがちょこんと座る。
隣りへユリウスが、ドガッと風を起こして腰掛けた。
煌めく星空の下、姿見のタイプは全く正反対な男女が仲良く岩を椅子にして並んだ。
そう言えば王女、とユリウスが先に口を開いた。
「イザークが褒めていたぞ。戦闘を前に着替えた王女の格好は適切だそうだ」
プリムラは屋敷ですごすような動きやすい姿をしていた。深緑とする彩りはここ戦場では地味に映る服装である。
当然です、とするプリムラの返事に、いやいやとユリウスはかつての事例を話しだす。
ある公爵令嬢が第十三騎兵団へ帯同したいと申し出てきた。戦場とは一度どんなものか、見学したいという理由だ。
「ずっとドレスでいてな。良くはないが、しょうがないとしたんだが、もっと近くでとされた時は正直まいった。イザークなんかは怒り心頭だったぞ」
「その公爵令嬢さまはドレスのまま最後まで見ていらしゃったのですか」
「それが、戦闘が始まるや否や失神してしまってな。いったい何しやって来たんだという始末だ。今となれば、まぁそんなものだと思えるが、当時は本当に迷惑だった」
珍しく悪し様に述べるユリウスは考え込む際の癖で両腕を組んだ。
ふふふ、とプリムラは軽く握った右手を口許へ当てた。
「わたくしは気を失ったりしないからお連れくださったのですね」
「ああ、王女なら俺が何をしているか、目に出来ると思った」
「はい、見ておりました。ユリウスさまのご活躍と戦況全体を最初から最後まで」
ユリウスは組んだ腕を解けば、両手を両膝へ乗せた。
「すまない、見ててしんどかっただろう」
返事は上がらなかった。目を向ければプリムラはうつむいている。気を遣うあまり言葉が出てこないと踏んだ。
「いいんだぞ、王女。素直に言ってくれて。俺たちは婚約しているのだからな。あっ、でも待てよ。婚約破棄されっ放しの俺が婚約を特別に親しい関係と解釈するなどおこがましいか」
「いえ、そういうわけで黙ってしまったわけではありません。むしろユリウスさまが気にかけずにすむように気を遣ってくださいますおかげで、わたくし自身も変に遠慮せずに考えられるようなりました」
自爆気味の発言が功を奏したようだ。面を上げたプリムラはさらに続ける。
「母はいつもわたくしに、意見するな、と申しておりました『おまえのような小賢しい女が男に一番嫌われる』って」
「王妃は意外に乱暴な言い方をするお人だったんだな」
ユリウスのややピントのずれた方が、ちょっぴりプリムラは口の端を緩ませる。
「いえ、母は堅苦しい言動を常としておりました。ただ病により王妃の座を降りてからは精神的失調で、かなり不安定な言動が目立つようになってしまいました」
おどおどし始めるユリウスだ。どうやら辛いことを思い出させてしまったことに気づけば、どういった態度を取るべきか。眉間へ皺を寄せてうんうん唸っていれば、頭を絞っている様子が一目で知れた。
「王女。なんだ、そのぉ、無理はしなくていいぞ。うん、そうそう。話したくなったらでいいんだ」
「では、今お話ししたいを言ったら聞いていただけますか」
「もちろんだ。王女の話したい時が今ならば、いやいや今だけじゃなくて、いつでもいくらでも言ってくれ」
ふっとプリムラはユリウスから視線を外した。
星屑の蒼い輝きを仰ぐ。
ユリウスには昼間はかわいいとする横顔が今夜は別物に映る。深刻さが際立っている。
けれども、どきりとするほど美しい。
「母は亡くなる前によく申しておりました。囮のまま最後を迎えられたほうが良かった、と。母娘共々、王弟の差し向けた傭兵に殺されたほうが幸せだった。少なくとも成長したわたくしの有り様に、あの場で死んでおくべきだった、と何度も申しておりました」
この告白にユリウスは考え込む余裕すら持てなくなった。
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