第18話 漢、勘弁して欲しいと言われる(配下からです)

 深緑のエプロン姿にユリウスは感極まって叫んだ。


「これは森の妖精ではないか」


 プリムラは頬を赤らめる。ユリウスさまったらぁ、と頬へ両手を添えた。恥じらいのポーズが闘神と名を欲しいままにする騎士を、うおぉおおお! と叫び悶えさせた。


 少々可笑しなリアクションであるものの、微笑ましいには違いない二人のやり取りだった。だが侍女ツバキは役割りをこなすべく厳しく意見する。


「姫様。愛する方からの賞賛に舞い上がるお気持ちはお察し致しますが、家の主であるユリウス様の状態をまず第一にお考えください」


 珍しくプリムラは「ツバキの言う通りです」と素直にうなずく。なぜなら初めは驚いていたのだ。


 いきなり屋敷の玄関ドアが音を立てて開いたと思ったらだ。

 傷だらけの男が飛び込んできた。即座にユリウスと判ったものの、そこかしこ血を滲ませている。激戦直後みたいな、ぼろぼろの姿だった。

 けれどもユリウスである。己の状態などお構いなしだ。婚約者がかわいいとする雄叫びを上げる。いきなり示す感動の勢いにプリムラはすっかり飲まれてしまった。

 飲まれたままではいられない。夫となる人は血だらけだ。まずは甲冑を初めとする戦闘具を外す。シャツ一枚の姿になれば、まず浴場へ連れて行こうとした。まずは清潔にしなければならない。


 ここでユリウスが押しとどめてきた。


「待ってくれ、王女……じゃなくてプリムラ王女。まだ我ら婚約中の身。婚儀を済ますまで、あられもない姿は見せたくない」


 まだ王女を外せない将来の夫が見せる生真面目さに、プリムラはうなずきつつもだ。


「わかりました。けれども上半身は裸できてください。傷薬を用意してお待ちしております」

「いや、そこまで手を煩わせるわけには。薬くらい自分で塗れるぞ」

「とても手が届くと思えない場所にも傷口がございます。少なくとも背中はわたくしに塗らせてください」 


 わかった、とユリウスは返事するだけではない。


「さっさと急いでしっかり洗ってくるぞ」 


 張り切って浴室へ向かっていく。

 湯気を立たせた逞しい上半身裸が現れるまで、さほど時間は要しなかった。

 あら、早いですわね、とツバキが想像以上とする感想を挙げたくらいだ。

 はっはっは、となぜかユリウスは筋肉そのものの胸を張った。


「騎士たる者、何事も手早く素早くだ。特にレディを待たせていると思えば、いつにない力を発揮してみせるとも」


 気の利いた冗談のつもりなら今ひとつだし、本気ならそれはそれで妙なところで力を入れすぎだ。

 あらま、とツバキが返している。

 一方プリムラはユリウスへ腰掛けるよう仕草で示す。


「短時間できっちり綺麗に洗い上げてくるユリウスさまは凄いです。けれども早急な洗浄は傷口に染みて辛かったでしょう」

「なに、戦場へ出るたびのことだ。もうすっかり慣れている」


 椅子に座る腰巻一枚のユリウスは傷創に気を留めなければ綺麗なものだ。入浴時間の短さと良い匂いから躊躇なく石鹸を使用したようだ。常人なら悶えるほど沁みて痛いはずだ。


 プリムラへ、ユリウスは背中を向けた。

 傷口に石鹸など何ともないユリウスだ。が、薬を塗るため直に触れてくる婚約者の手には敏感になってしまう。冷んやりしながら柔らかい感触にもぞもぞしてしまう。 

 何だか申し訳ない気分が湧いてきた。


「ホントに王女、背中だけでいいからな。気持ちが悪いだろう、人の肉が裂けているところを見るなどは」


 気遣ってであるが、無遠慮な表現は相変わらずだ。

 薬を塗るプリムラの手は止まらなかった。


「わたくしは騎士とする方へ嫁ぎに参りました。ならば負傷にいちいち騒くなど、いかがなものでしょう。どうかお気になさらないでください。それに……」


 それに? と訊き返すユリウスは背中を預けているから表情は窺えない。 

 

「傷だらけとなったお姿は、あの日を思い出させます。むしろ望むところです」

「それは心強いな」


 何気なく答えているユリウスであるが、心のうちは感激で渦巻いている。

 三人の婚約者はいずれも戦いからの帰還直後に会うことは嫌がられたものだ。


 一人目のモニカ嬢には怪我している姿を目にするのが辛いだった。

 二人目のエリス嬢にはそんな酷い姿で現れないで欲しいだった。   

 三人目のダリア嬢には血臭が耐えられないと言われた。


 貴族の令嬢であれば仕方がない。自分のほうが配慮が足りない。だが一方で怪我をすればすっ飛んできてくれた翼人つばさびとたちや、後でこっそり状態を確認しにくる親父殿が頭を過ぎる。


 負傷とは縁遠い上流階級の者を伴侶にするならば仕方がない。そう諦めていた。

 プリムラは王女という、より高い身分にある。だからとても意外だった。

 血や醜い傷に触れることさえ厭わない。今までにない婚約者が、安心からか。心地良さを感じる。急いで帰ってきて良かった、としみじみ思う。


 だから背中のおかしなやり取りはあまり気にならなかった。


 ぽかんっと頭を叩く音が立つ。姫様、はしたのうございます、とツバキがする台詞も気にならない。

 ちょっと興奮しちゃっただけじゃない、とプリムラが思わず口走っている。これには訊ねようとしたユリウスだ。しかしながら暇がなかった。


 威勢よく駆け込んできた来客があったからである。失礼しまーす、と騎兵服の一人がいちおうの挨拶を張り上げて、どんっとドアを開けて姿を見せる。背後から同じ格好をしたもう一人が続いた。


「まったくぅ〜、勘弁してくださいよ、団長ぉ〜。オレらが追いつけない早さで行くなんて大したもんすぎですよ」

「イザーク、カンカンなんだよね。ほっぽり投げすぎだろ、これはー! て、こっちに八つ当たりしてきたので逃げてきた」


 ヨシツネとベルの両者が挨拶もそこそこにユリウスへ文句を投げつけてくる。どうやら半裸で婚約者から手当てを受けている姿であっても遠慮していられないらしい。


「すまん、すまん。でも勝利を確信してから離脱したつもりなんだがな」

「そうかもしれませんけど、勝ち鬨の最中に離脱なんてします? 合同戦線を張っていたトラークーの団長が事情を察してくれていたからいいものを」

「せめて勝ち鬨が終わってから……じゃない、せめて事後の確認をしっかりしてからにして欲しいな」


 ふぅーと息を吐くようなヨシツネとベルのお説教である。

 わ、わかった、と上司が非を認めると同時だ。

 二人は配下としての姿勢へ入る。片膝をつき、首を垂れ、恭しく述べる。


「王女殿下にはお見苦しいところをお見せして申し訳ございませんでした」

「突如の訪問で騒ぎ立てたこと、ベル・デオドール及び横のヨシツネ・ブルームハートを含めた両名、深く恥じ入ればお詫び申し上げます」


 厚みのある半裸をさらすユリウスの背後からプリムラはひょこっと顔を出す。黄金の髪は陽が当たらない室内でも輝くようだ。


「まるで奏上のようなご丁寧な謝罪には痛み入ります。でもどうかユリウス様の性急とする行動についてはご容赦ください。わたくしを先に屋敷へ行かせたことで、重大な懸念に抱えたままで戦場へ赴いたせいなのです。」


 あっ、とユリウスが思わず叫んだ。プリムラの顔を見たら可愛さにやれて頭の中から飛んでいた。

 膝をつく配下の二人は事情を知らない。なれば何事かと緊迫を走らせている。

 空気を読めば、さすがにすっかり忘れていたなどと口に出来ない。


 ユリウス様、とプリムラが呼んだ。顔を向ければ、表情でこの場で話していいか判断を仰いできている。


「こいつらにもいずれ聞かせることだ」


 わかりました、とプリムラが返せば、ツバキがそそくさと近寄ってくる。手にした冊子を差し出した。


「当屋敷の執事兼侍女長であったセリカ・クグルスは昨晩に出奔いたしました。原因はこの帳簿を見れば判明するかと思われます」


 さっそく手にした帳簿の頁を開けば、ユリウスの目は険しく寄った。

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