第7話 漢、その記憶(そう、あの時だ!)〈2〉
見た目は大人っぽい。それは好意的な表現である。
忌憚なく述べれば、歳の割りにはおっさんとするユリウスの容姿である。顔や身体の線まで太い。骨格と相俟って人生の滋味を味わってきた風格さえ湛えていた。
幾度ない戦場の経験が大人とさせた、というわけではなく翼人の里を離れたばかりの頃からだった。まだ少年と呼ばれてもおかしくない年齢から、いいおっさんの雰囲気を備えていた。要は生来からの見た目なのである。
おかげでまだ十三歳にならないユリウスに対する巨軀の騎兵の言い草ときたらである。
「何者だ。この辺りで鍛冶屋でもやっている主人か」
店を構える熟練の職人工に見られていた。
当時のユリウスは実際に若かったせいで、現在のように「これでも若いぞ!」と主張する気は起こらなかった。誤解を正すより口にしたい事柄は別にある。
「なにをしようとしているんだ」
つい先だ。疾走する馬車を追いかける馬上の騎兵たちがユリウスの目前を過ぎてゆく。それに不審を抱いたというより進行方向なので、しばらく歩んでいたら見えた。
馬車が左の後輪を破壊されて往生している。車箱に描かれた紋章と取り囲む騎兵の光景が事態を推察させる。
馬車内にいる人物たちが引きずり出された。
壮年の夫婦にその娘と見受けられる。豪奢な服に馬車に描かれた紋章が縫い付けられていれば、とんでもない地位にありそうだ。最後にお付きと思しき黒髪の少女も出てくれば、身分を
ユリウスでなくても興味は惹かれるだろう。
ただし普通は我が身を顧みて、その場から立ち去る。
現に取り囲む騎兵の一人がユリウスへ声をかけてきた。意図は明確で、恫喝だ。剣を背にした物騒な出立ちで向かってくる者を追い払う、事の次第では力づくで排除へかかってくる。三十はいるであろうか。しかも後から追いついてきた騎兵もいれば、数はますます増えていく。腕に覚えがある剣士でも抗せる数ではない。
事の次第を尋ねたユリウスに巨軀の騎兵は、命が惜しければ去れ、とだけ投げ返した。
さて、どうしたものか? 考えた矢先であった。
「やられた。王は身代わりだ」
頓狂に上がった指摘に、動揺の空気が一斉に広がっていく。相対す騎兵もユリウスどころではなくなったようだ。本当か! と訊いている。
「間違いない。王妃や王女は本物とするなど……なんと狡猾な王だ」
王妃は本物だったと確証させる反論を母親らしき女性が上げた。
「これはわたくし自ら申し出たことです。リュド王が存命であれば、我が国の騒乱も時間を開けずして収まるでしょう。卑怯はむしろ王弟にある身ながらその信頼を裏切り、かつ卑劣な急襲をかけた、そなたらの雇い主でしょう」
王妃とする者の発言から、だいぶ事情が明らかになった。追跡者は反乱側の手合いで雇い主とする発言から傭兵と思われる。
危ない、とユリウスの知識からくる本能がささやく。金による雇われ兵なれば臣下とする兵に比べ、王族に抱く敬意は相当低いはずだ。いやむしろ無いと考えたほうがいい。
不幸にも囲む傭兵は最悪の部類に入っていた。
そうか、と一人が上げた直後だ。
王妃母娘とお付きの少女へ血飛沫がかかるほど、派手に斬り裂いた。
悲鳴さえ上げる間もなく王を装っていた男は内蔵を撒き散らす。無惨な屍体となって地面へ倒れ込んだ。
「王妃は人質の価値があるかもしれないから、まだ生かしておいてやる。だがお嬢さんたちは俺たちを
「王のためならば、気高き者の一族として命を賭す覚悟は教えてあります。一兵卒では計り知れない矜持を、幼きとはいえ娘に持たせております」
ああ、そうかい、と唾でも吐き捨てるように言った傭兵の一人が剣を振り翳す。向けた先は娘のほうだ。
「それでは、高貴なるお方がどれほどのもんか試してやろう。まず王女様からだ。簡単には殺さない。まず指を一本づつ落とす。手から足へ、順繰りにじっくりな。どれだけのなぶり殺しに耐えられるか見てや……」
残虐性剥き出しの台詞が途切れた。
命を道連れにして。
胴と分かれて吹っ飛ぶ頭が地へ落ちる頃には、周囲にいた騎兵もまた斬り伏せられていた。
「申し訳ないが、高貴な方々の目前で行う蛮行を許して欲しい」
王妃母娘とお付きの少女の前に血塗られた剣を構えたユリウスが立ち塞がっていた。
事態を呑み込めなかった騎兵たちはようやく我に返る。
「おまえ、リュド王の命を受けた者かのぉ」
ユリウスを鍛冶屋の主人かと聞いた巨軀の騎兵だった。
「知らんな、この方たちが王族にあるとお前たちから聞いて知ったくらいだ」
「ならば、退いたほうが良い。今ならまだ王妃たちを大人しく引き渡すなら、見逃してやらないでもないのぉ」
「それはどうだかな。お前は良くても、周りの者たちはお仲間を殺されて腹の虫が治らないみたいだぞ」
答えながらユリウスは大剣の柄を握り直す。
少なくとも八人は斬っている。許すとされない人数だ。何より退けなくなることを承知のうえで踏み込んだ。今さら母娘を見捨てなどしない。
なぜ、とまた例の巨軀の騎兵が問う。
「縁もゆかりもない相手を命懸けで守ろうとする? これだけの数を相手に無茶としか言いようがないのぉ」
「やってみなければわからないだろ、と言いたいところだが、確かにそっちの言う通りだ。身も知らぬ相手のために、一人で向かっていくなど馬鹿げているだろう。だが……」
盗賊と化した傭兵によって生まれ故郷の集落は壊滅した。老若男女問わず無慈悲に行われる殺戮を目にしながら、どれほど祈っただろう。
誰か、誰か助けて……。
ユリウスの原風景が悲痛だけにならなかったのは、ある
胸に抱きかかえてもらえば、助からなくてもいい。自分のために来てくれただけで充分な気分になった。シスイの勇敢な行動が、救出されなくてもいい。どんな終わり方を迎えようとも納得できる覚悟を与えてくれた。
魂を救ってもらえた。
「俺の番が廻ってきたということだ。一方的に殺されそうな命のために抗う命もまたある。悲しみだけで最期を迎えさせないとする意志を見せる番がな」
こうして開戦は切って落とされた。
一人の名もなき剣士と百に届く騎兵による、誰の目にも勝敗が明らかな剣戟が始まった。
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