郵送

塚本ハリ

第1話

 「ママ~、行ってきまぁす」

 「はーい、いってらっしゃい」

 娘の凪咲なぎさを幼稚園の先生に託すと、絵梨えりは速攻で自転車に乗って自宅へと戻る。娘が幼稚園にいる間に、全てを片付けるのだ。玄関の鍵を開けるのももどかしく、ばたばたと家の中を駆け回る。寝室のクローゼットに隠しておいた紙袋を抱えると、居間の片隅に置いてあるシュレッダーを引っ張り出した。紙袋の中身はたくさんの雑誌――どんな雑誌だなんて言いたくもない。その雑誌のページが見えないよう、目を背けながら破り、シュレッダーにかけて粉砕する。本当は近所のスーパーの角に置いてある古紙回収ボックスに入れてしまえばよいのだが、こんな雑誌を持ち歩いて、もし誰かに見られたら…と思うだけでぞっとする。

 シュレッダーはあっという間に満杯になる。無理もない、家庭用の小さいサイズなのだから。ああ、昔、勤めていた会社なら一気に処分できるのに……。何度も取り出してはゴミ袋に詰める。かと思うと今度はシュレッダーが動かない。何度も裁断をくりかえしたのでオーバーヒート状態になったのだ。こうなったら一時間ほど放置してクールダウンさせないと動いてくれない。気ばかり焦って作業が進まないのは本当にもどかしい。

 ようやく全ての雑誌を、原形をとどめないまでにした。ゴミ袋は二つともパンパンだ。時計は既に十一時を回っている。せっかくの良いお天気だというのに、まだ洗濯もしていないし、朝食の皿の後始末もしていない。部屋だって掃除しなくてはならないし、クリーニング屋に夫のワイシャツを取りに行かなくては……そう思った矢先に、聞き覚えのあるバイクの音がした。程なく、玄関先でゴトッと音がする。

 郵便受けには分厚い大型封筒が……彼女はその封筒を叩きつけて子どものように泣きわめくしかなかった。


 「日菜子ひなこ、最近、どう?」

 「うん、なんとか落ち着いている」

 「良かったぁ。一時は本当に自殺しかねない負のオーラ漂っていたもんね」

 友人の言いぐさに、日菜子は思わず苦笑した。そんなにひどかったのだろうか。

 地元のファミレスで、のんびりランチを楽しむ三十路半ばの女たち。片方はシンプルなワンピースにカーディガンを羽織った、気取らないナチュラルな雰囲気。どこかホッとできる温かいオーラをまとっている。もう片方は、Tシャツにジーンズのカジュアルな雰囲気ながら、耳の大きなピアスが粋に見える、垢抜けた美人だ。

 ジーンズ美人の美月みつきとは高校時代からの付き合いだ。日菜子が結婚して子どもを産み、主婦になってからも、何くれとなく付き合ってくれている。美月は未だ独身だが、それをあまり苦にしていないフシがある。日菜子と違ってハキハキものを言う美月。やや空気を読まないところがあり「みんなで一緒」とか「お揃い」などには目もくれない。かといって、そういうのをバカにするような態度は一切見せないのが、彼女の賢明なところだ。

 「ウチはウチ、よそはよそ」を徹底しているからこそ、タイプの異なる日菜子とも長続きするのだろう。

 「はい、これ。名古屋のお土産。チューブ入り赤味噌だよ。いろんな料理に使えるって」

 「ありがとう。これ、前にお姉ちゃんも買ってきてくれて、おいしかったんだよね。こっちのスーパーでも売ってくれればいいのにって思うよ」

 航空会社勤務で、国内線の客室乗務員をしている美月は、日々忙しく全国を飛び回っている。その合間を縫っては、こうやって日菜子のことを気にかけてくれるのだ。

 「そうそう、佳菜子かなこ先輩は元気?」

 日菜子の姉、佳菜子は二歳年上。高校時代はバスケットボール部に所属し、美月とは先輩・後輩の関係だった。その名残もあって、今も友人付き合いをしている。

 「うん、元気元気。相変わらず子連れでコンサート参戦してる。この前は向こうのお義母さんも一緒に連れて札幌に行ってきたし」

 「わ~! 祖母・親・子の三代で推し活かぁ。いいねぇ」

 「うちのママは呆れているけどね、いい年して何しているの! って。でも、お義母さんも同担で一緒になって楽しんでいるから。『息子だと一緒に行ってくれないから、嫁と孫と一緒に押し活に行けるなんて嬉しい!』って言ってくれて」

 「いいねぇ、世の中の嫁姑関係って、ギスギスしているのが多いのに。そうよ、日菜子も何か推し活すればいいのよ。これまでが結構しんどかったんだから、そういうことをやって心のリハビリをしていけばいいの」

 「うん……」

 「それにしても、例の人は何かあったの?」

 「それが……よく分からないんだよね。けど、いつも何かに怯えているような感じだし、ランチやお茶にも全く来なくなって……あの頃のママ友グループも、なんか空中分解した感じだし」

 「ふーん、誰かに訴えられたんじゃないの? 話を聞いた感じだと、かなり人の恨み買っていそうだし」

 「うん……」

 「ま、気にすることないよ。せっかくママ友イジメから逃げられたんだから」


 話は半年ほど前にさかのぼる。日菜子の子どもが通う幼稚園で、ママ友同士の陰湿なイジメがあったのだ。

 主犯格のママは、絵梨という女性。日菜子によると、人懐っこくて明るく、ノリの良い人だからと、送迎の合間にみんなでお茶をしたり、ランチを楽しんだりと、最初の頃はさほど嫌な雰囲気ではなかったそうだ。だが、次第にランチやお茶の席で、他人を「いじる」ようになっていったらしい。日菜子のように、大人しくてあまり自分の主張をしないタイプは格好のターゲットになったようだった。

 「その服、前も見たけどお気に入りなの? いっつもそればっかり着ているね。他に着るものないのぉ~?」

 「親が陰キャだと、子どもも苦労するよ~。もうちょっとコミュ力つけないとダメなんじゃね?」

 気の強そうな女性だとは思っていたが、あからさまに日菜子を下に見ては、そんなことを言う。そのくせ最後には「あ、これはあくまでもアドバイスだからね? そんなに深刻に受け取らなくてもいいよ」とフォローする振りをするのが狡猾だった。

 日菜子が、自分が彼女とその取り巻きたちの標的になったらしいと認識したその頃、最悪のタイミングで「それ」はやってきた。

 日菜子の息子が、そして絵梨の娘が通う幼稚園では週に二回、英会話のレッスンを行う。その際、ネイティブの外国人講師がやって来るのだ。その講師が金髪碧眼の長身で、十中八九の女性が夢中になりそうなイケメンだった。案の定、絵梨たちがのぼせ上がり、何かと口実を設けてまとわりつく始末である。

 「やれやれ、何だってあの人らはまとわりつくんだ」

 つい英語で独り言をぼやいた講師のぼやきを聞き取ったのが、日菜子だった。彼女は流暢な英語で「すみませんねぇ。先生がハンサムなので、みんな年甲斐もなく舞い上がっているんですよ」と冗談交じりに返したのだった。

 「やぁ、こりゃ驚いた! 君は英語が堪能だね。どこで習ったんだい?」

 「恐縮です。実は独身時代に、空港のグランドスタッフとして働いていたもので……」

 「ああ、どうりで。いや、大したもんですよ。発音もきれいだ」

 ほんの数分の短い会話。しかし、それを絵梨たちに見られたのがまずかった。たったこれだけのことが「講師に色目を使っている」に始まり、挙句の果てに「講師と不倫関係にある」と話が膨らむまでに、一週間もかからなかったのだ。

 無論、日菜子も講師もその噂を否定したし、園の側も無責任な噂だろうととりなしてくれた。とはいえ、この手の噂がママ友たちの間で格好の「娯楽」になったのも事実である。白眼視され、ひそひそと陰口を叩かれる日々は、日菜子を大いに悩ませた。

 

 「……くだらないにも、ほどがある」

 深夜のファミレス。美月は低い声でそうつぶやいた。佳菜子は大きくため息をついた。彼女は、すっかり落ち込んだ日菜子のことを相談しに来たのである。

 「噂の出どころは、その絵梨って女に間違いなさそうなんだけどね。ハイそうです、なんて認めるわけもないし……」

 絵梨の言い分は「みんなが言っているのを聞いただけ」「そもそも疑われるようなことをしたあの人が悪い」「得意げに英語なんて喋ってマウント取っているからだ」などなど、悪びれずに言い放つ始末だったそうだ。

 「お待たせいたしました、ハンバーグセットとチキン南蛮定食をお持ちいたしました。ごゆっくりどうぞ~」

 黙り込んでいた二人の前に、注文した料理が運ばれてきた。

 「ま、取り合えず食べようか」

 「ええ……」

 黙々と箸を進める美月。佳菜子は学生時代の美月を思い出していた。


 佳菜子たちの引退試合の後、カラオケボックスで打ち上げの最中、歌も歌わず黙々と唐揚げを食べていた美月。その数日後、一年生部員の間で陰湿なイジメが起きていたことを、証拠を添えて顧問や監督、教頭らに伝えたのだ。

 イジメの原因は、一年生部員の一人がレギュラーに抜擢されたことだった。それを僻んだ他の一年生たちが、ユニフォームを汚したり、シューズを隠したりなどの行為に出たのだ。美月は、顧問らに報告すると同時に、イジメていた後輩をわざと練習試合などに出場させた。当然、パスもドリブルも未熟で、ボールにすら触れないような無様なプレーだった。彼女たちがレギュラーになれなかった理由を、実際の試合で嫌と言うほど思い知らせたのだ。


 「ねえ、美月。あんたまた何か企んでいない?」

 「……ええ、もちろん」

 食後のコーヒーを飲みながら、美月はしれっと答えた。

 「先輩にも協力してほしいんですけど」

 「するに決まってんじゃん、もちろん」

 「まず、その人の住所を教えてください」

 「あ、それは知っている。確か同じ西町だって」

 「じゃ、後で番地まで調べてもらえれば。それから――」

 二つ目の依頼は全くの予想外だった。

 「子ども向けのスポーツクラブや英会話スクールを回って、パンフとか資料をたくさんもらってきてください。できれば大型封筒に詰めてもらって。あと、なるべくならその封筒は素手で触らないようにしてもらえますか」


 二人の再開は一週間後、美月の住むマンションの一室だった。佳菜子は段ボール箱一杯に詰め込まれたパンフ類を渡した。なるほど、独身の美月ではこういうものをもらいに行くのは不自然に思われるだろう。

 「リトミック教室にスイミングスクール……あ、幼稚園のパンフも。さすがですね、先輩」

 「そうね、いろいろ勧誘もされたけど。ダンス教室なんて、うちの子連れて行ったら『やりたい』って言いだしてちょっと困ったわ――って、ちょっと! それ、捨てちゃうの?」

 美月はビニール手袋をした手で、封筒からパンフレットを抜き取り、片っ端から古紙回収用の袋に捨てていく。

 「すいません、実の目的はこの封筒なんです」

 「封筒?」

 「さて、先輩。次はこれです。この封筒にこの宛名シールを張っていきます。表と、裏のここ。あ、手袋はしてくださいね。指紋がつかないように」

 宛名シールには、絵梨の名前と住所が印刷されている。

 「ははーん、この封筒に何か入れて送るの?」

 「そう、子ども関連のDMなら、捨てずに一旦は開くでしょ?」

 「ああ、そうね。写真スタジオからの七五三の案内とか、つい開いちゃうもん」

 「そうか、じゃあ今度はその手のパンフももらってきてくださいよ。要は、子育て中の方ならつい手にするような会社やお店の封筒がいいんです」

 「分かった。……で、これに何を入れるの? 抗議の手紙とか?」

 「……内緒」

 美月はニヤッとして、そう言うだけだった。


 絵梨が娘とともに園から帰宅すると、郵便受けに分厚い大型封筒が届いていた。「ABC子ども英会話スクール」と書かれた封筒に、心当たりはない。資料請求なんてした覚えもないのに。何かと思って開封すると、随分厚手の冊子が入っているようだ。中身を取り出した次の瞬間、絵梨は目を疑った。

 「何、これ……!」

 「ママぁ~、どうしたの」

 娘の凪咲が覗き込もうとするのを必死に抑え、慌てて封筒ごと娘の手の届かないクローゼットの上段に押し込んだ。

 ――何であんなもんが入っているのよ!

 封筒に入っていたのは、いわゆるポルノ雑誌や成人向けのマンガ雑誌だった。それも、あどけない少女が凌辱されるような、相当にえげつない内容。薄っぺらい胸板の少女が股を広げ、恥部も露わによだれを垂らしてよがり狂っているような絵が続いている。

 幼い娘を持つ母親にとって、こんな雑誌が送り付けられること自体、恐怖以外の何物でもない。

 翌日、娘が園にいる間に、絵梨は封筒を丹念に調べた。手紙も何も入っていない。入っていたのはおぞましいポルノ雑誌だけだった。触れるのも嫌だが、封筒の裏面も確認した。しかし、送り主のところにも自分の住所と氏名が書かれた宛名シールが貼られている。表面には切手が貼っており、消印はどうやら大阪のようだ。

 幼い娘がいる家に、こんなものを送り付けるなんて、どこの変態だろう。警察に相談するべきだろうか。絵梨はひとまず、これらを使っていない手提げ袋に入れて、クローゼットの上段にしまい込んだ。

 その時だった、玄関先からゴトッという音が聞こえた。

 ――まさか?

 恐る恐る玄関の郵便受けを覗いた。ピンク色の大型封筒が入っている。「フォトスタジオ・プリンセス」と書かれたその封筒。しかし、嫌な予感しかしなかった。消印は福岡。そして案の定、中身は昨日と同じような、見るもおぞましいポルノ雑誌だった。絵梨の口から、声にならない悲鳴が漏れる。


 「――あの封筒、そんなことに使っていたんだ!」

 種明かしの場所は、遠く離れた札幌市内のバー。奇しくも美月のフライト先と、佳菜子たちが遠征したコンサート会場が札幌だったことで、現地で合流となったのだ。みんなで一緒に海鮮居酒屋で食事を済ませたのち、佳菜子の娘と義母は一足先にホテルに戻った。美月と佳菜子は、ご当地グルメの一つである「〆パフェ」を食べにススキノに繰り出していたのである。

 「昨今はネットでの誹謗中傷はしづらいでしょう。弁護士とかに開示請求されたら逃げられないし、いずれどこかでアシが付きますから」

 「そうよね、結局は自分のパソコンやスマホにつながるわけだし」

 「ただの郵便物なら、開示請求しようがない。しかも封筒の消印は全国各地で、北は北海道から南は九州と、いろんなところから届くので、相手がどこの誰かも分からない。宛名の筆跡はプリンターだし、宅配便と違ってポストから投函されているので、送り主も見つけにくい。手袋をしているから、指紋もロクに取れない」

 「うーん、恐るべきアナログ手法だわ」

 佳菜子がパフェをぱくつきながらうなずく。北海道産のハスカップソースを垂らしたパフェは、甘酸っぱくて美味だ。中のバニラアイスも、濃厚でコクのある味わいがする。2,000円もする非常に高額なパフェだが、その価値はありそうだ。

 「本当、この仕事してて良かったです。全国飛び回るから、各地のポストに封筒を突っ込めばいいだけの話ですもんね」

 「頭いいなぁ~。それに、宛名だけじゃなくて、送り先の面にもあの子の住所と名前のシールを貼ったのも狙っていたんだね」

 「さすが先輩、そこ分かってくれたんだぁ」

 美月が嬉しそうに笑った。DMなど、不要な郵便物に対しては未開封のまま「受け取り拒絶」と明記してポストに投函すれば、差出人の元に返送される仕組みがある。しかし、差出人も絵梨の住所になっているから、再び彼女の元に戻ってくることになるわけだ。

 「で、その嫌がらせの封筒は今も手元にあるんでしょ?」

 「もちろん。あとでホテル前のポストに投函しますよ。あと、この後のフライトは千歳じゃなくて市内の丘珠空港だから、そっちのポストから、もう一通送れるかなぁって」

 「それって、まだ余っている? 私も明日、新千歳空港のポストから送るわ。それくらいさせてよ」

 「ありがとうございます。ちなみに次のライブはどこなんですか?」

 「ツアーファイナルは再来月の横アリなのよね。チケットはキャンセル待ちなので、取れたらってのが前提だけど」

 「じゃ、その時は横浜から投函をお願いします」

 「うん。それよりさ、本とか切手代とか、少しは私も出すよ。結構費用がかさんでいるでしょ?」

 「まぁ、その辺はチケットショップで安く切手を買ったり、エロ本の方は古本屋でまとめ買いしているので」

 「……そう、ありがとうね」

 幼い娘がいる母親に、幼女が凌辱されるような内容の漫画雑誌を送るのは良心が咎めなくもない。だが、美月にしてみれば、日菜子には返しても返しきれない恩があるのだ。

 「高校時代、クラス内でも孤立しがちだった私に、いつもにこやかに接してくれたのが日菜子なんです。だから、こんなくだらないことで彼女が傷つくなんて絶対に許せなかった……」

 「ありがとね、美月」

 佳菜子が涙声で呟いた。日菜子はこの二人が陰で手を回していることなど全く知らないだろう。事実、絵梨が日菜子を疑ったらしいが、投函先が国内各地からであることから、彼女のアリバイは証明されている。それに、日菜子にどんな動機があるのか、それを説明すると、おのずから絵梨が彼女に対してやったことを蒸し返すことになりかねない。

 絵梨のもとには毎日のように、時には一日に二回もえげつない雑誌が届く。いい加減にしてほしいと憔悴しているはずだ。

 次のフライトは名古屋の予定だ。それが終わったら日菜子に会いに行こう。その際、絵梨がどうなっているかを確かめるためにも。

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