30.「理由」

「いや……貰うも何も、レンは別に俺のものじゃない。ただの店長と従業員だし、そんな権限は無い。まぁ、従業員というか、俺は二人で一緒に店やってるって思ってはいるが」


 戸惑いながら告げる俺を見下ろしながら、長身の魔王は「ふん」と、鼻を鳴らした。


「ならば、何の問題も無いな?」

「………………ああ……」


 何故だろう。

 そう問い掛けられて、すぐに返事が出来なかった。


 と、そこへ――


「お待たせしました!」


 例の本と羽根ペン、そしてインクを胸元に入れたレンが、その両翼で羽ばたきながら舞い戻って来た。


 先程皿を並べたテーブルの空いたスペースにそれらを置いたレンが、


「それじゃあ、お願い出来ますか?」


 と、無邪気な笑みを浮かべた。


 魔王は、


「いいだろう」


 と、首肯し、サインをしてレンに渡す。


「わぁ! ありがとうございます! 大事にします!」


 と、大切そうに両翼で本を受け取ったレンの肩を――


「では、行くか」

「……え?」


 ――魔王が抱いた。


「……えっと……その……魔王さま、どこへ?」


 困惑しつつも、振り払おうとはしないレンに、魔王はほくそ笑みつつ、告げる。


「無論、魔王城だ。今から貴様は、我のものだ」

「!」

「異論は無いな? さぁ、行くぞ」

「えっ、えっと、あの……」


 魔王に促され、レンが戸惑いながら、歩き始める。


 その様子を、俺はただただ見守っていた。


 レンは俺のものじゃない。


 ただ一緒に店を経営しているだけの関係。

 ただの同居人。


 付き合っている訳ではないし、ましてや、夫婦など有り得ない。


 それに、レンの意思はレンのものだ。

 レンは確かに、魔王に惹かれていた。

 だから、魔王は無理矢理レンを自分のものにしようとしている訳ではない。


 更に言えば、もしレンが拒絶しようと思えば、出来るはずなのだ。

 が、肩を抱かれて、歩くように促された彼女は、振り払う素振りも見せない。


 それはつまり……そういう事なのだろう。


 別に良いじゃないか。

 ただ、一緒に経営してくれる者がいなくなっただけだ。


 また別の誰かを探せば良い。


 何なら、別に俺一人でも、眼鏡屋を経営するのに困りはしない。


 そう。

 困りはしないんだ。

 何も問題は無いんだ。


 そう、何も……

 何……も………………


 ――突如――


 バッ。


 ――魔王が、二対の巨大な漆黒の翼をその背に生やし、広げ――

 ――レンを連れて飛び立つ――


 ――直前に――


「……何のつもりだ?」


 ――気付くと俺は、魔王の翼に手を掛けていた。


 そして――


「待て。レンを連れて行くな」


 ――そう告げていた。


「ほう。この我に意見するとはな」


 振り向いた魔王が、眉を上げ、意外そうな表情を浮かべる。


「だが、何故だ? 貴様にとってこの娘は、ただの従業員だろう? 連れて行ったところで、何の問題もあるまい。人員を補充すれば良い。貴様の経営する眼鏡屋の評判は良い。募集を掛ければ、すぐに集まるであろう」


 翼を閉じた魔王が、そう指摘する。

 確かに、そうだろう。

 

 だが――


「そういう問題じゃない」


 俺は、首を横に振った。


「では、何が問題だと言うのだ?」


 魔王の問いに、俺は――


「レンが俺にとって、〝大切な存在〟だからだ」


 ――ぽつりとそう呟く。


「大切な存在? そんな曖昧な言葉では、分からぬな」


 鼻で笑い、嘲る魔王。


 ――俺は――

 ――今まで気付かなかった気持ちを――


 ――本当は心の奥にずっとあった、この気持ちを――

 ――はっきりと、言葉にした。


「俺は、レンが好きなんだよ!」

「!!」


 俺が叫ぶと、レンが目を見開く。


「レン、行くな! お前が好きなんだ!! 俺の傍にずっといろ!!!」

「!!!」


 レンの目から、大粒の涙が零れる。


 それを見た俺は――

 ――直感で〝想いが伝わったのだ〟と――

 ――通じ合ったのだと、分かり――


 ――深い安堵と共に――

 ――心が温かい〝何か〟で満たされて行くのを感じる。


 そんな俺たちの様子に――

 ――魔王が、再び漆黒の翼を広げ――

 ――俺を、その冷酷な双眸で見下ろすと――


「ふん」

「!」


 ――先刻よりも更に巨大な魔力が、膨れ上がった。

 迸る〝黒〟を纏った魔の王は、俺に問い掛ける。


「我に楯突く事。それ即ち〝死〟を意味するが、覚悟は良いか?」


 唾を飲み込んだ俺は、


「『防御プロテクト眼鏡グラッシーズ』」


 と、自分の眼鏡を変化させると同時に、既に防御機能を持たせているレンの眼鏡にも、重ね掛けした。


 俺たちはそれぞれ、防御魔法の光に包まれるが――


「貴様の不可思議な力も、我には効かん」


 嘘でも誇張でもなく、ただ〝事実〟を述べるが如く、魔王がそう告げる。


 恐らくそうなのだろう。

 先程も、コイツは〝ステータス眼鏡〟の効果を防いだ。

 俺の〝眼鏡〟の力は、コイツには通用しない。


 しかし――


「それがどうした!」


 ――〝この気持ち〟に、気付いてしまったら、もう――


「ちょっと脅されたくらいで止められるような想いじゃないんだよ!!」

「!」


 ――レンを諦める事なんて、出来なかった。


 ピクリ、と、魔王の片眉が上がる。


「良かろう。では、我に攻撃をする術を持たず、我の攻撃を受ける策も無い貴様に、望み通り、〝死〟を与えてやろう」


 魔王は、俺に向けて無造作に手を翳すと――


「死ね。『漆黒獄炎ジェットブラックヘルファイア』」


 ――黒く燃え上がる地獄の猛炎を放った。

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