巡回キャットウォーク問題

雨籠もり

巡回キャットウォーク問題

 先輩が猫を飼い始めたというので、どれどれと先輩の家にまでついて行ってみたのだが、どうにもその様子がおかしい。確かにそれは猫猫しい黒猫なのだけれど、明らかにしっぽが三つに分かれている。

 これって猫又っていう妖怪なんじゃないですか、と僕が問うと、先輩は少しむっとしたように表情を歪ませて、「失礼だな、きちんと保健所から引き取ったよ」と頬を膨らませる。

 いやいや。

 なんの反論にもなっていない。

 先輩によれば、その猫の名前は「ブシャキャット」というらしい。縮めて「ブシャ」。初めて会ったときに「ブシャーッ」と鳴かれたことに由来しているそうだ。

 がっつり警戒されているじゃないか、と僕は思うけれど、はたから見ている限りは結構懐かれているように見える。僕なんて、撫でようと手を伸ばしたところでぬるりと避けられてばかりだ。ブシャは先輩の膝のうえを気に入っているみたいで、専用のクッションを買ってあげたんだけどな、と先輩は苦笑する。

 そんな先輩の膝のうえで、やはりブシャはブシャブシャと口を鳴らしている。


 ブシャが消えてしまったのは、先輩が信号無視の車に轢かれて死んだその次の日のことだった。

 ひとまず匿っていていてとブシャのことをとりあえず預かることにしたその夜に僕は、ブシャのことを見失ってしまった。飼い主のところへ戻ろうとしているのかもしれないと先輩のいない先輩の部屋を訪ねてみるけれど、やはり先輩がブシャのために買い直したという専用のクッションは持ち主不在のままだった。

 ブシャはどこへ行ってしまったのだろう?

 先輩のよく通っていたという書店。先輩が所属していたサークルの部室。先輩が勤めていたアルバイト先――けれどやはり、どこにもいない。ブシャはどうやら、すっかり消えてしまったらしい。

 そういうわけで、私は探偵を雇うことにする。

「また猫探しの依頼ですか」

 探偵はそう言ってトレンチコートをばっと脱ぐと、鹿撃ち帽を帽子かけに引っかけた。

「お友達が亡くなったって導入の時点で、ようやく殺人事件の捜査かと胸を躍らせたのですが、どうやら早とちりだったみたいですね」

 お友達ではなく、先輩ですよ。

「そこって重要です?」

 振り返る探偵。

 どうだろう。

 重要なのだろうか?

 探偵は女子高生で、年齢は十七歳。SJKDだよと言っていたけれど、これはどうやら

Second JOSHI KOUSEI Detective の略であるらしい。最近の女子高生は分からない。ややこしいから名前を教えてくれと頼むと、SJKDは如何にも気乗りしないといった様子で、

「里宮ゆゆ子」

 とぶっきらぼうに答える。

 どうやら自分の名前があまり気に入っていないらしい。

「ではさっさと取り掛かりましょう」と探偵は言う。

 さすがは猫探しばかりを専門にやってきた彼女とも言うべきか、何をすべきかはすべて彼女の灰色の脳味噌に記録されているらしい。

 探偵は「失礼」と一言断って自室に飛び込むと、途端に、おそらくは学校指定であろう青色のジャージを着こんで現れた。

「猫という生き物はですね、脱走した以後は、神様のところへ行きたがるものなんですよ」

 と探偵は言う。意味が分からないが、そこには専門家特有の知識や経験というものがあるのだろう。黙って僕は探偵の背中についていくことにする。

 えっちらおっちらと進む探偵の背中に、僕は少しだけ先輩の姿を重ねる。

 先輩との初めての出会い――というか、こういったほうがいいだろう――ファーストコンタクトは、下水道のなかだった。

 言っている意味がまったく分からないだろうが、こうして過去を回想している僕にしてもまったく意味がわかっていない。サークルの新歓で慣れないお酒をたらふく飲んで、ぐでんぐでんになってお店の外の手すりによりかかったそのタイミングで、真夜中であるにも関わらずざっぷざっぷと下水道を掻き出している先輩と出会ったのだ。

 衝撃と動揺と、そして酔いの勢いがあったのだろう。

 なんとなく、「何をしているんですか」とか「そこで何してるんですか」と僕は問うた気がする。

 質問の内容はこの際どうでもいい。そこまでの詳述は誰にも求められいない。

 重要なのは先輩の返答で、彼はこう端的に返したのだ。


「たからさがし」


 先輩は映画館でポップコーンバケツにポップコーンを突っ込むアルバイトで週に二万円ほど稼いでいる。繁忙期の場合はこの値段はさらに上昇することになるらしくて、せっせせっせとポップコーンバケツに無数の白色のあわあわの固形みたいなのをえっさほいさとぶち込んでいくのだが、先輩曰くこのアルバイトには必勝法なるものが存在しているらしい。

 その方法を使えば一度に五つのポップコーンバケツに適量のポップコーンを注ぐことができるのだ。

 先輩曰くその技術は企業秘密でありばれてしまえば一撃で解雇されてしまうこと請け合いの秘技なので門外不出、だからお前にも教えてやらんとのことだったけれど、そういう経緯でアルバイト中に暇な時間を作ることに成功した彼は、歴史学の先生が授業のあいまにぽつりと雑談程度に語った徳川埋蔵金についての資料の読解・解読に挑戦することにしたらしい。

 そして先日、その解読に成功し、そして徳川埋蔵金は、飲み屋の真向かいにある下水道の底にあるのではないかという結論に至ったのだそうだった。

 意味がわからないし、日本史全体を鑑みれば比較的最近できたばかりの下水道の底に徳川埋蔵金なんて埋まっているはずがなくて、やっぱりコイツは変な奴だひょっとすると悪酔いの結果僕だけに見えている魔法の妖精なんじゃないかとか色々な世迷言が駆け巡るけれど、続ける台詞で先輩は僕の手を掴む。


「酔い覚ましにお前も付き合え」


「……それで、その結果はどうなったんですか?」

 歩き話のついでに語った先輩との遭遇劇の途中に、探偵はそんな言葉で割り込んだ。

 すでに夜半も過ぎて鈴虫の音もほとんど聞こえてこないといった夜の街に、探偵の声がふわりと浮かぶ。

 僕は結局、先輩のその手を振り払うことができずに、一緒に朝まで下水道を洗い直し、徳川埋蔵金を探し続けたのだった。

 日が昇り小学生の集団登校の声が聞こえてきて、さすがにこのままでは不審者情報として回覧板で回されかねないと撤退することにした午前六時まで、結局徳川埋蔵金は見つからなかった。見つかったのはいつの時代のものかもわからない、水草にまみれたキン肉マン消しゴムがひとつで、なんだよと二人して大きな溜息をついた気がする。


「それは残念でしたね」

と探偵は相槌を打つように呟く。足取りはまっすぐに神社の方向へと向かっているみたいだった。

「先に訊いておきますけど、ブシャってどういう猫だったんですか?」

 問いに僕は数拍ほど考えて、普通の猫でしたよ、と答えた。ただし、なんというか……しっぽが三つに分かれていましたけど。

「三つにですか?」

 驚いたように振り返る探偵。

「本当に!?」

 僕は迫ってくる探偵におびえながらうなずく。

「それなら話は別だ、どえらいこっちゃ」

 探偵は青ざめながら両方の頬っぺたを抑える。

 どういうことですか、と僕が問うと、探偵はほとんど絶叫するように答える。


「神様ですよ、この街の! 猫神様!」


 それがどういう宗教の、あるいはどういう哲学の最果てに生まれた異常事態であるのかということについては、そういった方面の知識が僕にないので詳しい解説は不可能だけれど、この街にはどうやら、猫の神様がいるらしい――そして、だからこそこの街の猫は『神様』を目指すのだ。探偵の行動原理の理由はそれだった。

 そして、その事実は実に単純明快な解をもたらす。

 神様がいるべき場所なんてものはひとつに決まっているだろう。

 神社。

 その境内だ。

 僕と探偵は一緒になって夜の街を走り出す。元々この街にあった神社の名前は『根古神社』というもので、これはいわゆる『根っこ神社』で豊作や五穀豊穣を祈るなどといった風習や習わしがあったものなのだそうだけれど、その地域に猫が多数住み着いていたことや神社の名前のことも相まって、やがて猫を神様としてまつるようになったのだという。

 猫の神様。

 ブシャキャット。

「いそぎますよ、依頼主さん!」

 僕と探偵は深夜の根古神社に駆け込む。古びた石造りの鳥居をくぐってまっすぐに境内へ。神社のなか、神棚のほうに向けて私はぱっと懐中時計を向ける。

 けれど、そこには――しかして、誰もいなかった。

 空だったのだ。

 そこには座布団だけが残っている。

「神様いないじゃん!」と探偵は叫ぶ。「うわあ! このままじゃ猫探偵としてもやっていけなくなっちゃうよ!」

 すると刹那、背後から「お前なにしてるんだ!」と男性の野太い声が聞こえた。怒鳴り声というよりは、何かに対して極端に怯えているような声だ。振り返ってみるとそこには、布団叩きを構えている男性が、地面のうえの何かを威嚇するようにしている。ぱっと振り返った探偵の、その手に持っていた懐中電灯がその先を照らした。

 ブシャキャットだった。

 なるほど――と、そこで僕はすべてに合点が行く。『根古神社』のなかにおいて信仰の結果誕生した猫神様『ブシャキャット』は当然ながら神社に住み着いた。しかしながら神社の近くには、この男性がいたのだろう。

 男性の姿を観察する。いたって普通の様子だけれど、ほとんど荷物を持っていないところあから察するに、きっと近くに住んでいる人物なのだろう。

 つまりブシャキャットにしてみればご近所さんということになる。しかしながら、この男性は――猫がきっと、苦手なのだ。

 ゆえにブシャキャットは保健所に通報され、保健所に渡り、そして先輩のもとへとやってきたというわけだ。

 ブシャキャットが僕のことを嫌ったのは、きっと僕が男だからなのだろう。つまりこのご近所さんのトラウマがあったというわけだ。

 先輩も一応男ではあるけれど、見た目は結構中世的だった。その点を鑑みれば、ブシャキャットが僕よりも先輩を選ぶというのはもはや必然とも言えるではないか。

「畜生、こっちに来るな!」

 威嚇というか、ほとんどパニックのままで布団叩きを振り回している男のほうに、僕はゆっくりと近づく。僕のここまでの考えが正しいのであれば、ブシャキャットを穏便に回収することができるはずだ。

 その方法を僕は知っている。

 探偵さん、と僕は隣の彼女に耳打ちをする。探偵は「え」と一瞬驚いたような顔をして、それからすぐにこくりとうなずいた。

 おっさん、と僕は布団叩きを振り回している男性に声をかけた。

「なんだよ」と振り返るおっさんに僕は返す。


 酔い覚ましにお前も付き合え。


 はっけよいの合図はなかったけれど、僕はおっさんの懐に飛び込んだ。

 パニックになったおっさんはバシバシと布団叩きで僕を殴る。「なにすんだよ離れろよ」言葉が飛ぶけれど僕はやめない。ちょうど悲しかったところなのだ、この気持ちをなんらかの形で表象したかった。

 古来、相撲は神事のひとつでもあったそうだった。だから土俵は聖域で、力士たちは全力でぶつかり合う。そういう含蓄があって、それがうまく働いたとか、そういうことはなかったようだけれど――ともあれ、意外にも相撲の上手い男にうまいように持ち上げられて反転した世界のなかで僕は確認する。

 女子高生――探偵の膝のうえに、心地よさそうに座っているブシャのことを。

 神棚のなか。

 座布団は空だった。だから外へ出た。そこで男に襲われ保健所へ、その先で先輩の膝のうえに。そうだ。猫は居場所を探していた。心地いい居場所を探していた。

 ずっと探していたんだろう。

 そしてその先で先輩の膝のうえを見つけた。

 けれど先輩は死んだ。

 心地いい場所は失われた。

 だから、猫は――先輩と出会える場所へ連れていかれた、そのきっかけとなる、男の目の前にまでやってきたのだ。

 すべては――また、先輩と出会うために。

 僕は反転のついでのように後方へ昇っていく世界を見ながら、ああ、と気付く。


 先輩はもういないのか。


 先輩と過ごした一年と少しのことを僕は思い出す。宇宙人を探しに森へ入り、沈没船を探しに海へ潜った。一山当てるとパチンコ屋へ出向き、たどり着いたパチンコ屋はすでにつぶれていて愕然とした。

 馬鹿みたいでアホっぽくて、それでも輝いていた一か月一週間一日一時間一秒一瞬一刹那。

 けれどその素敵な日々は。

 もう、二度と、訪れない。

 ブシャは都合よく先輩の膝の代わりを、つまりは心地いい場所の代わりの、別の心地いい場所を見つけたらしい。けれど、けれど、と僕は考えてみる。

 僕にとっての、その素敵な日々は、素敵な世界は、その代わりは。

 もう一度見つかるのだろうか?

 きっと、無理だろう。

 ああ、と僕は絶望する。ようやくその絶望に気付く。先輩はもういない。これからの僕はきっと、色々な友人と出会って、あるいは恋人を作って、それなりに幸せになることもあるのかもしれない。けれどそこに先輩はいない。先輩と過ごす輝きの世界は永遠に訪れない。

 永遠に。

 永遠に?

 目の前が真っ暗になる。

 そんな世界で生きていて僕は楽しいのだろうか。

 その疑問が生まれたその瞬間、僕は頭からアスファルトに叩きつけられる。


  暗闇。


 夢を見た――というか、思い出した。

 あの下水道から見上げた朝日のことだ。僕は下水道のふちに座って、先輩は「なんだよ!」と叫んでいる。

 手には小さなキン肉マン消しゴム。

 両手を広げたどういう意味なのかも分からないようなアホっぽいポーズのロビンソンマスク。

 疲労を押し流しながら僕は先輩の肩越しに空を見ている。

「おい後輩、納得いかねえよなあ!」

 悔しそうに表情を歪めている先輩が僕のほうを振り返る。

 僕は言う。

 徳川埋蔵金がこんなところにあるはずないですよ。

「いや、あるんだよ。俺の推理が正しいならな」

 じゃあ、その推理が間違ってるんじゃ……。

「俺にケチ付ける気かよ?」

 そうじゃないですけど。

……先輩。

「なに」

 たのしいですか?

 先輩は「は」と破顔して、そして僕に向け、


「当たり前だろ」



 目を覚ました僕は病院のなかにいる。どうやら脳震盪で気絶してしまったらしかった。検査入院のために一日を病院で過ごして、そのまま僕はもとの日常生活に戻る。

 ブシャはそのまま探偵のところに居ついているらしい。それでいい。楽しいところに居ついてれば。

 けれどそうして過ごしていると、ふとしたときに探偵がブシャを連れて僕のところへやってくる。ブシャは相変わらず僕にはなつかないけれど、しかし微かに僕に残った先輩の匂いや気配やらを嗅ぎつけているのか、ブシャブシャと僕の周りを動き回る。

 短いそのあいだに、探偵と話したり、ブシャの鳴き声を聞いたりしながら、けれど実際のところ、ブシャは神様なのだっけ、と僕はブシャにこっそりと祈ってみることにする。

 数億光年にも及ぶ星の輝きのように瞬くあの黄金の日々のような輝きがもうそこにはないとしても。

 その輝きを、見失いませんように。

 辛いとき、道しるべになってくれますように。

 薄っすらと開いたその先で、まずは小さな輝きの欠片がふたつ。

 探偵は笑って、ブシャはブシャリと鳴いている。

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