村
第2話 農民の娘
ヴェラは西部オスタリア地域のフェルリナという農村で生まれた。農民の父ジェイロと母アウラの娘である。
体格は大きくないものの、九歳まで育ったヴェラは成長できた子どもだと言える。
子どもの命は
ジェイロから薄い緑色の目を、アウラから栗色の髪を、ヴェラは受け継いだ。
村人の髪はヴェラと似た栗色で、ジェイロのような赤色の髪を持つ者は他にいない。
とは言っても、女はスカーフで髪を隠すし、男も帽子をかぶることが多く、耳や首の辺りに少し見える部分でしか確認できない。
髪色がわかったとしても、気にすることはほとんどない。
村を管理するオスター家の人々は金色の髪を持つ。
金の色と言うより蜂蜜の色と言う方が、ヴェラは好きだ。
かぶり物から少しだけ見える、光沢のある美しい髪。その髪が垂れる様は、すくい上げた蜂蜜の垂れる様に似ている。甘くとろりとした幸福感を思い出させるのだ。
「おれらはな、黒パンばっかり食べるから、暗い色の髪の色なんだ。オスター家の人たちを見てみろ。明るい色の髪なのは、白パンを食べる貴族さまだからさ」
これは村人が言う冗談の一つだ。
ジェイロの髪については「落ち葉の中で生まれたんだろう」と言う。秋に色付く木々の葉に似た赤色だからだ。
ジェイロは笑って聞き流すのだが、ヴェラはそう言われるのを好ましく思っていない。
太陽から生まれたのだとか、夕焼けに祝福されたのだとか。ヴェラにとっては、そういう美しい物語を秘めたような色なのだ。
「きっと、父さんは太陽の騎士さまで、母さんは高貴な家の娘なのよ。美しすぎる母さんに、父さんは一目で恋に落ちてしまったんだわ。それでね——」
「ヴェラ、そこまでよ。物語が好きなのは良いけれど、想像を膨らませすぎだわ」
糸紡ぎをしながらお喋りに夢中になっていると、アウラが言葉を鋭く遮る。せっかくの楽しい気分に水をさされて、ヴェラは口をとがらせた。
およそ五歳を過ぎた子どもは、親を手伝いながら仕事を覚え始める。ヴェラもそうだった。
今では、会話をしながら紡ぎコマを回すことも容易にできる。
ありふれた日常の話が多いが、時にヴェラは現実的でない話をする。それは両親を困らせることがある。
アウラの顔をちらりと見ると、怒ってはいないとわかって胸をなで下ろす。しかし、大きな目に悲しみが浮かんでいるようで、ヴェラの胸はちくりと痛んだ。
紡ぎコマに視線を集中させるアウラを、窓から入る光が照らす。まばたきをすると、長いまつ毛が輝いて見える。自身の母親であっても、うっとりするほど美しいと思う。
両親がどこで生まれ育ったのか、ヴェラはよく知らない。知っているのは、村の外から来たということだけ。
村人よりも少し背の高い父と、美しい容姿の母。旅の詩人が歌う物語が好きなヴェラは、両親の生い立ちについて幻想を抱く。
ヴェラが特に好きなのは騎士と貴婦人の恋物語で、強い憧れを持っている。だから、両親の過去にそういった物語が隠されているのではないか、と想像して心をときめかせてしまうのだ。
住む場所を探していた両親と、働き手を必要としていたフェルリナ。それを村をよく訪れる行商人が引き合わせた。
この話はヴェラが両親から直接に聞いたのではなく、村人が話しているのをたまたま耳にしただけだ。
ヴェラが住んでいる家は、継ぐ者がいなかった老夫婦の家だった。少しの間、ジェイロとアウラは一緒に暮らしていた。老夫婦はヴェラが生まれる前に亡くなっている。
それでも、家に刻まれた生活の跡を見ると、ヴェラは少し懐かしいような気持ちになる。
ヴェラが過去について尋ねたこともある。
「父さんと母さんはどこから来たの? フェルリナじゃない所ってどんな所?」
この質問に、両親はとても困った顔を見せた。
「昔のことなんかより、今が大切なんだよ。大好きなヴェラとアウラとの幸せな暮らしが、おれにとって掛け替えのないものなんだ」
ジェイロがこう答えて、痛いほどにヴェラを抱きしめた。アウラの目には涙が浮かび、両親の過去に触れてはいけないのだと思わせた。
ヴェラの家ではジェイロが料理をする。アウラが全くできないのではなく、ジェイロが作る方がおいしいからだ。
「ジェイロが料理をすることは、絶対に言ったらいけないわよ」
ヴェラは幼い頃から、アウラにそう強く言い聞かされていた。
「どうして? 父さんのポタージュはおいしいのに」
幼かったヴェラは理由を尋ねた。
「わたしの作る料理がおいしくないだなんて、知られたら恥ずかしいもの」
「恥ずかしいと、母さんは悲しい?」
「そうね。とっても悲しくなるわね。だから、言わないでいてね」
アウラの声は弱々しく聞こえた。
「うん! 約束する!」
ヴェラは秘密を守ると心に誓った。大好きな家族の悲しい顔を見たくなどない。
普通、家で食事の用意をするのは女だ。大っぴらに料理ができる男は酒場の主人など、料理をする職業の人だ。
だから、農民の男であるジェイロが料理をするのは普通ではない。知られれば異端視されることになるだろう。
それでもジェイロが料理をするのは、家族のためだ。
「おいしいものを食べると元気になるだろう? ヴェラのまぶしいくらいの笑顔を見るのが、おれは好きなんだよ」
そう言ってヴェラを見つめるジェイロも、まぶしいくらいに笑う。
ジェイロが料理人という職業ならば、隠さなくてもいい。しかし、料理人になるには親方の下で学ばなければならない。
どうして料理人にならなかったのだろう、とヴェラは疑問に思う。もしかすると、なれなかったのかもしれない、とも。
ヴェラはジェイロから料理を学んだ。ジェイロの料理でヴェラが笑顔になるのと同じく、ヴェラも料理で家族を笑顔にしたいという思いがある。
料理を習い始めると、ヴェラははめきめきと腕を上げた。簡単な料理を任されるようになるほどだ。
目の色だけでなく、料理の素質もジェイロから受け継いだのかもしれない。
家の中央にある炉では父と料理を。明るい窓辺では母と手仕事を。夜になれば一つの寝台に並んで眠る。それがヴェラの家の日常だった。
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