第2話
礼拝を終えてから準備に取り掛かった為に、今日はいつもより遅い朝だった。今朝の朝食は、ベーコンエッグに、カボチャのポタージュ、あとはいつもテーブルの上に並ぶパン。配膳係の女の子達が、机の上に湯気の立ち昇るオレンジ色の器を置き終えると、三島さんの掛け声と共に皆で手を合わせた。かたちが無くなるまで煮詰められたカボチャのポタージュは、牛乳やコンソメと共にゆっくり煮込まれてから仕上げにバターを入れている為に、木製のスプーンで掬い上げたそれを息を吹きかけてから口の中へと運ぶと、口いっぱいにカボチャの甘みが広がりあとからバターのふんわりとした甘さが追いかけてきた。
「えっめちゃくちゃ美味しいんだけど」
私の隣に座る沙羅も同じようにポタージュを口の中へと運び入れると、口元を手で抑えからふっと頬を緩ませた。
「でしょ? そのカボチャとか切るのめちゃくちゃ大変だったんだけど、隠れて味見した時に私もびっくりしたんだよね」
今朝の私は食材の切り出しの当番だったので、そのカボチャは私を含め数人の女の子で硬い皮を大きな包丁で必死に切り分けていた。想像以上に今年のカボチャの皮は暑くて、おかげで包丁を掴んでいた手のひらが痛い。
「新奈、明るくなったね」
私が痛めた手に視線を送っていると、唐突に沙羅が言う。自分がそんな風にみえるとは到底思えなくて、思わず、え? 本当?、と聞き返した。
「うん。春とか夏とか秋とか、まだ外に出ても温かい季節の時の新奈になってる。今は冬真っ只中なのにさ」
沙羅が手にしていたスプーンを置いて背にしていた窓の方へと身体を向ける。私もつられるようにして後ろを振り返る。窓の向こうでは、ちらちらと白い小さな塊が、空から舞い落ちている。明日になったら、この村で過ごす人達は誰も今日のことを覚えていない。私の隣に座る、この村で起きている真実を知った沙羅でさえも。明日も、雪が降ったら死のうかな。もう、消えてしまいたい。数日前までそんな風に思っていた私はもういない。昨夜、私のずっと抱えていた孤独を沙羅に打ち明けることが出来たから。それに、今朝方には沙羅がメモ帳まで用意してくれた。少なくとも、もう私は一人じゃない。その事実があるだけで救われた気がした。
「ねぇ、沙羅。昨日私が言った話とそのメモ帳のことは誰にも言わないでね」
「分かってるよ、誰にも言わない。これは二人だけの秘密だもんね」
昨夜にも、沙羅にはそれを伝えていた。雪の妖精の存在を信じているこの村の人達に、実際には雪が降る日に記憶を無くしているだけだという真実を伝えることは、あまりに危険過ぎると思っていた。幼少期から皆が信仰しているものをまだ十八歳にも満たない私達が覆えそうとすると、私達は村の人達からみたら異質で、言葉を武器に迫害されるならまだいいが、それ以外の可能性もないとは言い切れない。そうなれば、私達二人では到底太刀打ち出来ないだろうと思っていた。誰しもが、沙羅と同じように柔軟な考えが出来る訳じゃない。だから、今までと同じように静かに、皆と同じように、同じ信仰を持っている者として、周りに溶け込む。それが、一番だ。
「ねぇ、そんなことよりさ」と、私が頭の中で考えを張り巡らせていた時、沙羅が身を乗り出した。
「今朝、新奈が言ってた百合亜さんって人、今日会いに行かない?」
「えっ?」
思ってもみない提案に思わず口から衝いて出た。沙羅には、朝食の用意をしている時に百合亜さんの話をしていた。本当は昨夜にでも話したかったのだけれど、昨日の私は一日中泣いていて、沙羅と話し終えてからすぐにスイッチが切れたかのように眠りにおちていたらしく、言うタイミングを逃していた。切り終えたカボチャをスプーンやフォークを使って潰しながら、沙羅とはずっと百合亜さんの話をしていた。施設の外で出会ったこと。家に招かれて話した内容。今までに出会った誰よりも柔らかい雰囲気で、私は顔も名前も見たことがない母親の姿を重ねたこと。私が、昨日百合亜さんと過ごした時間のそれら全てを沙羅に言った。沙羅はその話をずっと目を輝かせながら聞いてくれていて、確かにその時から「私も会ってみたい! えっお母さんってどんな感じなんだろ? 私も自分の母親に重ねちゃったりして」と興奮気味に話していた。私は、目の前のバケットに入ったパンを一つ手に取り、それを指で小さくちぎりながら、でも、と思う。
「沙羅、よく考えてよ。沙羅にはメモ帳があるから百合亜さんに会いに行ったことが分かるかもしれないけど、今日は雪が降ってるからたとえ私達が会いに行っても、次の日には沙羅のことは忘れちゃってるよ? 」
出来るだけ声を落としながら言った。雪が降る日に記憶を無くすことを知っているのは、私と沙羅だけだ。周りには他の子供達も大勢いる為に、誰かに聞かれることも出来れば避けたい。ちぎられたまま指の間で放置されていたパンを、口の中に入れた。
「だったら何? そんなの関係ないじゃん。もしその百合亜さんって人が次の日に私のことを忘れてるならその次の日もいく。迷惑だって思われたらそりゃやめるけどさ、雪が降り止んで私のことを覚えてくれるまで会いにいく。とにかく、私は早く会ってみたいの! ねぇ、いこ?」
最初の方は私に合わせてくれていたのか声を落としていた沙羅だったが、途中から感情が込み上げてきたのか普段と同じくらいの声量だった。みながら、何だか笑けてくる。沙羅らしいな、と思う。何か問題が起きれば、自分の考えの赴くにままに動き、その考えを貫き通す。決して、立ち止まらない。私は、そんな沙羅が切り開き、照らしてくれた道のあとを子供の時から付いてきた。沙羅は、私にとってのひかりそのものだから。
「分かったよ。じゃあ、皆の洗濯が終わったらいこ?」
「やった!」
胸の前で小さく腕を掲げガッツポーズをする沙羅をみていると、自然と笑みが溢れた。
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