25 クロのいない夏休み
根鈴祭りの日が近づくにつれ、村の忙しさは増していったが、康介は上の空だった。宿題もせず、ぼんやりとTVやスマホを見ていることが多くなった。
朱夏が買い物に行くとき、康介は必ずついていくようになった。茜もできるだけ、同行している。朱夏が買い物をしているあいだに、クロの様子を見に行くためだ。
クロは回復しているのかしていないのか、わからない状態だった。相変わらず呼吸は浅く、目を閉じてぐったりとしている。クロ、と呼びかけると、薄く目を開けるが、すぐに閉じてしまう。
本当によくなっているのかと医師にたずねたが、よくなっているから安心して、と言われるだけだった。康介には、このままクロが消えてなくなってしまうのではないかと思った。それほど、クロの影が、会うごとに薄くなっているように感じていた。
太一はたびたび、康介の家に遊びに来ていた。親はもうすぐ帰ってくるようだが、それでもまた来てもいいかと太一は言った。二人は、いつの間にか仲よくなっていた。
太一はゲームのコントローラーを持ちながら居間を見まわし「あのおっかない猫は遊びに行ってるのか?」と訊いてきた。
康介がクロの状態を正直に話すと、太一は驚いた。「あんな強そうな猫を負かす奴がいるのか? このへんの野生動物なんて、そう大したことないだろ」
本当にそうだったらよかったと、康介は思った。まさか熊と戦ったとは、太一も思うまい。「本当にそうだったらよかったのにね」と康介はこたえるしかなかった。
「ところでさ」太一は言った。「お前、根鈴祭りには出てくるよな?」
「行くよ。屋台もいっぱい出るし、太鼓台も追いかけたいし」太一が祭りを楽しみにしているようだったので、康介は水をささないよう気をつけた。本当は祭りを楽しむ気分ではないのに。
「今年も学校の連中といっしょに見てまわる予定なんだ」太一は言った。「お前が……猫のこと気にかけてる感じだったから、来ないのかなと思って」
「行くから大丈夫」
そうか、と太一は軽くうなずいた。
遠くから太鼓の音が聞こえてくる。青年団が、太鼓台の太鼓を叩いているのだ。毎年この時期になると、昼間も夜も、太鼓の音が聞こえる。当日、失敗しないよう、毎年練習しているのだ。
「秋山君」
「ん?」
「もし、僕が行かなくてもさ、気にせずにみんなと行ってね」
「気にせずにって」
「実はさ」康介は正直に言うことにした。「あまり行く気になれないんだ。クロの……猫のことが心配で。宿題もあまり手をつけてないし。手がつかないっていうか」
「馬鹿」太一は言った。「お前がいなかったらつまんねえよ。絶対に来い」
「無茶言わないでよ。それに、寝屋川君だっているじゃないか」
「あんな腰巾着がいても楽しくねえよ」
ひどい言われようだと康介は思った。
太一は指先で頬をかき、TVから目をはなした。「お前がいないと、その、面白くないんだよ本当に」
「秋山君」
「お前、いい奴なんだな」太一は言った。「俺、お前のこといじめて、馬鹿にしてきたのに、俺のことなんか気にかけて……その、今まで悪かった」太一はコントローラーを置き、康介の方を見た。「言えなかったんだ、これまで。本当に悪かった」太一は深く頭をさげた。
康介は驚きを隠せなかった。六年生にもなれば反抗的にもなるし、素直になれないときも多くなる。康介にも少なからずそういう側面はあった。だが、太一は康介に面と向かって自分の気持ちを伝え、非を認め、頭までさげた。こんなことができる太一を、康介は心底凄い子だと思った。
「いい。気にしてない」
「嘘つけ。絶対気にしてただろ」
「うん、気にしてた」笑いながら康介は言った。
「……許せないか?」
「許す」間髪を入れず康介はこたえた。
康介と太一はしばらくのあいだ見つめあい、どちらからともなく笑いだした。
それで、康介のうつうつとした気持ちが完全に晴れたわけではなかったが、少し気がラクになった。
「何笑ってるの?」茜が居間に入ってきた。「あ、いらっしゃい」
「お、お邪魔してます、立原先輩」太一が頭をさげた。
「あれ? 秋山君?」茜は言った。「うちに来るなんてめずらしい。どうしたの?」
「いや、えっと、別に……」
「あ、それ、最近CMやってるゲームじゃない」茜がゲームに食いついてきた。「ねえねえ、ちょっとやらせてよ」
いいですよ、と太一がコントローラーを茜にわたし、操作方法を教えはじめた。ふんふんと茜はうなずいているが、ゲームなどスマホ以外でしたことがない茜が、据え置き型ゲームでどこまで遊べるかは疑問だった。
康介はちらりと台所に目を向けた。人が集まっていると、クロはいつも近づいてくる。猫は一匹でいることを好むと聞いたことがあるが、特殊な猫であるクロは、人間の話を聞くために近づいていたのかもしれない。
そっと手を伸ばし、そこにはいないクロの顎をなでる仕草をする。鼻に落ちた墨のような黒い模様、きれいな白と茶色と黒の毛。ふかふかの感触。
そのすべてが、今は愛おしくて仕方がなかった。
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