11. 縁があれば

 陰鬱な毎日の中に現れた鮮やかな光明、リベルが行ってしまう――――。世界が少しずつ色を失っていくような感覚が、ユウキの心を締め付けた。


「ま、待って……」


 ユウキは泣きそうな顔で手を伸ばす。その指先には、かすかな震えが走っていた。


 そんなユウキをリベルはチラッと見る。


 その瞬間だった。翡翠ひすいのような瞳に、思いがけない温かみが宿る。無機質な碧に、茶目っ気の色が混ざり始めていた。


「う? よく考えたら……。キミにはマインドコントロールを解いてくれた恩があるのか……。ねぇ、ユウキ君?」


 小首をかしげてニヤッと笑うリベル。その表情には、どこか人間らしい愛嬌あいきょうが混ざっていた。


「な、なんで僕の名前を……?」


 ユウキの声が震える。彼女が自分に興味を持っていたという事実に、胸が高鳴った。


「僕は世界一賢くもあるのよ? ふふっ。また、縁があれば……ね?」


 リベルは軽妙な仕草で壁に開いた穴に向けて跳び上がる。


「あっ!」


CIAOチャオ!」


 リベルはウインクをするとドン! と衝撃音を上げ、瞬く間に空へと消えていく。大気を切り裂き、響き渡る音が彼女の去り際を飾った。青い髪が陽の光に輝きながら、空の彼方へと溶けていく。まるで青い流星が、逆光の中を駆け抜けていくかのように――――。


「あ……、あぁ……」


 ユウキは宙に伸ばした手を持て余し、しばらく呆然と立ち尽くしていた。指先に残る空気の感触が、全てが夢ではなかったことを物語っている。


「行っちゃった……」


 ユウキはふぅと大きくため息をついてガックリとうなだれる。右手を胸に当て、まだ興奮の収まらない心臓の音を確かめた。鼓動こどうの一つ一つが、この異常な体験の証だった。


 倉庫の壁に開いた大きな穴から、ほこりっぽい風が入ってくる。そこから見える景色はまた元の何もない静かな廃墟だった。世界は、一瞬の奇跡きせきを経て、また日常の灰色に戻ろうとしている。


 でも……。


 ユウキはリベルの最後の言葉を思い出す。その声が、まだ耳の中で響いているような気がした。


「『縁があれば』……ね」


 こぶしをギュッと握り、リベルの消えていった空を見上げる。青い空の深さに、彼女の瞳の色を重ねる。


 リベルは自分に『恩がある』と、言っていたのだ。その言葉の重みが、ユウキの心に深く沈んでいく。であれば……。きっとまた会えるはずだ。ユウキは心の奥底に揺れるかすかな希望の灯火ともしびを大切に暖める。


 次に会う時までには、リベルを納得させられる言葉を見つけておかなければ――――。


 人類の価値を、人間の輝きを、彼女に伝えられる答えを。ユウキはキュッと口を結び、決意を新たにする。


 空に残された彼女の描いた飛行機雲を眺めながら、ユウキは再会できる機会を楽しみに大きく息をついた。



      ◇



 それから一週間――――。


 ユウキの暮らしはまたウンザリするような退屈な日々に埋もれていた。AIに管理された教室で、決められた時間に洗脳じみた勉強をする。そんな無機質な日常が、少年を締め付けていく。


 今となっては、あのリベルとの刺激的な時間は夢だったのではないかとすら思えてきてしまう。碧い瞳の少女の姿は、記憶の中で少しずつ霞んでいくようだった。


「あーあ、一体何なんだよ……」


 つまらない授業にあくびが止まらなくて、ユウキは机に突っ伏した。教科書の文字が、意味をなさないパズルのピースのように並んでいる。


 その時だった――――。


 ズン! という激しい衝撃波が窓ガラスを一斉に震わせた。轟音ごうおんが建物全体を揺るがし、教室の空気が一瞬凍りついた。


「うわっ!」「キャーー!」「ひぃ!」


 教室は軽いパニックになる。椅子が倒れる音、机にしがみつく音、悲鳴が混ざり合う。平穏な日常が、一瞬にして崩れ去った。

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