第6話 「田中さん?」

 鈴木は疲れた様子で僕たちに悩みを打ち明ける。口の悪い依頼者だが、たちの悪い怪異に困らされているのであれば放ってはおけない。僕にとって怪異は憎い存在だもの。


「迷惑電話がかかり始めたのは二週間ほど前。俺のスマホに電話がかかってきて、田中さんですかってババアが聞いてきたんだ。俺は違うって答えてすぐに電話を切った」

「なるほど」

「それからさ。たびたび俺や、俺の知人や友人に同じような電話がかかるようになりやがった」

「同じような、というと?」

「田中さんですかってババアが聞いてくるんだよ。早朝や深夜だろうとお構いなしだ。ウザいったらねえ」

「誰か、そのお婆さんに心当たりは?」

「ねえよ。誰も心当たりなんかねえ」


 僕の問いに対し、鈴木は嫌悪の表情をみせる。彼が先程に見せてた表情と合わせて考えると、かなりこたえているように思える。僕も、彼が話す老婆には嫌な感じを覚えるね。


「……ただ、ババアが誰か知ってるやつはいたのかも知れねえ。何人か、二週間前から連絡がとれねえんだ。ここ数日で連絡がとれなくなったやつも居る。警察にも相談したが、消えたやつらはまだ見つかってない。けど、家が荒らされてたって情報はあるぞ。付近で毛の長い猿を見たって情報もある。だが消えたやつらは見つからねえ。ムカつくぜ」


 ふむ……電話……老婆の声……名前を聞いてくる……行方不明者……荒らされた家……毛の長い猿……ねえ。だいぶ必要な情報がそろってきたよ。おそらくは、あの怪異だろう。だとすれば、この状況はあまり良くないな。面倒だけど、悪質な怪異は祓わなきゃなあ!


「ひとつ確認したい。君は電話の相手に対して怒ったりはしたかい?」

「怒ってもやりたいがな。なるべく冷静に努めてるさ。怒っても相手のペースに乗るだけだからな」


 へえ、鈴木くん結構クールじゃん。ま、あの怪異が相手だった場合、怒ったりすれば襲われるからね。僕の推理が答えに近づいているのを感じる。頭の中で怪異の正体が分かってきた。


「最後にもうひとつ確認させて、怪異は名前の他にも何か聞いてこなかった?」

「そうだな。じゃあ何処に住んでるの? とか聞いてきたな。もちろん答えなかったが」


 なるほど……そこまで情報が揃えば間違いないな。彼も面倒なものに目をつけられたね。それに、彼の周りで行方不明になった人たちはもう生きてはいないだろう……ムカつくなあ。


「一応確認するけど、君たちは、僕に怪異の鑑定を依頼しに来たんだよね?」

「じゃなければ、どんな理由でお前に会いに来たと思うんだよ? お前は優秀な怪異鑑定人なんだろ? 帝英二」

「優秀な怪異鑑定人で、同時に祓い人でもある。僕なら、その怪異を祓える」

「っ本当か!?」


 鈴木が身を乗り出した。テーブルに叩きつけられた両手から彼の興奮が伝わる。クールに振る舞ってるつもりだろうけど、この二週間でだいぶメンタルをやられているみたいだね。まあ、彼の話からして、そりゃノイローゼになるって感じからな。僕でもたぶん彼の二週間を経験したらメンタルをやられると思う。


「これは怪異の仕業だよ。極めて悪質な怪異のね」


 その時、スマホの着信音が鳴った。部室の全体に緊張が走る。鈴木は無言でスマホを取り出した。音は彼の手元から流れている。彼が困ったような顔で僕を見た。僕は頷いて応える。大丈夫、心配は要らない。僕が居るもの。


「出て良いよ」

「……出るぞ」


 鈴木はスマホの通話モードをオンにして、周りに聞こえるようスピーカーの状態にした。スピーカーにしたのは彼の状況判断によるものか、もしくは単なる癖か。どっちでも良いけどね。僕がやることは変わらない。


「……田中さん? 田中さんですか?」


 女性的で、くぐもっていて、それでいて妙に低い声だ。直感的に高齢の女性を思わせる。なんだか人を不安にさせる。そういう声だ。あまり聞きたい声ではないね。鈴木は黙って何も答えない。そのうちスマホから「田中さん?」ともう一度聞こえてきた。スマホの画面には非通知の三文字が確認できている。そんなことを考えて、つかの間。


「タスケテ」

「助けて」

「助けてくれっ!」

「助けてっ」

「助けて……」


 無数の「助けて」の声。僕はそれが怪異の出す音なのだと知っている。けれど、鈴木はそれを知らない。これは怪異の挑発だ。知ってるよ。お前はそういう怪異だものな。僕がかなり嫌いなタイプでイラっとするよ。


「……お前! ふざけんなよ! あいつらに何かしたらただじゃおかねぇぞ! 誰なんだてめぇはよお!」


 鈴木がキレた。あの「助けて」は彼の知人や友人たちの声を使ったのだろう。ほんとに、たちが悪い。あれをされるとまともな人間ならキレる。二週間もメンタルを削られてたのなら尚更だ。


「田中さん? あは。怒らないでよ田中さん」

「だから! 俺は田中じゃねえって言ってんだろうが!」

「……ウン。知ってる。鈴木だものねェ」


 それは聞くだけで背筋が冷えるような、ゾクリとする声だった。


「……今、会いに行きまス」


 声の主はそれだけ言い残して通話を切った。鈴木は困惑した顔でスマホと僕の顔とを交互に見比べている。パニック一歩寸前だが、彼自身の胆力でギリギリ耐えてにいるようだ。やるね彼。そうであってくれるなら、こちらとしても助かる。とにかく、彼には少しでも落ち着いていてもらわなくては。


「大丈夫、こういう事態のための僕だ」

「お、おぅ……」

「敵はこちらの位置を把握して、すぐに襲いに来るだろうけど、僕は相手の怪異がどういう手を使ってくるか知ってる。鈴木くんは僕の指示にしたがってほしい」

「わ……分かった。どうすれば良い?」


 話が早くて助かる。彼を説得するのに時間をとられる可能性も考えていたから、これならば怪異への反撃もしやすいというものだ。そう、怪異はこちらを襲うつもりだろうが、違うんだなあ。僕たちが、こちらに怪異を招き入れて倒すのだ! 悪霊祓うべし。慈悲はない。


「やつは部室の扉から入ってくる。だから、扉の方に意識を向けて、押さえていてほしいんだ。あとのことは僕に任せて」

「信じるぞ? 信じて良いんだな?」

「信じてもらうために依頼料を貰うんだよ。信じてくれ。僕はやる」

「……任せたぞ!」


 鈴木が部室の扉を押さえ、あんどーやチカさんも急いで彼を手伝う。光城さんは落ち着いた様子で赤髪をくるくると弄っている。部長も同じように落ち着いている。


「あたしたちも扉を押さえてれば良いのかい?」


 光城さん、もしかすると僕が出した指示の真意に気づいているのかもしれない。だとすれば彼女は……いや、今はそんなことを詮索している時ではないな。部長に視線を向けると、彼女は頷いて僕の肩をぽんっと叩いた。


「任せたぜー?」

「任せといてよ。きゅーちゃん」


 部長と、光城さんが扉へ向かっていく。彼女たちを見送って、部室の窓を向く。そこに、やつは居た。白く長い毛の大猿が、窓に張り付いていた。僕の全身が危険を感じ、心臓は高鳴る。大猿はすでに蹴りの準備めいた動きをしていて、非常に危ない!


 脳が生命の危機を感じている。時間が無限に引き伸ばされていくかのような感覚があった。ごくたまに、こういう状態になるんだ。まるで、全てがドロドロのアメに包まれた空間を動いているような、特に死の気配を強く感じているような時に起こることがある。そんな、奇妙な現象だ。ゾーンに入ったとでもいうのかな? この状態の僕は強いよ!


 大猿が窓を蹴破って部室に侵入するまで、あと一秒もないだろうね。侵入されれば、僕たちは皆殺される。残り一秒以下の時間でなんとかしないと、終わりだ。まあ、その一瞬があれば僕には充分すぎる。


 僕の指はすでにカメラのシャッターを押していた。刹那の一撃が相手をとらえ、次の瞬間に勝敗は決した。

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