う・み・だ・す

伶佳 零

第1話

私は何かをつくることが好きだ。短歌だったり、クイズの作問だったり、ハンドメイドだったりと、「つくる」という行為を様々な角度から楽しんでいる。

 私は昔、絵を描くことが好きだった。中学時代は美術部に所属した。しかし、自分の中で葛藤して、結局は高校に進学したら人前で自分の描いた絵を見せることはやめることにした。

 高校生になり、短歌とクイズに出会った。私はその魅力に惹かれ、いつしか新たな趣味になった。

 ハンドメイドは気が向いたら行う程度で、ネイルチップやUVレジンのキーホルダーをつくっている。

 私は、自分の頭の中を可視化させることが好きなのだと、いつからか自覚していた。絵を描くことも、短歌を詠むことも、作問することも、ハンドメイドも、自分が頭の中で思い浮かべたことを可視化する行為なのだと気づいた。もともと文章を書くのも好きで、レポートやプレゼンの資料などをつくるのも好きだ。思い浮かんでいることが、かたちになっていく瞬間が自分を肯定する材料になっていると私は思うようになっていった。

 しかし、この行為は私をずっと肯定し続けてはくれなかった。

 私は生み出した短歌なり、クイズなりを愛するようにした。私が愛さなければ誰が愛するのだと思っていた節もあった。

 私は何かをつくるとき、愛情をこめた。力をより注ぐようになった。まるで、自分の一部を引きちぎるかのように、自分の分身をつくるかのように。

 そうしたら、自分の生み出したものを愛せなくなった。「それ」が自分の一部に見えたからだ。自分の一部になったような「それ」を、私はいとおしく思えなかった。

 自分自身に自信など持てない。持てるわけがない。自分の良いところなんて、ひとつも思い浮かばない。

 「それ」は自分の一部で、それはまがいもなく自分を体現しているのだった。一部であろうと、自分の中にもともとあった何かに変わりはない。

 正直、気持ち悪く感じた時期もあった。「それ」は間違いなく自分の一部のはずなのに、赤の他人からえぐり取った臓器のように見えた。

 それでも私は生み出すことをやめなかった。私は、私の一部をちぎって「それ」に力を注いだ。私は、その行為を快楽に感じつつあった。自分を傷つけていることに気づき、それに酔いしれていた。

 今、何かを生み出すことは、私にとって喜びであり自傷である。自分が生み出した「それ」をもう愛することはできない。もう、そんな覚悟が私にはない。ただ、自分というものに浸り、陶酔するために「それ」を生み出すのだ。

 ある意味、自分を肯定する行為になったことは否めない。だからこそ、私は生み出すことをやめないし、やめられない。

 この文章も生み出すという行為だ。「それ」が自分の一部に見えなくなるまで、私は生み出し続ける。

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う・み・だ・す 伶佳 零 @reika_zeroro

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