ファンタジア・サイエンス・イノベーション〜転生王子、異世界研究の道を歩む〜

国士無双

第一部 【序論】転生王子、異世界研究の道を歩む

【転生前】

第1話 立てば講義、座れば残業、歩く姿は研究者の檻〜弱みに付け込む異世界の女神〜

  今日は午前中に学生さんの前で講義こうぎを行い、午後からは雑務ざつむをこなしていた。これから自分の研究を開始する予定だ。


 (一日中大学にいたな……あれ、最後にお家へ帰ったのっていつだっけ?)

 

 そう思いながら時計を見たところ、すでに翌日の午前1時を過ぎていた。驚いたことに……今日という日は終わっていたのである。それなのに、私はただ一人研究室にこもっていたのだ。


 私について説明しよう――私は日本で生まれ育ち、今はとある大学の薬学部で准教授じゅんきょうじゅをしながら研究者として働いている。薬学部を卒業して薬剤師免許を取った後、就職せずに大学院博士課程まで進学した。博士号を取ってからは研究者として、大学という環境で研究に打ち込んできた。結婚することなく生きてきたが、これまで着実にエリートへの道を歩んできたはずだった。

 

 なのに、私の後に入室した嫌味しか言わない男性研究者の方が先に教授へと出世したのである。その上、彼はとても態度が悪く、いけ好かない人物であった。

 そもそも私の大学では女性研究者がほとんどおらず、男社会だった。その影響もあってか、教授選びの投票で私か例の彼のどちらかを選ぶという滅多にない機会があったのだが、職場の男性研究者たちは私を選ぶことなく、例の彼に投票した。私は実力で負けたと思っていたが、仲の良い女性研究者から私の大好物であるクッキーを貰った時に事実を知った。なんと裏で、彼が男性研究者全員を教室に集めて投票に協力するよう口合わせをしていたらしい。俗にいう――組織票だったのだ。しかも、その教室で私のことを「彼女は優秀ですが、ずっと研究者としてキャリアを続けると思いますか? 今後結婚や出産で休んだり、下手したら退職する可能性もありますよ」と言ったらしい。『何勝手に私の人生設計をしている?はぁ?』って感じだし、それを聞いてみんな納得したのだとか。うちの大学終わってる……。

 人から聞いた話だから、この話が真実なのかどうかは謎だが、私は親しい人以外の他人と話すのが好きでは無い性格だったため、元々こんな投票自体不利だったのである。思わずポツリと愚痴ぐちをこぼす。

 

「はぁ〜。そんな事情で投票が決まったとは思ってもいなかったよ……」

 

 しかも最悪なことに、教授となった例の彼は……私に対して雑務ばかりを押し付けてきた。悲しいことに雑務が多すぎて残業しないと終わらないのだ。今週は特にその雑務が多く、仕事を終えてから自分の研究を開始していたため、ここ数日ずっと研究室にこもっていた。ぶっちゃけ、今はここが私の家になりつつあるし、忙しすぎて今の私には家に帰る時間がない。別に帰れなくてもいいのだが、最近困ったことがある。それは、休む暇がないせいか疲れが取れないということだ。


(今までは徹夜てつやしても平気だったんだけど……35歳となると体に応えるなぁ)


 「そうだ!」


 私は一人ということもあり、目的を思い出したため大声を上げた。

 研究を開始する前に薬品の温度管理をしなければと思い、椅子から立ちあがろうとした瞬間――突然胸の痛みを感じて……倒れてしまった。今まで経験したことのない痛みである。


 あぁ、痛い……私は死ぬかもしれない。神様とか信じないけど……次生まれ変わって、もし男になったら自由に研究できていたのだろうか? 平等社会な環境で研究してみたかったなぁ。寿命をけずるような思いをしてまで、この研究室にしがみつくべきではなかった。早く転職しておけばよかった……。

 

 そう思いながらも、私はその場で誰かに助けを求めることはしなかった。生き延びても、また残業に追われるのではないかと思ったからだ。その後、生きたのか死んだのかはわからないが、私はどこかに移動した様子であった。

 

 ふと目を覚ます。


(しまった。疲れ過ぎて倒れてしまったのか……?)

 

 私はそう後悔をしながら、起き上がって周りを見回す。こうやって倒れた時って、救急車に運ばれて病院にいるはずなのに……なぜか庭園にいて、ベンチで横になって爆睡していたみたいだ。やや非常識なことをしてしまったかもしれないが、誰もいなさそうだからオッケー……と思っていたら、突然背後から声をかけられる。

 

「あっ、起きました〜?」

 

 振り向くと、色白で長い銀色の髪の女性がいた。軽くウェーブがかかった髪をしていて、見た感じは……大学院生ぐらいの年齢な気がする、多分。服装はフリルのついたエレガントなオフショルダードレスを着ている。ドレスの色は彼女の髪や目の色と似た配色で青色と白色のクラシックなデザインである。

 どこか清楚せいそかつはかなげな雰囲気をただよわせており、大人しく優雅でありながらも神秘的な印象を受ける。日本人って顔はしていない。異国のお姫様なのだろうか?

 さて、そんな彼女はどうやら庭の手入れをしている様子だったが、私に自己紹介をしてくれた。

 

「はじめまして。私は異世界転生者をサポートする新人女神のレンゲです。今まで大変でしたね。もう前世に戻らなくていいから、安心してくださいね〜」

 

(異世界転生? 女神? この娘は……何を言ってるんだ?)

 

 彼女の言ってることが全く理解できないため、頭の中で整理する――そうだ、思い出した。私は研究室で残業していたところ、突然胸が苦しくなって……あれ、前世って言ってたな? 確認してみよう。

 

「ちょっと待って、前世ということは……」


 女神様ことレンゲさんは悲しい顔をしてこう答えた。

 

「あなたは働きすぎて……突然死してしまったのです」

「やっぱりねー」


 私は即答した。あんな生活をずっとしていたら長生きはできないだろうなとは心のどこかで思っていたため、死んだのだろうと覚悟はできていた。

 一方、女神様は明るい青色の瞳を大きくして、驚いた表情をしていた。


「すごい……なんて冷静な回答! さすが研究者さん。もしかして神様とか信じないタイプですか?」

「ぶっちゃけると、信じないかなぁ……。こうやってあなたとお話をしているのも夢なのかなと思っているよ」


 そうだ、これは夢だろう――このまま夢を見ながら死んでいくんだ。そう思いながら眠くなってきたため、また寝ようとしたところ、女神様から声を掛けられる。

 

「まだ寝ないで〜。そうだ! 亡くなる前に次生まれ変わったら、男になりたいって思っていたでしょう?」


 げっ。なんでそのことを知ってるんだ? 感情を表に出さないつもりでいたが、どうやら顔がしかめっ面になっていたらしい。女神様がその様子を見て、苦笑いしながら話をする。


「実はですね、あなたが亡くなる直前にあなたの心の声を聞いておりました。その声を聞いて、私はあなたを異世界へ案内しようと思ったのです。ここからは本音をお伝えします!」


 コホンと軽く咳をした後、続けて語り出す女神様。

 

「あなたには社会を変えられる力がある――私はあなたを見てそう思いました。私もあなたと同じく、悔いを残して亡くなってしまいました。そして……私は亡くなった後、女神になりました。それで私は、あなたのような『新たな世界に行って社会を変えたい』という願望を持つ魂を救済するため、異世界転生者を支援することにしました。私自身、2度目の人生を楽しんでいます! こうやって自由に庭作りもできるので最高ですよ……」


 なるほど……つまり、女神様は私が死ぬ前に思っていた本心を把握していたから死後すぐ、この場を案内したという訳か。確かに女神様自身、今の人生を謳歌おうかしてるのか平和そうな雰囲気をかもし出している。殺伐さつばつとしていた自分と大違いだ。ふと確認したいことがあり、女神様を凝視ぎょうししながら聞いてみることにした。


「女神様さぁ、もしかして……異世界でも、自由に研究することは可能?」


 よく研究室の学生さんが異世界転生モノの作品を観て盛り上がっていたが、そもそも異世界なんて実在しないと思ってた。でも心ゆくままに自分の好きな研究ができるのならば、行ってもいいかもと思い始めてしまった。


「できます! ただし、条件があります……」

「条件?」

「今から行ってもらう異世界――そこは私がかつて生きていた世界です。私の代まで色々あって大変だったんです、悪魔のせいでね……。その影響もあって、女性がほとんどいません。だからこそ、あなたには新しい世界で男性研究者として生き、あなたの夢や目標を貫き通してほしいのです!」

「えっと……もしかして、異世界転生先は平等社会じゃないってこと?」

「ええ。男女比も1000:1と圧倒的に男性が多いです。それに異世界なので、人間以外の種族――悪魔とかもいます。理不尽りふじんな格差社会を実感するかもしれないです……私も現場で感じていましたから。でも、あなたには新しい世界で研究者として成功し、平等社会を叶えて欲しいのです。それがあなたの試練であり、役目です。安心してください。私が特別な能力をオプションで追加しますので! あと補足です。魔法を唱える時は私の名前か『女神様』と言ってくださいね」


 うーん、困ったなぁ。平等社会がいいって思ってたんだけど、この部分に関しては心の声が届いていないのか。それで私をここに連れて来たとは……ちょっと適当すぎない? しかも「能力をオプションで追加します」って……私は車やバイクでもオプションを追加するタイプじゃないから、そういう機能が欲しいと一切思っていないんだが。そもそも魔法や能力がないと生きていけない世界で研究をやっていけるのか、と色々考えを巡らせているうちに自分自身の身体が光り始めた。


「なんだこれ! ホタルにでもなるのか?」


 私の即興そっきょうツッコミに吹き出す女神様。そんなに私のツッコミが面白かったのだろうか?

 彼女は自身の口元を手で隠しながら微笑む。そして私に向かって最後の挨拶をしてくれた。


「ホタルって単語がすぐ出てくるなんて、とても素敵〜! もっとお話ししたかったけど、そろそろお別れの時間みたい……お元気で!」

「えっ、これって例の異世界に行っちゃう感じ?」

 

 まぁ、聞くまでもなかったが……この流れは確実に異世界に連行されるだろう。

 

「えぇ! しかしご安心を。あなたはしっかりしているので、異世界でもやっていけますよ。応援してます!」


 ちゃんとした根拠もなく、両手をグータッチしている女神様から「やっていけますよ」と言われたが、どうせ私の意思に関係なく異世界転生するのだろうから、受け入れるしかない。それにしても、グータッチって久しぶりに見たな。なんかどっかの球団の監督がやってた? いや、そんなことを考えている暇はない。女神様とお別れする前に、ちょっとワガママなお願いを伝えてみることにした。


 「女神様! もし異世界に行くなら、天然パーマでお願い! ストレートヘアは維持するのしんどかった。髪の毛に時間を費やすの勿体無いから!」


 そう言い切った後、自分自身が光と共に消滅した。

 彼女に伝えた最後の会話は――髪質に関する要望で終了したのであった。



 そして、例の研究者が消滅したため、庭園では静けさが戻った。女神様は一人になり、ポツリと呟いた。


 「行っちゃったね……。天パは叶えておきますから、娘や王国のことをよろしくね……」

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