第02話 恋心は思春期の胸に秘めて

「ふわぁ……眠い……」

「どうせまた夜遅くまで漫画読んでたんでしょ?」


 中学二年生になった涼太と姫奈は、並んで朝の校門を潜った。


 人の目を気にせず大きな欠伸をする涼太に、姫奈は大して興味なさそうに言う。


「漫画は読んでないぞ。ラノベは読んでたけど」

「わぁ、どっちでもいい~」

「三冊も読んでしまった」

「へぇ、別に聞いてませんけど~」


 姫奈が気持ち早足になった。


 横並びだった位置関係からやや姫奈が前に出たので、涼太は両手をズボンのポケットに突っ込んだまま一瞬小走りして再び並ぶ位置を歩く。


「ついでに、録画してたアニメも観た」

「何で私が足速めたか、わかってない感じ?」

「今期から始まったアニメだけど、ちょっとイマイチだったんだよなぁ」

「聞こえませ~ん」

「よくある学園ラブコメなんだけどな? それがまぁ、ヒロインの好感度が初っ端から高いのなんの」


 今度は姫奈が澄まし顔で完全無視を決め込んでくるので、涼太はふと足を止めた。


「あ、蓮だ」

「えっ、どこ?」


 一歩遅れて姫奈も立ち止まり、辺りをキョロキョロ見渡す。


 小学校までは幼馴染三人で登校するのが当たり前だったが、中学校に入学してから蓮はバスケ部に入部したので、朝練のため一緒に来られなくなってしまった。


 今頃は体育館の中で、キュッキュと靴底で床を鳴らしていることだろう。


 なので、当然こんなところを歩いているワケもなく――――


「聞こえないんじゃなかったのか?」

「もぅ~、ウザいんですけどぉ」


 いないじゃん、と愚痴を溢して止めていた足を進める姫奈。


(蓮のことにはすぐ反応すんのな、コイツ)


 涼太は小さく乾いた笑みを溢してから、姫奈のあとを追う。


 そして、それは校舎の玄関に入ろうとしたときだった。


「なぁ、音瀬。ちょっといいか?」

「はい?」


 さも守衛のように玄関の前に立っていた同級生の男子が、姫奈に声を掛けてきた。


本庄ほんじょうか。そういや、去年俺とヒメと同じクラスだったな)


 いわゆるクラスのお調子者的存在。

 ムードメーカーとして機能することもあれば、授業中私語で教師に注意されることも度々という印象。


 涼太がそんなことを思い出している間に、同級生の男子――本庄が話を進める。


「その、話したいことがあるんだけど……二人で」

「……あぁ~」


 つまりはなのだろう。


 それを察した姫奈は、ほんの数秒考える時間を作るように間延びした声を出し、隣に立っていた涼太を一度見てから答えた。


「うん、わかった……」

「よ、よかった! じゃ、ちょっとこっち来てくれる?」


 隣にいるというのに涼太には目もくれず、本庄は校舎裏の方へと歩いていく。


「ごめん、リョウ君。ちょっと先教室行ってて?」

「カバン」

「え、カバン? あぁ……」


 たった一つの名詞で意図が伝わるのだから、幼馴染とのやり取りは楽でいい。


 涼太が差し伸べた手に、姫奈は背負っていたリュックサックを掛ける。


「ありがと」

「うい」


 身軽になった姫奈が本庄のあとをついて行く。

 涼太はその背中が遠ざかっていくのをしばらく見届けたあと――――


「さて、と……」


 背中に自分のリュックサック、右肩に姫奈のリュックサックを掛けて歩き出した。



◇◆◇



「えっと、話すの久し振りだな。音瀬」

「あぁ……うん、そうだね」


 玄関から校舎を回るように歩いてやって来た校舎裏。


 ベンチなどが置かれており、休み時間にはぼちぼち利用する人がいるが、まだ朝の早い時間で他に誰の姿もない。


 気恥ずかしそうにポリポリと頬を掻く本庄を前に、姫奈は当たり障りのない微笑みを浮かべていた。


(誰だっけ……?)


 この状況でとても口には出せないが、姫奈は去年のクラスメイトで比較的目立つ存在でもあった本庄のことを覚えていなかった。


 他人に興味がなさすぎる弊害か。


「クラス離れちゃったな、はは。音瀬は今確か三組だったよな」

「あ、うん」


 その話しぶりから、姫奈は去年同じクラスに所属する生徒だったんだと察する。


「さ、三組どう?」

「ん~、まぁまぁかな」


(『どう?』ってなに? クラスにどうもこうもないでしょ……)


 あまりにぎこちなく取り留めのない話に、姫奈は内心辟易していたが、それを表に出さないように微笑みの仮面を崩さない。


 ただ、このまま中身のない話を続けられるのも流石に耐えられないので、姫奈は自分から本題を切り出すことにした。


「それで、話って何ですか?」

「あっ、あぁ……えっと……」


 本庄の顔が赤くなる。

 視線が左右に揺れて定まらないが、覚悟を決めたようにギュッと拳を握った。


「お、俺さ! 実は、去年同じクラスだったときから音瀬のこと好きで! でも、音瀬可愛いしめっちゃモテるし、色んな奴から告白されてるから俺なんか無理だって思ってて言えなかったんだけどさ……」


 言葉を紡ぐにつれて、本庄の顔はどんどん赤くなる。


「でも、今年クラス別々になってさ。近くに音瀬がいねぇなぁ~って思ったら、なんつうか……居ても立ってもいられなくて……」

「…………」

「だ、だからさ……!」


 羞恥心に耐えて、勇気を振り絞って本庄が真っ直ぐ向けてくる視線を、姫奈は静かに受け止めていた。


「俺と付き合ってください!」

「…………」


 本庄がバッと勢い良く頭を下げると共に、右手を差し出してくる。


 その手を取るか取らないか……本庄がどちらの選択を望んでいるのかは明らかだが、姫奈は一間の沈黙ののちに小さく頭を下げた。


「ごめんなさい」

「……っ!!」


 差し出していた本庄の手がギュッと固く拳を握った。


「そっ、か……」

「ごめんね……」


 ゆっくりと顔を持ち上げる本庄。

 まだ微かに赤みの残ったその顔は、悔しそうに歪んでいた。


「何でダメかって、聞いても良いか……?」

「まぁ、他に好きな人がいるから。かな……?」

「それって、誰?」

「そこまでは教えないよ」

「……はは、そっか」


 本庄が無理矢理に笑みを作って、後ろ頭を掻く。


 気まずい静寂が訪れたので、姫奈は先にこの場を離れることにした。


「じゃあ、私行くね」

「付き合ってもらってゴメンな……」

「ううん」


 姫奈は短く答えてから、本庄を背に歩き出した。


 校舎裏から角を曲がる。

 すると――――


「終わったか?」

「うわぁ~、この人覗き見してるよぉ~」


 そこには涼太の姿があった。

 校舎裏の様子を窺える位置に、壁に背をもたれさせて面倒臭そうに立っている。


「先に行っててって言ったのに」

「はいともいいえとも返事はしてないぞ」

「政治家かな?」

「検討すらしてないから違うな」

「なら詐欺師だ」

「あくまで嘘は言ってないってやつな」

「そうそう」


 姫奈は涼太と冗談を言って笑い合いながらも、胸の内でその真意を理解していた。


(素直に心配だからって言わないもんなぁ、リョウ君)


 姫奈は小学校時代からモテてはいたが、中学校に進学して以来、学年問わず頻繁に告白されるようになった。


 誰が相手でも今までその首を縦に振ったことはないが、そのせいで一度告白してきた男子に逆上されたこともある。


 以降、涼太はこうして失礼を承知で、告白の場面を密かに見届けるようになったのだ。


「……ホント、心配性」

「で? また断ったのか?」


 姫奈の呟きを、涼太はスルー。

 質問で返す。


「まぁ、ね」


 姫奈が肩を竦めてみせる。

 正直、何度も何度も告白されるのはうんざりといった様子だ。


「はぁ……そんなに面倒なら、もう付き合えばいいのに」


 流石に彼氏持ちの相手に告白する男子はそうそういないだろう。

 彼氏を作れば、大幅に告白の機会を減らせるのは確かだ。


「いや、誰と。相手がいないんじゃ――」

「――蓮だろ?」

「…………」


 涼太が食い気味にそう言うと、姫奈は言葉を止めて不満げに睨んできた。


「……余計なお世話です」

「蓮みたいなハイスペック彼氏なら、お前のこと好きなやつも潔く諦められるだろ?」


 自分で放った言葉に、涼太は自分の胸が痛くなるのを感じたが、見て見ぬフリをした。


「知らないよ」

「あ、ちょ……」


 ふん、と鼻を鳴らして玄関へ向かって歩き出す姫奈。

 涼太はそんな彼女の背中を見詰めて小さくため息を溢す。


(ったく、素直になればいいのに……)


 そんな心の呟きが、涼太の表情に自嘲気味な笑みを浮かべた。


「素直じゃないのは、俺もか」


 好きなら好きと言えばいい。

 とんでもないブーメランに、涼太は呆れずにはいられない。


 だが、涼太と姫奈では状況が違う。

 好きな相手に好きな人が出来てしまった涼太と、今はまだ少なくともそうでない姫奈とでは。


「さっさと幸せになって、納得させてほしいもんだな……」

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