第2話 限界王妃は甘やかされる


 目が覚めると、ルシアは木でできた可愛らしいベッドの上に横たわっていた。どうやらログハウスの中のようで、そこは地獄にしては随分と温かな空間だった。


「やあ、目が覚めた?」


 声の方に視線を向けると、そこには極めて顔立ちの整った青年がいた。


「ちょうど谷底を歩いていたら、君が落ちて来てね。女神が舞い降りたのかと思ったよ。ちょっと待ってて。今なにか飲み物を――」


 その瞬間に理解した。自分が死に損なったことを。


「どうして!? どうして助けたのですか!? わたくしはあのまま、死んでしまいたかったのに!!」


 ルシアは目の前の青年を激しく責めた。彼のことが許せなかった。なぜ邪魔をしたのか。


 青年は取り乱すルシアを見て一瞬驚いた後、ルシアの背を優しくさすりながらゆっくりと言葉をかけた。


「ごめんね。でも、落ちて来た時、君に涙の跡があって、放っておけなくて。君、この国の王妃様だよね?」

「……わたくしのこと、ご存知なの?」

「流石に王妃様の顔くらい知ってるよ」


 そう言いながら、彼は優しく微笑んだ。なんとも美しい笑顔だと思った。


 そしてルシアは、彼の穏やかな声と優しい手のお陰で、少しずつ落ち着きを取り戻した。


「僕で良ければ、話聞くよ?」


 青年の言葉に促され、ルシアはこれまでのこと全てを彼に打ち明けた。今まで誰にも不満を言えなかった、いや、受け止めてくれる人がいなかったルシアにとっては、話を聞いてもらえるだけで随分と心が楽になった。


「そっか。それは、つらかったね、ごめんね。これまでよく頑張ったね」


 ルシアの話を全て聞き終わった彼は、苦しげな表情を浮かべながら、なぜか謝罪の言葉を口にした。

 この青年のことを何も知らないことに気づいたルシアは、彼のことを尋ねてみることにした。


「あなたは一体……?」

「ああ、自己紹介がまだだったね。僕はミシェル。辺境の魔女って言った方がわかりやすいかな?」


 辺境の魔女の話は、ルシアも聞いたことがあった。人里から離れた谷底に住み、恐ろしい魔法の研究をしていると噂されている魔女だ。まさか本当に実在するとは思わなかった。


 だが噂とは違って、目の前の青年は全く怖くなかった。とても優しい面差しをした、美しい青年だ。


「辺境の魔女って、男の人だったのですね……」

「そこ?」


 的外れな感想を抱くルシアに、ミシェルは苦笑していた。そんな彼に、ルシアも思わず顔が綻んでしまう。だが、この優しい空間にいては、決意が鈍ってしまう。彼に別れを告げ、早々に立ち去らなければ。


「助けてくださって、ありがとうございました。でも、もう生きることに疲れてしまったんです。だから――」


 しかしルシアは、最後まで言い切ることができなかった。ミシェルがその綺麗な長い指でルシアの唇にちょん、と触れたからだ。

 ルシアは突然のことに大いに驚き、目を丸くしてミシェルを見上げた。


「目下の僕の目標は、君のその死にたい願望を無くすことだね」


 そう言う彼は、とても優しい瞳でルシアのことを見つめている。


「何か好きなものはある?」

「え?」

「やりたい事とかは?」


 質問の意図がよくわからないまま、ルシアはとりあえず聞かれたことに答えようとした。


「ゆっくりお茶が飲みたい……」

「うん。それから?」

「刺繍をして、美味しいご飯を食べて、ふかふかのベッドで昼頃までゆっくり眠って、お庭でお花を愛でて、誰かに恋をして、世界中を旅して、それから……」


 そこまで話して、ルシアは自分が泣いていることに気がついた。そして気づいた途端、ポロポロと涙が溢れて止まらなくなる。

 今まで仕事に追われ何一つとして自由に過ごせなかったルシアは、そんなこと望む余裕さえなかった。


「わかった。君のやりたいこと、全部叶えよう」


 ミシェルはそう言うと、涙を流すルシアの頭を優しく撫でた。そして、力強い視線と声で、彼はこう言った。


「大丈夫。全部僕に任せて」




***




「こんなにゆっくりするの、いつ以来かしら……」


 ルシアは今、ログハウスの庭にあるテーブルで、アフタヌーンティーを楽しんでいた。ミシェルはルシアが望んだことを、本当に叶えてくれているのだ。

 

「ありがとう、可愛い妖精さん」


 ルシアは、紅茶のおかわりを持って来てくれた小さな妖精たちに礼を言った。どうやらこの子たちは、ミシェルの使い魔らしい。


 ミシェルの元に来てから、ルシアはそれはそれはゆっくりと過ごした。毎日遅めに起床し、朝日をたっぷり浴びて、美味しいご飯を食べ、庭でお花を眺めながら刺繍を楽しむ。今まで忙殺されてきたルシアにとって、これ以上ない幸せな時間だった。そしてこの数日で、ルシアの肌艶は随分と良くなり、もともとの美貌を取り戻していた。


 一方のミシェルは、なんだか毎日慌しそうに出かけていた。しかし家にいる時は、ルシアと過ごす時間を大切にするかのように、たくさん話し相手になってくれた。


 

 そして数週間が経ったある日、ルシアはミシェルから唐突にとんでもないことを言われた。


「離婚を成立させに行こう」

「え?」

「この国で生きていくに当たって、あんなやつと結婚したままは嫌でしょ?」

「それは嫌だけど……」


 しばらくミシェルの元で過ごすうちに、ルシアからは死にたいという気持ちはすっかり消えていた。しかし離婚どうこうの前に、玉璽を盗んだルシアはこの国では大罪人で、さらにはこの国は崩壊寸前である。もし今後も生き続けるなら、この国を出ないといけないだろう。


 そんな不安をよそに、ミシェルは微笑みながら軽くウインクしてみせた。


「僕に任せて」

 

 その後ルシアは、ミシェルによってあれよあれよと王城に連れてこられていた。

 そして彼は今、玉座の間に続く扉に手をかけている。


「あの、ミシェル。これは流石に」


 ルシアが不安げな表情を浮かべミシェルを制止すると、彼は低く優しい声で一言だけ返した。


「大丈夫。僕を信じて」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る