12.おい、ドラゴン!

「快龍さん! わ、私、やりました!!!」

 

 トーカと千尋ちひろの勝負が終わった。

 千尋が小走りで快龍かいたつの方に駆け寄る。快龍は手をグーの形にして前に出し、千尋も少し照れくさそうにそのグータッチに応じる。紗良さらは隣でそんな二人の様子を眺めていた。


――これで、快龍くんが正式に部活に加わる。

 それはとても嬉しいことなのに、仲睦まじい二人を見ていると微かに喉がきゅっと締まるようだった。弾けるような炭酸をいきなり飲んだ時の、喉がまだ準備できていないあの感覚に似ていた。


「快龍さんに教えていただいたおかげです! 最後は、筋トレの効果だったかもしれません」


「ああ、それはよかった。筋トレは、自分に自信をつけるのに適しているからな」


 隣から快龍の落ち着いた声が聞こえて、どうにもそちらを見れない。

 なんでだろう。不思議だ。

 キャプテンとして、千尋を祝福したいのに。


 千尋と話し終えた快龍が紗良の前を横切る。

 懐かしい柔軟剤の匂いが、ふわっと香った。

 あの、快龍くん。

 言葉を発したつもりだったけど、声になっていなかった。

 

「トーカ、雪」


 快龍はネットの向こう側、肩を落として座るトーカの前に立った。

 トーカが顔を上げる。隣にいる雪も透明感のある瞳で快龍を捉えている。


「俺は正直お前たちを舐めていた。平行、セミの組み立て。そしてスパイクの威力。どれも一朝一夕でできるものじゃない。これまで、頑張っていたんだな」


「……、どーも」


 トーカが不貞腐れたように言った。雪は黙っていた。


「特に9球目だ。最後まで諦めず、ボールに喰らいついていってたよな。あれは、なんというか、本当に……」


 快龍が言い淀む。


「本当に、ああ、うん」


「何が言いたいん?」

 

 鋭くトーカが尋ねる。快龍がごくりと唾を飲み込んだ。


「……、お前たちは、そこまでして俺に部活に来てほしくなかったのかと思うと、素直に喜べなくて」


 肩を落として、快龍はうなだれていた。

 少し離れて聞いていた紗良にも、彼が落ち込む気持ちはよくわかった。

 トーカが意地を見せるほど、快龍くんは自分が部活に求められていないことを肌で感じてしまったのだろう。


「いや、違うし!」

 

 しかし、快龍の言葉を否定するように勢いよくトーカが立ち上がった。

 予想外の言葉に、快龍がハッと顔を上げる。

 ゆったりとした動作でヘアバンドとお団子をまとめるゴムを外し、トーカはウェーブした金髪を手でふわっと靡かせた。ファッションモデルがよくやるみたいに。


「思いあがんないでよね。別にあんたは関係ない」


「俺は関係ない?」


「……最後のは、純粋に勝ちたかっただけだから」


 トーカが快龍の横まで歩き、ネットを鷲掴みにするように両手を引っ掛けてぐいと下に引っ張った。

 練習でスパイクミスなどをした後、彼女がよくする癖だった。

――トーカ、悔しかったんだな。

 紗良とっては、微笑ましい光景だった。


「――ふっ。そうかよ」

 

 張り詰めていた快龍の表情がほころんだ。 

 下唇を突き出すトーカを見て、彼は嬉しそうだった。


「じゃあ、俺はこれから部活に来てもいいんだな?」


「勝手にすれば。ウチらも勝手にするから」


「いや、あの、一応マネージャー兼コーチだから、練習に口出しはするんだが……」


「勝手にすれば」


「あ、ありがとう、ございます」


 快龍くんは珍しくタジタジだったけど、一応トーカの了解は得られたようだ。

 これでやっと、部活として再始動できる。

 千尋が前向きに頑張ってくれたおかげだ。

 そして千尋が変わったのは、多分快龍くんのおかげ。


「じゃあ、快龍くんの歓迎会も兼ねて今日は打ち上げ行こっか!」

 

「うわ! 素敵ですね! この前言ってたパンケーキのお店ですか〜?」

 

 千尋が後ろで両手を合わせて喜んでいる。


「え、スイーツ食べ放題コースでしょ」


 トーカも耳ざとく、乗り気みたいだ。

 でも、聞いて、二人とも。そんな女子女子した場所に快龍くん連れて行っても、絶対肩身が狭い思いするやん。インスタ映え空間で縮こまってる快龍君は、ちょっとだけ見てみたいけれど。


「えー、今日はファミレスに向かいたいと思います」


 キャプテンの権限を、ここで使用することにした。


***

「それでは、快龍くんのマネージャー就任を祝って、乾杯〜!」


 ファミレスのテーブル席。紗良の音頭に合わせて、それぞれが持っているグラスを重ね合わせた。

 紗良自身はオレンジジュース、トーカはメロンソーダ、千尋と快龍は烏龍茶だった。雪も誘ったが「この後、予定があるの」と言って帰ってしまった。


 かちゃかちゃとソフトドリンク用のグラスが安っぽく鳴った。

 紗良は快龍の隣の席に座ることにした。

 トーカと千尋が隣同士で、二人の向かい側に座っていた。


「いやあそれにしても、千尋のブロック、めちゃ成長しとったなぁ」


 トーカがぐびぐびとメロンソーダを飲んで言った。帰り道でも散々聞いたセリフだったが、それだけ迫力があったのだろう。


「いやいや、快龍さんのおかげですよ」


 千尋は行儀良くストローを刺して烏龍茶を啜っている。

 彼女が視線で快龍を指すと、背筋をまっすぐに伸ばした快龍はかぶりを振った。

 そのやりとりも何度も聞いていたが、紗良はもうあまり耳にしたくはなかった。


「いや、俺はちょっとやり方を教えただけで、後は千尋が努力家なだけだ」


「でも、快龍さんの教え方とってもわかりやすいんですよ! 手の角度とか位置とか、理論と感覚の両方で伝えてくれて」


「千尋は飲み込みが早いからな」


「いやいや、ですが――」


「じゃあ、ここで快龍くんから就任の挨拶をもらってもいいかな?」


 わざとらしくみえないよう、二人の会話を遮った。

 ちゃんと自己紹介もできてなかったし、と付け加える。


「ああ、わかった」

 隣に座る快龍は、小さく咳き込んでから立ち上がった。ファミレスで彼が席を立つと、パーテーションから上半身が大きくはみ出してよく目立った。


「ああ、では改めて。2年1組、北条快龍だ。好きな筋トレはベンチプレス。これからよろしく頼む」


 ほとんど直角に頭を下げる快龍。無骨な挨拶だけど、彼らしくて紗良は好きだった。パチパチと拍手を送った。千尋も白くて長い指を合わせて彼の入部を称賛した。トーカも大きく手を叩いた。


 そしてなぜか隣のテーブルの大学生っぽいグループも手を叩き出した。すると横の家族連れも拍手を送り、奥の席のカップルもそれに続いた。料理を運んできた店員までも、訳もわからないままパチパチと手を鳴らした。


――え。


 瞬く間に、ファミレス中が拍手の渦に包まれた。

 快龍はすごく座りにくそうに、周りを見渡して何度も頭を下げている。

 その姿がなんだか滑稽で、紗良は思わず吹き出してしまった。

 みんなが彼の入部を祝ってくれているみたいで嬉しかった。


「すげー拍手されたじゃん。ウケるわー」

 トーカは両手で顎を支えるように頬杖をついて、とろんとした目をしていた。彼女のメロンソーダはすでに空っぽだ。


「さすが快龍さんですね」 千尋も笑っている。


「んで、じゃあさ、ドラゴン君。ウチは質問したいんだけどぉ」


 あ、まずいかも。

 拍手喝采で場が盛り上がったのが、よくなかったかもしれない。

 トーカの声が明らかに高く、上擦っている。


「……トーカ?」


 快龍が怪訝そうにトーカの様子を伺っている。

 千尋は全てを察した様子で、下を向いていた。


「ドラゴン君の好きなタイプは、どんな女の子なん!!」


 トーカの大きな声がファミレス中に響いた。

 彼女の頬は赤く染まり、目は完全にキマっている。

 そう。トーカはソフトドリンクで場酔いできる女だった。

 突然の変貌に、快龍はついていけていない様子だ。何度か瞬きをして、口をぽかんと開けていた。


「快龍くん、ごめんね。トーカはね、ソフドリで場酔いできるの」


 しかもタチの悪い絡み方をしてくる酔っ払いだ。

 トーカは千尋の肩に腕を回して、横から彼女をぎゅっと抱き寄せた。


「と、トーカ!?」


「ちぃちゃんはマジでべっぴんさんやなぁ〜」


 そう言って千尋の頬を撫でている。まるでセクハラおっさん上司みたいだ。

 こうなったら水を飲ませるしかない。

「ちょっと私、ドリンクバーで水入れてくるね」

 立ち上がって、店の奥に向かおうとした時だった。

 トーカが千尋を抱えたまま立ち上がって、快龍をまっすぐ指差した。


「おい、ドラゴン! この三人の中だったら誰が一番タイプなんじゃい!」


――おいおいっ!

 思わずグラスを落としそうになって、紗良はすんでのところでコップを拾ったが、テーブルの角に頭をゴスンとぶつけてしまった。

 なんてことを聞いてくれるんだ。

 トーカの腕に抱かれた千尋も、チラリと快龍の表情を窺っていた。

 快龍は顎に手を当てて、考えているようだった。


――快龍くんはこういう時、変に真面目だからな。

 ドクドクと心臓が鳴っていて、ドリンクバーに向かおうとする足も動いてくれなかった。


「俺は」


 耳を澄ます。

 その先の言葉に、期待している自分がいる。

 その先の言葉を、聞きたくない自分がいる。

 快龍が、息をすぅっと吸った。


「俺はマネージャーだからな。部活に私情は持ち込まない」


「なんだぁ、つまんないの」

 そう言ってトーカは千尋の膝の上に頭を埋めて寝息を立て始めた。

 なるほど。

 思っていたよりもさらに、快龍くんは真面目だったということか。

 紗良はとりあえずほっと息を吐き出した。


 千尋はトーカの名前を呼びかけながら、肩を揺さぶっていた。

 快龍はぐびっと烏龍茶を飲んだ。


 なんだぁ、つまんないの。

 ほんのちょっとだけトーカにも共感したけど、でもここで勝ち負けが決まってしまうのは残酷なようにも思えた。

 負けてもいい。選ばれなくてもいい。

 部活のためなら本当に自分がそう思えるのか、今はよくわからなかった。

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