第34話 惑いの森
翌日、アイリスはさっそくイーサンに会いに皇宮を訪れた。と言っても、また余計な噂が立ってはよくないため内密に手紙を送って、目立たないように迎えてもらう。
案内された部屋は奥まった目立たない場所にある小さな部屋だったが、その割には花瓶に豪華な花が飾られていて、さすが皇宮はどの部屋も手抜きがないのねと感心した。
香りのいい紅茶を飲みながら、イーサンにまず何から話そうかと考えていると、思ったよりも早くノックの音が聞こえてイーサンが現れた。
「殿下、ご機嫌麗しく──」
立ち上がってお辞儀をしようとすると、イーサンがひどく心配そうな表情で駆け寄ってきた。
「アイリス……! 身体はもう大丈夫なのか?」
「あ……はい、おかげさまでだいぶ回復しました。療養中はいろいろお気遣いいただいてありがとうございました」
「いや、君が元気になってよかった」
イーサンが安堵の笑みを浮かべ、アイリスを椅子に座らせる。
「君から私を訪ねてきてくれるとは思わなかったよ」
「殿下をお呼び立てするのは申し訳ないと思いまして。でも、秘密でお伺いしたいなどご面倒をお掛けしてすみませんでした」
「気にしないでくれ。それはそれで少しどきどきしたと言うか……」
「え?」
「いや、何でもない。君も回復したばかりだし、長話はやめて本題に入ろうか」
イーサンに用件を促され、アイリスが少し言葉に詰まる。
もうすぐ公爵領に戻ることを先に伝えようかと思ったが、そうすると引き止められてしまいそうな気がして、アイリスは言うのをやめた。
(余計な話はせずに、呪いのことを話してしまおう)
アイリスが真面目な顔でイーサンを見つめる。
「殿下、狩猟祭の日に言ったことを覚えていますか? 殿下と二人で行きたい場所があるという話を」
「あ、ああ……もちろん覚えている。私の予定のことは心配しなくていい。君に合わせて調整するから」
なぜか顔を赤くするイーサンを不思議に思いながら、アイリスが呪いのことを話そうと口を開く。
「実は殿下をお誘いしたのには理由があって──」
しかし、最後まで言う前に、突然イーサンが頭を押さえて顔を歪めた。
「うっ……」
「殿下!? 大丈夫ですか!?」
アイリスが驚いて椅子から立って駆け寄ると、イーサンは脂汗のにじんだ顔で苦しそうにアイリスを見上げた。
「……す、すまない。ここ数日、たまにこんな風に酷い頭痛がするんだ。最近、公務が多かったからかもしれない。もう大丈夫だから安心してくれ」
イーサンがそう言って微笑むが、顔色は真っ青で明らかに無理をしている。そして何より、アイリスはこの症状に覚えがありすぎた。
「殿下、失礼いたします」
アイリスがそう言って、イーサンの両頬に手を添え、ぐいっと顔を上向かせる。そして、彼の整った顔とくっつきそうなほどに顔を近づけた。
「ア、アイリス……!?」
驚いて顔を逸らそうとするイーサンを「じっとしてください!」と一喝し、彼のサファイアのような青い瞳を凝視する。
すると思ったとおり、イーサンの瞳の中には古代竜の呪いの印が浮かんでいた。
「……やっぱり」
頭痛の原因を特定できたアイリスがイーサンの顔から手を離す。呪いの発動はもっと先だと思っていたのに、すでに発動し始めていたようだ。
「ア、アイリス、今のは……どうして突然こんな──」
先ほどまで青白かった顔に急に血色が戻ってきたイーサンが、ひどく戸惑った様子でアイリスに尋ねる。
しかしアイリスはその問いには答えることなく、強い口調で言い放った。
「一刻の猶予もありません。ついてきてください」
アイリスの剣幕に気圧されて、イーサンがこくりとうなずく。了承を得たアイリスは、すぐにその場で魔法陣を描いた。
「アイリス、それは……魔法か?」
驚いて目を丸くするイーサンの前で、アイリスの描いた魔法陣が淡い紫色の光を放つ。
「移動の魔法陣です。これから惑いの森へ行きます」
「惑いの森……?」
「ごめんなさい、説明している暇はないんです。とにかく一緒に来てください!」
アイリスがイーサンの手を引いて魔法陣の中へ飛び込む。
すると次の瞬間、二人は鬱蒼とした森の入り口に着地していた。
「ここが惑いの森なのか……?」
「はい、魔法では森の中まで入れないので、ここから自分の足で行かなくてはなりません」
「分かった、行こう」
イーサンがうなずいて森の中へと一歩を踏み出す。
疑ったり、戸惑ったりする素振りも見せずに森の中を進んでいくイーサンは、ありがたくはあったが不思議でもあった。
(……どうしてこんなにすんなりついてきてくれるのかしら)
アイリスからはまだ何も詳しい説明ができていない。そのうえ、彼からしてみればいきなり目の前で魔法を使われ、怪しい森へと連れてこられたのだ。素直に従ってくれなくても当然の状況だ。
「……殿下は、私に騙されているとは思わないのですか? 訳も分からずいきなり連れ出されて……」
イーサンに疑われたところで、無理やりにでも連れて行くつもりだが、彼が何を考えているのか気になる。
イーサンは、森を進む足を止めることなく、アイリスに答えた。
「私は、君と二人で出かけるという約束を守っているだけだ。君との約束は守りたい」
「……っ」
イーサンの口から出た「約束」という言葉に、アイリスの胸が熱くなる。イーサンが前世のことを覚えていたら、アリアとの約束もこうして守ってくれただろうか。
「それに、君が魔法を使えるのは驚いたが、不思議と警戒する気持ちにはならなかったんだ。むしろ懐かしい感情を覚えたというか……」
「それって──」
もしかしたら、前世の記憶からくる感覚だろうかと考えた瞬間。目の前から鋭い棘のついた
「アイリス、危ない!!」
イーサンが叫ぶのと同時に、茨がアイリスの頬を打って赤い血が飛び散る。
「アイリス……!」
しかし、アイリスは傷を気にすることなく、イーサンの手を取って駆け出した。
「この茨は精霊が人間を寄せつけないように作った幻影魔法です。傷も痛みも本物じゃありません」
アイリスが説明している間にも、次々と茨の鞭が現れてアイリスとイーサンに襲いかかる。
「くっ……」
イーサンも頬に茨の棘が突き刺さり、痛みを堪えるように顔を歪める。
「大丈夫、すべてまやかしです! 怖がらないで突き進んで。私を信じてください!」
必死に励ますアイリスの手を、イーサンが強く握りしめた。
「ああ、君を信じる……!」
走り続けてどれくらい経っただろうか。
気づけば、体中についていた傷は跡形もなく消え去り、先ほどまでの暗い森とは違う、七色の光に満ちた森へとたどり着いた。
「……着きましたね」
「この場所は一体……?」
アイリスとイーサンが神秘的な空間を見回していると、背後から誰かの足音が聞こえ、二人は揃って後ろを振り返った。
「なんだ、またそなたか」
「──精霊王様」
振り向いた先では、神々しいオーラをまとった精霊の王が気怠げな表情でアイリスを見つめていた。
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