第35話 解呪

 精霊王が、真っ白な雪色の長髪を風になびかせ、森の緑を映した色をした静謐な瞳で招かれざる客たちを見渡す。


 その威圧感のある雰囲気に飲み込まれているイーサンの横で、アイリスが恭しくお辞儀した。


「ご無沙汰しております、精霊王様」


 アイリスの堂々とした態度を見て、イーサンも最大の敬意を払ったお辞儀をする。


「初めてお目にかかります。クロフォード帝国皇太子のイーサンと申します」


 こうべを垂れるイーサンを見下ろしながら、精霊王が「ふむ」と顎に手を添える。


「こやつがお前の言っていた男だな」

「はい、そうです。私と同じ呪いに掛かっています」


 二人の会話を聞いたイーサンが驚いて顔を上げる。


「アイリスと同じ呪い? どういうことですか?」


 まるで青天の霹靂といった様子のイーサンに、精霊王がアイリスを見やる。


「そなた、何も説明していないのか?」

「あ……実はもう呪いが発動し始めていたので、説明する余裕がなくて……」

「何も知らず、よくあの幻影に耐える気になったな」

「それは私もそう思います……」


 精霊王が呆れたように溜め息をつき、イーサンに視線を向ける。そして淡白な表情でイーサンの問いに答えた。


「お前には古代竜の呪いが掛かっている。前世から消えることなく続いている短命の呪いだ」

「古代竜……前世……?」


 イーサンの呟きに精霊王がうなずく。


「お前は900年前の前世でアイリスと同じ魔法使いだった。二人で古代竜を封印し、死の霧を浴びながら絶命した。そして転生を繰り返すたび、古代竜の呪いのせいで若くして命を落としていたのだ。今アイリスがお前をここに連れてきたのは、その呪いを解くためだ」


 イーサンがアイリスに振り向くと、アイリスも真剣な面持ちでうなずいた。


「私は前回の生でこの惑いの森にたどり着いて、精霊王様に呪いを解いていただいたの。そのときに今度はあなたも連れてくると伝えていて……。前世で魔法使いだったとか、古代竜を封印したとか言われても、今のあなたには意味が分からないかもしれないけど──」


 どこか悲しそうな顔をしたアイリスに、イーサンが眉根を寄せて返事する。


「……君に会ってからよく見るようになった夢は、きっと私たちの前世の姿だったんだな。ただ正直、私はそのときのことを覚えていないようだ。……とても悔しいが」


 アイリスがふるふると首を横に振る。


「いいの。あなたの呪いを解くことができたら、もうそれでいいわ。あなたには幸せに生きてほしいから」


 アイリスはそう言って柔らかく微笑むが、淡い紫色の瞳には隠しきれない寂しさがくすぶって見える。そんな彼女の姿を見るだけで、イーサンの胸がたまらなく痛んだ。


「──では、時間もないから呪いを解くぞ」


 精霊王がイーサンに向かって手を伸ばす。


「……はい、お願いします」

「もう発動し始めているから、多少苦しいかもしれないが我慢しろ」


 精霊王がイーサンの額を覆うように触れる。

 触れた場所から七色の輝きがあふれ出して、イーサンを包み込んだ。


「うっ……」


 アイリスのときはすぐに呪いが解かれたが、イーサンは少し苦痛が伴うようで、辛そうに顔を歪めている。


 そうしてしばらく解呪の術が続けられたあと、ふっと七色の光が空気に溶け、精霊王が霊力を込めていた手を下ろした。


「これで短命の呪いは解けたぞ」

「感謝いたします、精霊王様」

「ありがとうございます……!」


 イーサンとアイリスが安堵の表情で礼の言葉を述べる。

 精霊王はうなずいてそれに応えたあと、やや意外そうにイーサンに呼びかけた。


「お前、短命の呪いのほかに、別の呪いも掛かっているぞ」

「別の呪い、ですか……?」


 思いがけない言葉に、イーサンが目を見張る。

 アイリスにとっても予想していなかった事態で、精霊王に食ってかかる勢いで問いかけた。


「どういうことですか……!? 別の呪いだなんて……一体どんな呪いなのですか!?」


 精霊王がアイリスへと視線を移す。


「古代竜の呪いと比べれば低俗なものではあるな。昨日今日掛けられた呪いではない。少なくとも数年は経っている」

「数年間も……!? 呪いの内容は分かりますか?」


 古代竜の呪いのことばかり考えていて、ほかにも呪いが掛けられている可能性など考えもしなかった。

 命に関わる呪いではなければと祈っていると、精霊王が改めて確かめるようにイーサンを眺めた。


「掛かっているのは、記憶を改竄する呪いだ。この男の記憶の一部が書き換えられている」


 精霊王の答えにアイリスが目を見開く。

 記憶の改竄は非常に高度な術だ。アイリスやクリフならさほど難しいものではないが、普通の魔法使いが使えるような術ではない。


「この時代にも記憶改竄の術が使えるような優れた魔法使いがいるということですか?」

「いや、どうやら過去の遺物の魔道具が使われたようだ。少しの魔力と、足りない分は対価を支払うことで呪いを発動している」

「対価というのは……?」

「片目の視力だ」

「片目の、視力……」


 アイリスとイーサンが顔を見合わせる。

 二人の脳裏に思い浮かんだのは、同じ人物──イーサンの婚約者である侯爵令嬢セシリアだった。

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