私との婚約を嫌がっていた王子殿下と中身が入れ替わってしまった結果

紫陽花

第1話

 今日は夢のような日だ。


 なぜなら、憧れの王子殿下との婚約式の日だから。


 クラヴェル王国の第二王子リシャール・クラヴェル殿下──美しい濃紺の髪と透き通った白銀の瞳は、まるで夜の神の祝福を受けたように神秘的で、誰もが魅入られてしまう。


 そのリシャール殿下と婚約できるだなんて、今でも信じられない。


 殿下に出会ったのは今から五年前、十二歳のとき。建国祭のパレードで初めてお姿を拝見した。


 同い年とは思えない大人びた容姿に目を奪われ、その瞬間から、殿下は私の特別な人になった。


 私はしがない伯爵令嬢だし、殿下とは違って目を引く外見でもない。決して報われない恋だと思っていた。


 だから、今年のデビュタントで幸運にも殿下とダンスを踊ることができたとき、この奇跡をいい思い出にして、これからは現実と向き合おうと決めたのだ。


 それなのに、まさか一緒にダンスを踊る以上の奇跡が起こるなんて──。


 デビュタントでダンスを踊ったときは、特に会話もなかったけれど、手の触れ方など些細なことに優しい気遣いが感じられて、やっぱり素敵な人なのだと思った。


 殿下のような素晴らしい方の婚約者になるのだから、その立場に相応しくあれるよう、これから努力しなくてはならない。


 きっととても大変だろうけれど、殿下のためならいくらでも頑張れる。


(私も、殿下に素敵な令嬢だって思ってもらいたいから……)


 どんどんと近づいてくる王城を眺めながら、そんな夢のようなことを願った。



◇◇◇



「フランセル伯爵ご夫妻とご令嬢のエリアーヌ様がいらっしゃいました」


 侍従の方に案内され、婚約式が行われる部屋へと入ると、そこには正装をまとった国王陛下と王妃殿下、そしてリシャール殿下がいらっしゃった。


 緊張を隠して息を整え、心を込めて挨拶をする。


「これはこれは。エリアーヌ嬢はもう一人前のレディのようだ。なあ、リシャール」


 国王陛下が私の挨拶を褒めてくださり、殿下に相槌を求められた。


(殿下にも婚約者に相応しいレディだと思っていただけたかしら……?)


 ついそんな期待をしながらリシャール殿下を見てしまう。

 けれど、視線の先の殿下のお顔は明らかに青褪め、白銀の瞳は輝きを失っていた。


(え……?)


 初めて見る殿下の暗い表情に思わず動揺していると、殿下の沈んだ声が耳に届く。


「ええ……素晴らしいですね、本当に……」


 その返事を聞いた瞬間、分かってしまった。


 ──殿下は私との婚約を望まれていないのだと。


 たとえ言葉では褒めていても、その表情から、声音から、彼の絶望が伝わってくる。


 ついさっきまで嬉しさに弾んでいた私の心は、一気に冷え込んでいった。


 殿下がこの婚約を本当は嫌がっているかもしれないと、どうして気づけなかったのだろう。自分のことばかり考えて一人で浮かれて、本当に恥ずかしい。


 今からでも私から「やっぱりこの婚約はやめましょう」と言うべきかもしれない。


 ……いや、そんなことは無理だ。

 この婚約は両家の間で決められたこと。

 それを私の立場で覆すことなどできない。


 ──と、そこまで考えて、私は小さく首を振る。


 そうじゃない。私はずるい人間だから、たとえ心の通わない婚約だとしても、この繋がりを守りたいのだ。


(こんなにも浅ましい人間でごめんなさい……)


 暗い表情のままのリシャール殿下から、私はそっと目を逸らした。



◇◇◇


 

 それから後のことは、あまり覚えていない。


 婚約式は滞りなく粛々と進められ、私と殿下の婚約が成立した。


 屋敷に帰ってきた私は部屋に閉じこもり、寝台に腰掛けて大きな溜め息をつく。


 あれほど待ち遠しく思っていた婚約式だったのに、終わってみれば罪悪感しか残っていない。


 自分がこれほど腹黒い人間だとは思わなかった。

 殿下の苦しそうなお顔を目にしておきながら、己の欲を優先するなんて。いつか神罰が下ってもおかしくない。


(そのときは真摯な気持ちで受け入れなくては。それだけのことを、私はしてしまった……)


 謝って許されることではないけれど、それでも謝罪せずにはいられない。


「神様、リシャール殿下、本当に申し訳ございません……」


 手を組み、姿勢を正して懺悔の言葉を口にしたとき──。


 突然、周囲が明るい光に包まれた。


「な、なに……!?」


 まばゆい光に目がくらみ、たまらず瞼を閉じる。


 しばらくして光が収まるのを感じ、ゆっくりと目を開けると……


 なぜか私は、王城の広いエントランスにいた。


(えっ? どうして突然お城に……?)


 一体何が起こったのか、まったくわけが分からない。

 けれど、このままここに立っていても仕方がないし、うっかり殿下に会ってしまったら、また嫌な思いをさせてしまうかもしれない。


 早くお城から出ようと向きを変えたとき、窓ガラスに映った自分の姿が見えて、私は目を疑った。


(どういうこと……!? なぜ殿下のお姿が……)


 外が暗いせいで鏡のようになっている窓ガラスには、平凡なエリアーヌの顔ではなく、完璧に整ったリシャール殿下のご尊顔が映っている。


 つまり、今の私はリシャール殿下の姿をしているということだ。


(もしかして、さっきの眩しい光のせいでこうなってしまったのかしら……)


 とすると、今「エリアーヌ」の身体にはリシャール殿下が入っているのかもしれない。


「なんてこと……」


 あんな華やかさの欠片もない地味な部屋を見られてしまったら、さらに悪い印象を持たれてしまうかもしれない。


(本棚に恋愛小説ばかり置いてあるのもくだらないと思われてしまうかも……。眠れない夜に殿下を想って書いたポエムなんか読まれたら死ぬしかない……!)


 今すぐ屋敷に帰って、いろいろ阻止したい。

 でも、殿下に会って幻滅の眼差しで見られたらと思うと恐ろしくて帰れない。


(……とりあえず、私も殿下のお部屋に行きましょう)


 そこなら、これからどうすべきか、ひとり静かに考えられるだろう。


 私は通りすがりの使用人に自然な感じでリシャール殿下の部屋の場所を聞き出し、挙動不審にならないよう気をつけて部屋へと向かった。




「ここが殿下のお部屋……」


 立派な扉を見つめながら、聖地巡礼に来た信者のような心地で呟く。


(入った瞬間からいい香りがしそうだわ。内装はどんな感じなのかしら。きっと上品で知的な雰囲気なのでしょうね。小さい頃の肖像画があったらぜひ見たいわ……)

 

 やや不敬な想像をしながら、私はそっと扉を開けた。


「お邪魔いたします……」


 想い人の私室に入るという緊張感でドキドキしながら足を踏み入れると──


 想像もしなかったとんでもないものが視界に入ってきて、私は思わず悲鳴を上げた。



 目の前の壁に、それはそれは巨大な「私」エリアーヌの肖像画が飾られていたのだ。



「何これ、どういうこと……?」


 予想外の事態に狼狽えながら視線を逸らすと、逸らした先にまた別の私が描かれた肖像画がある。しかも何枚も。


 あまりの衝撃に目眩を起こし、私はふらふらとよろけながら机の上に手をつく。しかし、うっかりして机の上にあった本を落としてしまった。


「いけない、殿下のお持ち物を落としてしまうなんて……」


 慌てて拾おうとすると、開いたページに私の名前が書かれているのが見えた。どうやらこれは殿下の日記帳らしい。読んではいけないことは明らかだが、自分の名前が書かれていては読まずにいられない。たとえ、よくないことが書かれているかもしれなくても……。



 ──明日はエリアーヌ嬢との婚約式。憂鬱で仕方ない。


 ──父上と母上は僕の気持ちを知りながらエリアーヌ嬢との婚約を強行してしまうなんて酷すぎる。



(やっぱり……殿下は私との婚約が嫌で仕方なかったんだわ)


 壁の大量の肖像画も、陛下と妃殿下が無理やり飾らせたものなのかもしれない。


 胸が苦しくて仕方ないけれど、殿下の本当の気持ちを受け止めなければならない気がして、さらに読み進める。



 ──僕はエリアーヌ嬢が好きだからこそ、権力を使って自分のものにするのはどうかと思って我慢していたのに。


 ──理性を投げ捨ててもいいなら、十年前に一目惚れした建国祭の日にすぐ婚約をしていた。


 ──でも、結局我慢しきれずに婚約を決めたのは僕なのだから、父上と母上のせいにするのはお門違いか……。


 ──だって、エリアーヌ嬢のデビュタントでの愛らしさを目の当たりにしたら誰だって理性が飛んでしまう。あんなに美しくて可憐な姿を見たら、他の令息たちが放っておくわけがない。すぐに誰かにとられてしまうと思ったら、もう我慢なんてできず、権力にものを言わせてしまった。


 ──僕は最低な人間だ……



 昨日書かれたページを読み終わった私は、日記帳を丁寧に閉じて机の上に戻すと、大きく息を吸い込んで吐き出した。


 この日記は殿下の直筆のはず。

 つまり、ここに書かれていることは殿下の本心そのもの。


 と、いうことは──


「リシャール殿下が、私のことをす、好き……?」


 それに婚約式での絶望感漂う態度も、私を嫌がっているのではなく自責の念からだった……?


「ちょっと待って……」


 情報の処理と気持ちの整理が追いつかない。


 必死に冷静になろうとするものの、この部屋はどっちを向いても(おそらく殿下自ら飾った)私の肖像画ばかりで落ち着かない。


「だめだわ……もう布団をかぶって寝てしまいましょう……」


 もはや現実逃避の道しか残されていない私は、豪華な寝台に入り込んでもぞもぞと布団をかぶった──ものの、すぐ横に手のひら大の何かがあることに気づいて起き上がる。


(何かしらこれ)


 手に取って確かめてみると、またもや予想外のもので、私は再び目を疑った。


「こっ、これは……私の人形!?」


 手に取ったそれは、明らかに私の姿を模したフェルトのぬいぐるみだった。


「茶色の髪に翠色の瞳、そして目元のほくろまで完全に再現されてるわ……」


 瞳の色合いは何色もの糸を使って丁寧に表現されており、衣装も本物の高級シルクやレースが使われ、かなり豪華で手が込んでいる。


 こんなぬいぐるみまで作って寝台に寝かされているなんて……。ここまできてしまってはもう、確信どころか自惚れざるを得ない。



「リシャール殿下は本当に私のことが好きなんだわ……」



◇◇◇



 翌朝、目が覚めると私はフランセル家の自分の部屋にいた。

 身体もしっかり「エリアーヌ」のもの。

 入れ替わりが解けたのだ。


 私は急いで支度を済ませて王宮へと向かった。


 王宮に到着すると、思ったとおり、殿下のお部屋の前では大騒ぎになっていた。


「僕はもう生きていけない! このまま生き恥を晒すくらいなら今すぐ死ぬ!」


 殿下の物騒な台詞が聞こえてきて、私はたまらず部屋の中に押し入った。


「死ぬなんていけません、殿下!」


「エリアーヌ……?」


 殿下が涙で潤んだ綺麗な瞳を丸くし、ぽかんとした表情で私を見つめる。腕の中には例のぬいぐるみを抱きしめていて、とてもいじらしい。


 私は殿下のもとに駆け寄ると、理性と恥じらいをかなぐり捨てて殿下を抱きしめた。


「殿下、好きです。だから死ぬなんて言わないでください」


 殿下が私の突然の告白と抱擁に固く身をこわばらせながら、震える声で返事する。


「う、嘘だ。君はこの部屋の有り様を見ただろう? 気持ち悪いと思ったに決まってる」


「いいえ、こんなに想ってもらえていて嬉しいです。それに、殿下だって私の部屋を見て幻滅したのではないですか?」


「まさか。死ぬ前にいい思い出ができた。僕の葬式では君が書いたポエム集を一緒に埋葬してほしい」


「ですから死なないでください。というかアレをご覧になったのですね……」


 私も死んでしまいたい気持ちになったが、なんとかこらえて語りかける。


「私も建国祭の日からずっと殿下のことをお慕いしていました。せっかく両想いだと分かったのですから、これからはたくさん殿下にお会いして、殿下のことをもっと知りたいです」


「ほ、本当に……?」


「ええ、本当です。あ、そうだわ、私も殿下のぬいぐるみが欲しいので作り方を教えてくださいませんか?」


「……ああ」


 殿下が頬を染めながら、遠慮がちに私の背中に腕を回す。


 お互いにやっと気持ちが通じ合ったのを感じて、私と殿下は同時に笑みをこぼした。


「……ずっと好きだった、エリアーヌ」


「……はい、私もです」



 ──それから私たちは王国でも有名な相思相愛カップルになった。そして今、若い恋人たちの間では、お互いのぬいぐるみを作るのが流行しているという──


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