乙女ゲームのヤンデレ監禁エンドに収まりましたが、おかげ様でとても快適です

紫陽花

第1話

 突然だが、私は今、ヤンデレ男子に監禁されている。


 話せば長くなるので簡単に説明するが、ここは乙女ゲーム『いつか見た幻想』の世界。


 私はそのゲームのヒロインである伯爵令嬢アルマ・メイナードに転生した。


 そして、五人いる攻略対象のうち「ヤンデレ枠」である公爵令息ギルバート・エインズレイを攻略し、ヤンデレ監禁エンドに収まったのだった。


 画面越しではなく現実となったこの世界で、なぜ私が爽やか王子、クーデレ騎士、弟系甘えん坊幼馴染、俺様魔術師ルートを回避し、ヤンデレ監禁男子なんて厄介なルートを選択したのか。


 ゲームの内容を知らずに顔の好みだけで選んでしまったから?


 それとも、適当に会話をしていたらうっかりヤンデレルートになってしまったから?


 どちらも違う。

 そもそも私はこのゲームをかなりやり込んでいる。

 攻略対象のセリフをほぼ全部暗記しているくらいに。


 つまり私は自分の意思で選んだのだ。


 思い込みが激しく、監禁が大好きなギルバートのルートを。


 なぜなら、ヤンデレ監禁エンドこそ、私が求めていた理想の生活──小説執筆の趣味に最適なライフスタイルだったから──!

 


【監禁生活1日目】


 朝、いや、たぶん朝と思われる時間に目を覚ます。

 なぜこんな曖昧な言い方をしているかといえば、この部屋には窓がないからだ。なので今がどの時間帯なのか分からない。


 でも、初日から体内時計がくるうことはないだろうから、きっと朝の時間に起きられているはずだ。


 そしてこの世界には電気のような魔道具があるから、日光が入ってこなくても問題ない。


 私は部屋を明るくする魔道具をつけて、ぐっと体を伸ばした。


「よし、さっそく書くか」


 転生前は、毎日母から朝起きたらすぐ顔を洗いなさいだとか、早く朝食を食べて着替えなさいだとかうるさく言われていたけれど、今は起床後すぐに執筆に取りかかれるから最高だ。


 さっき夢で見たエモいシーンを忘れないうちに小説に取り入れなくてはならない。


「──ディーンは大切な人の緑柱石のように美しい瞳を愛おしげに見つめた。そして小さなおとがいをそっと持ち上げ、赤く色づいた唇に噛みつくような口づけを……」


 順調に書き進めていると、コンコンとノックの音がして、続いて穏やかでどこか甘ったるい声が聞こえてきた。


「おはようアルマ。昨日はよく眠れたかな?」


「ギルバート様おはようございます。はい、おかげさまでぐっすりと」


 寝起きの乙女の部屋にずかずかと入ってきたのは、私をこの部屋に監禁した張本人ギルバート・エインズレイだった。


 美しい銀髪がまるで自然発光しているかのように煌めき、アメジストのような紫色の瞳がヤンデレ感たっぷりに妖しく輝く。


「君が僕の屋敷にいるなんて夢みたいだよ……。この部屋は気に入ってもらえたかな?」


 闇堕ちした監禁魔という負のイメージを打ち消すほど麗しく整った顔が、うっとりとこちらを見つめる。


 私は特別仕様の部屋をぐるりと見渡すと、満足の笑みを浮かべてうなずいた。


「はい、とても。このお部屋ならいつまでも快適に暮らせそうです。ギルバート様が指示して作ってくださったんですよね?」


 私の返事を聞いたギルバート様は嬉しそうにニヤリと笑った。


「うん、そうだよ。君を誰にも見られたくないから窓は全部潰したんだ。代わりに有名な風景画家の作品を飾っておいたから大丈夫だよね。あと、部屋の外にもあまり出てほしくないから、この部屋だけで暮らせるように設備も整えたんだ。用事があれば備え付けの魔道具で使用人を呼べるようになってるから」


「素晴らしい。至れり尽くせりでありがとうございます」


 引きこもり部屋として、あまりに完璧な造りに思わず拍手が出てしまった。


 ギルバート様が褒められて照れたように頬を紅潮させる。


「そんなに喜んでもらえて嬉しいよ。必要なものがあればすぐに手配するから」


「ありがとうございます。頼りにしてます」


「ふふ、アルマを逃がさないためなら何だってするさ」


 ギルバート様が恍惚とした表情を浮かべ、その長くしなやかな指先で私の頬に触れようとしたとき、部屋の中に新たな人物の声が響いた。


「お兄様! こんなことをしてはいけませんわ! このような窓もない部屋に閉じ込めるなんて、アルマ様がお可哀想です……!」


 儚げな美少女が、うっすらと涙を浮かべながらギルバート様に訴えている。


 ギルバート様は美少女を一瞥すると、鬱陶しそうに首を振った。


「エレン、いくら僕の妹とはいえ、勝手に入らないでもらえるかな? この部屋は僕とアルマの聖域サンクチュアリなんだ…………ん? 今何かしてたかいアルマ?」


「いえ何も」


 私は速書きでメモした「使えそうなフレーズ集」の手帳をそっと隠した。


「それに僕とアルマは恋人同士なんだ。監禁して何が悪いんだ? こうでもしないと愛らしいアルマを守ることなんてできないだろう?」


 ギルバート様は優秀な方のはずなのに、監禁は犯罪であるという事実はすっぽり頭から抜けているらしい。さすが生粋のヤンデレだ。


 しかし、妹のほうは正常な思考の持ち主らしい。兄のヤンデレ理論に丸め込まれることなく、控えめながらもまったくの正論で言い返してきた。


「監禁以外にも守る方法はありますわ。それに、アルマ様のご両親はこのことをご存知なのでしょうか……? 事実を知ったらきっとショックに思われるはずです……。わたくしから伯爵家にご連絡をして──」


「エレン様、私のことなら大丈夫ですわ」


 話が大きくなりそうな気配を感じた私は、慌ててエレン様の発言を遮る。


「私、このお部屋をとっても気に入っていますし、これから始まる生活にワクワクしているんです」


「ワクワク……?」


 エレン様が得体の知れないものを見るような目で私を見る。

 監禁にワクワクするなんて、頭がおかしいかド変態のどちらかに決まっている。私は違うけれど。


「それに、ギルバート様が仰ったように私たちは恋人同士……。私だって愛するギルバート様と片時も離れたくないんです。両親には私から話しますから、まだ何も言わないでください。あ〜、なんて素敵なお部屋!」


 ミュージカル女優ばりのジェスチャーでワクワク感を表現すると、エレン様は「わ、わかりました……」と返事をし、ギルバート様は至福の表情で「僕もアルマを愛しているよ」と手の甲にくちづけてきた。


「ではお二人ともお忙しいと思いますので、私に構わずお出かけください。私も新しい部屋でいろいろ支度がありますし」


「はあ……名残惜しいけど、たしかにこれから仕事があるからそろそろ行くよ」


「……ではわたくしも失礼いたしますわ」


 そう言って二人ともやっと部屋から出て行ってくれた。

 まったく、二人に付き合っていたせいで、せっかくのいいシーンが頭から抜けてしまった。


 でもギルバート様のセリフで新たなインスピレーションが湧いてきた。


「これはエモの予感……! 早くプロットに起こさないと!」


 私は飴色の豪華な机にかじりついて、湧き出る妄想を急いで紙に書き連ねたのだった。




【監禁生活3日目】


「書ける……書けるわッ!」


 今日も朝から執筆に勤しむ私は、一人きりの部屋で興奮の雄叫びをあげた。面白いくらい筆がノリに乗っていて、今ならノンストップで三百ページくらい書けるような気がする。


 これもきっと監禁生活のおかげだろう。


 ここに閉じこもっているだけで、決まった時間に美味しい食事が出てくるし、疲れたらふかふかのベッドでゴロゴロすればいい。そうしてリフレッシュできたら、また執筆作業に戻るのだ。


 唯一面倒なのが、毎日必ずやって来るギルバート様の相手をしなければならないことだが、この生活が可能なのも彼のおかげだから仕方ない。パトロンには接待してあげなければ。


「でもちょっと出張とか行ってくれたらありがたいんだけどな〜」


 つい願望を口に出すと、コンコンとノックの音が響いた。

 まずい、ギルバート様に聞かれていなければいいけど……。


 気まずさを隠して「どうぞ!」と返事をすると、扉を開けたのはギルバート様ではなく、彼の妹のエレン様だった。


「エレン様?」


 彼女と会うのは監禁初日以来だ。

 一体何の用だろうか。


 ついきょとんとした顔で見つめていると、エレン様が遠慮がちに訪問の理由を明かした。


「あの、実は兄が急に一週間ほど出張に出かけることになり、代わりにわたくしがアルマ様のご様子を見るようにと言われましたので……」


「えっ、うそ! ラッキー!」


「え……? ラッキー……?」


 エレン様から怪訝な表情で聞き返されて、うっかり心の声が漏れていたことに気づいた。


 やばいやばい、私とギルバート様は相思相愛の恋人(という設定)なのだから、出張にラッキーなんて言ってはいけない。


「い、いえ、出張先はラッキード領かしらと思っただけですわ」


「そうでしたか。実際の出張先はコーエン領です」


「あ〜、なるほど〜」


 とりあえず、うまく誤魔化せたようで安心する。


 それにしても、一週間も出張に行ってくれるなんてなんたる幸運。エレン様はギルバート様みたいに長居はしないだろうから、相手をするのもさほど苦ではないはず。これでますます執筆が捗りそうだ。


 この機会にいっぱい書き溜めるぞ!


 そう気合いを入れていると、エレン様が「あら?」と可憐な仕草で細い首を傾げた。


「その書類はなんですか? アルマ様にお仕事のお願いはしていなかったはずですが……」


 エレン様が私の原稿を指差して問う。


 しまった! うっかり原稿をしまい忘れていた!

 しかもちょうど際どいシーンを書いていたところだ。


 もしこれを見られてしまったら……。


 私は急いで原稿をしまおうと手を伸ばした。

 しかし、慌てていたせいで机に置いていたインク瓶をひっくり返してしまう。


「あばばばばば!!!」


 魂を込めて書き上げた原稿にインクを溢すわけにはいかない!


 私は机の上に広げていた原稿を猛スピードで払い落とした。

 インクの魔の手を逃れた原稿たちは、そのまま勢いよく舞い落ちていく。


 あろうことか、エレン様のちょうど足元に。


 そして、エレン様が白魚のようなたおやかな指で、私の妄想が詰まった原稿を拾い上げた。


「ぎゃああああ! 見ないでくださいエレン様!!!」


 私の必死の絶叫も虚しく、エレン様はドンピシャで見られたくなかったページに目を落とし、顔を真っ赤にして悲鳴をあげた。


「きゃああああ! 何ですかこれは……!!!」


 お、終わった……。


 私の無事死亡が確定した瞬間であった……。




【監禁生活10日目】


「ああ、アルマ! 会いたかったよ……!! 出張なんてもう二度と行くものか!」


 私が執筆机の前で妄想に耽っていると、いきなり扉が開いてギルバート様が駆け込んできた。私に会いたくて仕方なかったのは分かるが、ノックは必ずしてほしい。


 エレン様との出来事を思い出しながら、原稿を広げてなくてよかったと安堵していると、ギルバート様が怪訝そうに思いきり眉をひそめた。


「は……? エレン? どうしてお前が僕とアルマの部屋に??」


 ギルバート様が見つめる先にいるのは、彼の妹エレン様だ。

 儚げ美少女だったエレン様は、一週間前と比べるとだいぶ凛とした態度でギルバート様に言葉を返した。


「あら、お兄様がわたくしにアルマ様のご様子を見るよう頼んだのではありませんか」


「たしかにそうだが、今日は僕が出張から帰ると分かっているんだから、ここに来る必要はないだろう?」


「ここに来る必要はない? ふふっ、何を仰いますやら。先生の秘書であるわたくしが参らなくてどうするというのです?」


「は? 先生って?」


「こちらにいらっしゃる、ジェラルディン・アンドロメダ先生ですわ!!」


 突然エレンに堂々と秘密を暴露され、私は盛大にお茶を噴いた。


「ちょっ……何言ってるの、やめ──」


「アンドロメダ先生は耽美で繊細な人物造形と刺激的な恋愛描写を得意とする新進気鋭のBL作家! わたくしは執筆で多忙な先生を補佐する秘書として毎日ここに通っているんですわ!」


「エレン! やめてちょうだい……!」


 一週間前、私の原稿を読んで幻滅ドン引きされるかと思いきや、目の色を変えて「続きはないのですか?」と尋ねてきたエレン。私の味方だと思ったのにどうして……と思っていると、エレンが申し訳なさそうに謝ってきた。


「すみません、先生。兄が帰ってきて執筆の邪魔になると思ったらイライラしてしまって」


 それはある。

 しかし、暴露はしてほしくなかった。


「ジェラ……アン……?」


 ギルバート様が綺麗な宇宙猫のような顔で私のペンネームを呟いている。


 ああ、もう駄目だ……。こうして裏の顔を知られてしまった以上、私はもう捨てられてしまうかもしれない。そうなれば、この快適な執筆部屋ともお別れだ。


 絶望に打ちひしがれていると、エレン様が私の手を取り、安心させるように微笑んだ。


「心配しないでください。万が一の場合は、わたくしが先生を援助いたしますから」


「エレン……!」


 公爵令嬢の援助が得られるなら安泰だ。

 ギルバート様とは違ってBLへの理解もあるし、むしろパトロン交代してもらったほうがいいかもしれない。


 期待に胸を膨らませながらエレンに抱きつくと、バンッと机を強く叩く音がした。


「ねえ、どういうこと? ちゃんと説明してくれる?」


 ギルバート様が怒りをたたえた眼差しでこちらを見ている。

 そりゃあ聞きたいことはたくさんあるだろう。

 まずはやはり私がBL作家ということだろうか……。


「なんでエレンが呼び捨てで呼んでもらってるの? 僕はまだ様付けなんだけど? しかも親しげに抱き合ってなんなの? いつの間にそんなに仲良くなったの?」


 え、そっち?


 てっきりBLについて詰められると思っていた私は拍子抜けしてしまう。よし、そっちの件はこのまま有耶無耶にして……。


「先生はわたくしをBLに出会わせてくださった恩人……。わたくしたちはBLへの深い愛で固く結ばれているの! 先生と本当に通じ合っているのはお兄様ではなくわたくしよ!」


 ちょっ、エレン!?

 この子はどうして隠しておきたいことを堂々とバラしてしまうの!?


 これじゃもう隠すことができない──。


「さっきからBL BLって……! BLって一体何なんだ!?」


「BLというのはボーイズラ……」


「あーーー!!! BLというのは『ビューティフルラブ』のことです!!! 清らかで美しい恋愛劇のことでーーす!!!」


 エレンの余計な説明を大声でかき消し、私は何も知らない無垢なギルバート様を洗脳した。


 BLとは「Beautiful Love」のこと。

 そう、何も間違ってはいない。


「……つまり、BLとは美しい恋愛劇のことで、アルマはその小説作家ということなのかい……?」


「イエス! その通りです!」


「すごいじゃないか! アルマにそんな才能があったなんて……!」


 訂正したがっているエレンの口を塞いで制しながら、私はさらに洗脳を続ける。


「ペンネームは『ジェラルミン・アンドロイド』というんです。ちょっと名前が似ている作家がいるんですけど、それは私とは別人なので!」


 これで、あとは『ジェラルミン・アンドロイド』名義で普通の恋愛小説を書いて出版すればOKだろう。


「名前が似ている作家か……。紛らわしいから向こうの作家は名前を変えさせようか?」


「いえ大丈夫です! 急に名前が変わるとファンの方が混乱するでしょうから!」


「そっか、アルマは優しいね」


 ギルバート様が甘い笑顔を浮かべ、私の頭を愛おしそうに撫でる。ちょろくてよかった。


「……でも、エレンと仲が良すぎるのは嫉妬するな。アルマと通じ合っているのは僕のほうだよね?」


「もちろんです。私が毎日こんなに楽しいのも、あなたのおかげですもの、ギルバート」


 ダメ押しで呼び捨てで呼んであげると、ギルバートは心底嬉しそうに瞳を輝かせた。ほんとちょろいな。


「うん、これからも永遠に一緒だよ」


「はい、幸せです」



◇◇◇



 ──それから私はヒット作を連発し、稼いだお金で執筆部屋をさらに快適に改造した。


 エレンは秘書として辣腕を発揮し、たまに好みのカップリングをリクエストしつつ、今は出版社設立のために奔走している。


 ギルバートは、外で「BL小説を愛読している」と言い回って周囲を困惑させたらしいが(エレン談)、誰も突っ込むことができなかったため相変わらずBLを誤解したままでいてくれているらしい。


「よし、今日もバリバリ書くぞー!」


 私は張り切って腕まくりし、ギルバート受けのBL小説の執筆に取りかかった。

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