第9話 お風呂タイム


ビーフシチューとパンを前にした

ヴァレンがビーフシチューのお肉を

素手で鷲掴みして食べようとしていた。



「おい、ヴァレン。スプーン使えよ」


「パンはともかくシチューを素手で

 食べるのは良くないぞ」



タカツグはスプーンを

ヴァレンに見せながら言った。



「ええ〜だって手のほうが掴みやすいよ

 どうして手で食べちゃいけないのタカツグ」



「どうしてって…汚れるし、行儀も

 あんまりよろしくないでしょ」



ヴァレンはタカツグに言われて

渋々、慣れないスプーンを使って

ビーフシチューを食べる。


人間の食器に慣れてないこともあり

カチャカチャと音を奏でながら

口にシチューのお肉を放り込み

幸せそうな顔をして食べていた。



「…ニンジンも食べろよ」



口の周りにシチューをつけて

無我夢中で食事をしている

ヴァレンを見つめタカツグは言った。



「ねぇねぇタカツグ!

 このスープとお肉おいしいね!」



「スープじゃなくてシチューな…」




お腹を空かせていた二人はあっという間に

ビーフシチューとパンを完食した。


ヴァレンは口の周りについていた

シチューを舌でペロッペロッと舐めて

満足そうにしていた。


その光景を見ていたタカツグは


(こいつは犬か…)


と心の中で呟く。



「ヴァレン、使った食器を持っていくぞ」



タカツグはヴァレンにそう言って

使った食器を片付けようとした。



「いえいえ、使った食器は

 そこに置いててくれて大丈夫ですよ」


「我々が片付けますので

 貴方達はエリオ様のお客人になりますし

 片付けをさせるわけにいきませんので」



料理を運んできてくれた料理人が笑顔で

ヴァレンとタカツグを見て言ってくれた。



「それなら、お言葉に甘えて…

 シチューとパン、すごく美味しかったです

 ありがとうございます」



「人間のご飯っておいしいね

 私、こんなにおいしいスープ食べたの

 初めてだよ♪ お肉もおいしかった

 ありがとー」



「だから…スープじゃなくてシチューな」



ヴァレンとタカツグは料理人に

お礼を言った。



「満足してくれたのならなによりです

 ところで二人はこの城に一泊していくとか

 部屋の場所はわかっていますか?」


「もし、まだわかっていないのなら

 城内にいるエリオ様の使用人に

 聞けば案内してくれますので」



部屋の場所をわかっていないだろうと

察した料理人はヴァレンとタカツグに

そう言って教えてくれた。



「ありがとうございます

 部屋の場所はわからないので

 使用人の方を見つけて

 聞いてみようと思います」


「ほら、ヴァレンいこう」



タカツグはそう言ってヴァレンを連れ

厨房から出て使用人を探した。


お城に仕える使用人はすぐに見つかり

タカツグは事情を説明した。

二人は使用人に客室と大浴場を案内され

お礼を言った。



「タカツグ〜眠くなってきた…」



ヴァレンは片手で目をこすりながら

タカツグの服の袖を引っ張って言った。



「とりあえず寝泊まりする部屋の場所は

 わかったし、風呂入って今日は寝よう」



タカツグはヴァレンを見つめて言った。



「…風呂?タカツグなにそれ?」



ヴァレンは首を傾げている。



「体を綺麗にしてお湯に浸かるんだよ

 ヴァレン知らないのか?」



「体を綺麗に…

 ああ、水浴びみたいな感じかぁ」


「人間も水浴びするんだね」



ヴァレンは風呂がどういうものか

何となく理解したのか

両手を上にあげて軽く伸びをしていた。


二人は大浴場の前で

軽く会話をして中に入っていく。


タカツグのいた日本の銭湯のように

城の大浴場も男女と分かれていて

タカツグは、ヴァレンはあっちと

指をさして教えてあげた。



「私はあっちなの?タカツグと一緒に

 水浴びができると思ったのに」



少し残念そうな顔をして

ヴァレンはつぶやいていた。



「一緒に入るわけにはいかないでしょ…」


「俺は男で君は今は、女の子なんだから」



ヴァレンはタカツグの言葉に

戸惑いを見せて首を横に傾げた。


タカツグは軽くジェスチャーで

体の洗い方の説明をしだし

石鹸で洗うようにとヴァレンに言った。



ヴァレンは、赤い暖簾が掛かった方へ

くるりと振り向いて歩いていった。


その小さな背中はどこか不安げで

少しずつ小さくなっていく。



ヴァレンは脱衣場で周囲を

キョロキョロと見回し

ぎこちなく服を脱いだ。


彼女の表情には不安が浮き出ていて

どこか落ち着かない様子だった。



ヴァレンは、ようやく脱衣場から

浴室に入り温かい湯に触れた瞬間

小さく「ああ...」と声を漏らした。


彼女の顔には安堵の表情が広がり

真紅の瞳を輝かせていた。




(ヴァレン、ちゃんと体を洗えてるかな)



タカツグの心配をよそに

ヴァレンは風呂場で楽しそうに

水しぶきを上げて、はしゃいでいた。



「ん?ふふ、これがタカツグの

 言ってた石鹸なのかな?」



ヴァレンは石鹸を掴んで

掲げジロジロと見ていた。


ヴァレンはお湯で濡れた手で

石鹸を擦りだすと泡立ちはじめて

彼女は不思議な感覚になった。



「石鹸ってこんなに泡が出てくるんだね」


「...風呂って、ただの水浴びかと思ったけど

 違うんだね。これで汚れを落とすって

 人間って不思議な生き物だなぁ...」



ヴァレンは泡立つ石鹸を手に取り

身体を丁寧に洗い始めた。

その仕草には、初めての体験に

対する興奮と不安が混ざっていた。



「私、人間の習慣って...なんか楽しいかも」



一方その頃、タカツグは湯船に

浸かりながら色々と考えていた。



「なんか久しぶりに風呂に入った

 気がするなぁ…」


「洞窟とか歩きまわってたし

 こっちにきてからもうどれくらい

 時間が経ったんだろう。

 家族は心配してるんだろうなぁ…」



タカツグは湯船に浸かって上を向いて

つぶやいていると突然

浴室のドアから軋む音が響いた。



ヴァレンが湯気の向こうから顔を出してきた。



「タカツグ!私の髪の毛が絡まっちゃった!」


「どうしよう…」



ヴァレンは困り果てた表情で

絡まっている長い灰色の髪を指差した。


彼女の目は助けを求めるように

タカツグを見つめていて

その声には普段の自信満々な

調子が欠けていた。



「あ、あのね…」


「髪の毛、とかしてもらえない…?

 私、こんなの初めてで…」



ヴァレンは恥ずかしそうに

顔を真っ赤にしていて

声は小さな子供のように震えていた。



「わっ!なんでこっちにきたんだよ!」


「今は人間の女の子なんだから

 とりあえずは女湯に戻れって

 髪はあとで何とかしてあげるから」


「それと、湯船を出て脱衣場を出る時は

 身体を拭いて服を着てから出てきてくれ

 お願いだから…」



タカツグは少し頬を赤らめて

ヴァレンから目を逸らして慌てながら言った。


ヴァレンはその言葉に一瞬、固まり

彼女の表情が複雑に歪んで

困惑と恥ずかしさが入り混じっている。


絡まった長い灰色の髪が湯気の中で揺れ

その動きが彼女の心の乱れを

表しているようだった。



「え...でも...」



ヴァレンはぐっと唇を噛んで視線を泳がせた。



「わかったよ...でも、私はドラゴンだから

 そんなこと気にしなくても

 平気だと思ったのに」



ヴァレンはそう言いながら

ゆっくりと立ち上がり

体を隠すように両腕で抱きしめ

目を伏せたまま歩き出す。


その背中には幼さと大人びた姿が

混在し、どこか哀愁が漂う様子だった。



ヴァレンは少し顔を赤く染めて

男湯の扉に向かって足早に進んだ。



「はぁ…」



タカツグは小さくため息をつき

湯船から出て体を拭き、服を着て

ヴァレンが出てくるのを待った。



少し経った頃ぐらいに

ヴァレンは女湯から出てきた。


彼女の絡まっている長い灰色の髪は

まだ湿り水滴が輝いている

その姿は、まるで濡れた子猫のようだった。



「タカツグ、ちゃんと出たよ…」



ヴァレンは少し恥ずかしそうに

でも、誇らしげに言った。



「でも、こんな服...」



ヴァレンは自分の服を引っ張りながら

不満げに呟く。

彼女の服の着こなしは無頓着だったが

逆に、その不器用な姿が

彼女の可愛らしさを一層引き立てていた。



「タカツグ、私は本当に大丈夫なのかな…?」



ヴァレンは不安そうに真紅の瞳を揺らし

タカツグを見つめている。


彼女の心の奥底ではドラゴンとしての誇りと

人間としての不安がせめぎ合っていた。



タカツグは手にタオルを取り

髪の毛からぽつりぽつりと水滴が落ちている

ヴァレンの頭と髪をタオルで拭いてあげた。



「あ、ありがとう…」



ヴァレンの声は小さな子供のように

か細く、不安そうに周囲を見回しながら

タカツグの手によって髪を拭かれている感覚に

少しずつ慣れていく。



タカツグはある程度、ヴァレンの髪を拭くと

今度は優しく丁寧に髪の絡まりを

解いていった。


その指先の感触にヴァレンは思わず

目を閉じ小さな笑みを漏らした。



「ふふ…なんだか、気持ちいい…」



ヴァレンの声はどこか甘えたような

響きを持っていた。



ヴァレンの髪を拭いて絡みも解き終わり

二人は使用人に案内されて教えてもらった

部屋に向かって歩きだした。



「風呂に入ったらノドが渇いたなぁ

 なぁ?ヴァレン。部屋に戻る前に

 また厨房に行かないか?」



タカツグは城内の廊下を歩きながら

ヴァレンに提案した。



「厨房?ご飯食べたところだね

 いいよ!私もノドが渇いたし厨房にいこう」



二人は再び厨房にやってきて

そこに居ていた料理人の1人に

飲み物が欲しいと頼んだ。


料理人は快く受け入れ

ヴァレンとタカツグにミルクを

持ってきてくれた。



「ありがとうございます

 風呂上がりに牛乳って

 日本の銭湯を思い出すなぁ」



ヴァレンはタカツグの言葉に

不思議そうな表情を浮かべ

ミルクをジーっと見つめていた。


やがて、彼女は小さく頷きながら

子供のように興味津々に目を輝かせた。



「牛乳...?風呂上がりに牛乳って

 人間の習慣なんだね」



ミルクの入ったグラスを受け取ると

ヴァレンは鼻をくんくんとさせて

ミルクの匂いを嗅いでいた。



「私は一度も飲んだことないけど...

 飲んでみようかな」



ヴァレンはミルクの入ったグラスを

そっと口に近づけて慎重に一口飲む。


目を丸くしてその味をじっくりと

堪能するように何度も口の中で

ミルクを転がしている。


やがて、ヴァレンの顔に

不思議な笑みが広がった。



「うん、悪くないね。甘い水みたいだね」



彼女は満足げに頷きながら

もう一口、ミルクを飲んだ。



「み、水??…水とは違うとは思うけど」



タカツグは少し困惑した表情を浮かべ

小さくつぶやいた。



ノドを潤した二人は

満足した表情を浮かべて

部屋に向かって歩きだした。


使用人に案内されて教えてもらった

部屋の前まで来るとヴァレンとタカツグは

それぞれの部屋に入っていく。



「おー!ふかふかのベッドだ!」



タカツグは目を輝かせ

ふかふかのベッドにダイブした。



成り行きとはいえ

見知らぬ世界にやってきて洞窟を歩きまわり

野宿しかしていなかったタカツグの身体は

自身が思っていたよりも

疲れが溜まっていたのであろう


ベッドにダイブするやいなや

意識は遠のき、静かに眠りについていた。



一方、ヴァレンは眠たい目をこすりつつ

部屋のあちこちを見てまわった。


ヴァレンは豪華そうなキラキラした物を見つけ

タカツグが言った言葉の

「…まぁいいんじゃないかな。勇者の城だし」

を思い出す。


ヴァレンはキラキラした小物を

ポケットに入れた。



「ちょっとぐらいだったら、いいよね」



ヴァレンのポケットは

パンパンに膨れ上がっていた。


膨らんだポケットに手を添えながら

ヴァレンは窓に近づいて

窓から夜空を見上げる。



「今日も星がキレイだなぁ」


「明日は王都に行くんだよね

 そういえば上空から見下ろしてただけで

 どんなところか

 あんまりわかってないんだよね」


「王都ってどんなところなんだろう?

 本当に賢者は、私を元の姿に

 ドラゴンに戻せるのかなぁ」



ヴァレンは夜空を見ながら

独り言をつぶやく。

彼女の表情は少し曇っていた。



本当にドラゴンに戻ることが

できるのかという不安。


タカツグとの新しい冒険ができるという

ワクワクによる興奮。


二つの感情が複雑に交錯していて

ヴァレンはなかなか寝つけずにいた。



「ああ、もう!」



ヴァレンはくしゃくしゃと自分の頭を掻き

乱暴にベッドの上に飛び乗り横になった。




そして夜が明けて朝になり

窓から朝の日差しが差し込む。


いつの間にか眠っていたヴァレンは

ベッドから起き上がり

長い灰色の髪が乱れたまま

大きなあくびを一つして目をこすった。



「ふぁ~...。もう朝かぁ...」



ヴァレンは窓の外に視線を向け

朝日で照らされる勇者の城の

城壁を見つめていた。



ヴァレンとタカツグの

新たな一日が始まる。



「タカツグ、行こうか!新しい冒険だよ!」



ヴァレンはタカツグの部屋に

勢いよく入っていき、嬉しそうにして

微笑みながら大きな声で言った。




だが、タカツグは起きずに爆睡していた。



ヴァレンは少し頬をふくらませ

タカツグの体を乱暴に揺さぶり

無理矢理、タカツグを起こした。



「…おはよう。ヴァレン」



タカツグは目覚めた。

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