ちょうだい

見鳥望/greed green

「お姉ちゃん、ちょうだい」


 真奈美はなんでも欲しがる子だった。


「お姉ちゃん、そのお人形可愛いね」


 私が買ってもらったお人形さんを欲しがった。

 でも、あげない。私のだから。


「お姉ちゃん、その服綺麗だね」


 私が着ている洋服を欲しがった。

 でも、あげない。私のだから。


「お姉ちゃん、太一君ってかっこいいね」


 私が好きになった男の子にちょっかいをかけだした。

 でも、あげない。私のだから。


「お姉ちゃん、啓介君ってかっこいいね」


 中学の時に初めて出来た私の彼氏を羨ましそうに見た。

 でも、あげない。私のだから。


「お姉ちゃん、和樹君って優しいね」


 高校時代に付き合っていた私の彼氏を羨ましそうに見た。

 でも、あげない。私のだから。


「お姉ちゃん、勇也君って良い人だね」


 大学の頃付き合っていた私の彼氏を羨ましそうに見た。

 でも、あげない。私のだから。


「お姉ちゃん、聡さんって素敵だね」


 就職して出来た私の彼氏を羨ましそうに見た。

 でも、あげない。私のだから。


「お姉ちゃん、聡さんって本当に素敵だね」


 そのまま3年付き合って結婚した彼を羨ましそうに見た。

 でも、あげない。私のだから。


「お姉ちゃん、香苗ちゃん可愛いね」


 聡さとの間にできた娘を羨ましそうに見た。

 でも、あげない。私のだから。


「お姉ちゃん、早苗ちゃんも可愛いね」


 産まれた二人目の娘を羨ましそうに見た。

 でも、あげない。私のだから。


「お姉ちゃん、素敵な家だね」


 私達のマイホームを羨ましそうに見た。

 でも、あげない。私のだから。


「お姉ちゃん、聡さんが欲しい」

「お姉ちゃん、早苗ちゃんが欲しい」

「お姉ちゃん、香苗ちゃんが欲しい」

「お姉ちゃん、あなた達の暮らしが欲しい」

「お姉ちゃん、ちょうだい」


 真奈美はなんでも欲しがる子だった。

 でも、あげない。私のだから。

 みんなみんな、私のだから。

 私が頑張って掴んで手に入れたものだから。

 真奈美にあげるものなんて何一つない。

 努力もせずに、ただただ私のものを欲しがるだけのろくでもない妹なんかに。


「お姉ちゃん、いいじゃん。娘二人いるんだから一人ぐらいちょうだい」

「お姉ちゃん、いいじゃん。聡さんを私にちょうだい。太一君とか啓介君とか和樹君とか勇也君とかとまた付き合って結婚すればいいじゃん」

「お姉ちゃん、ちょうだい」

「お姉ちゃん、ちょうだい」

「お姉ちゃん、ちょうだい」

「お姉ちゃん、ちょうだい」


 そんな妹はもういない。

 結婚も彼氏も友達も出来ず一人で寂しく暮らし、何一つ得る事も出来ずに孤独に死んだ。

 

“お姉ちゃんが何もくれないから”


 残されたのはたった一文のふざけた遺書だけだった。


「お姉ちゃん、ちょうだい」


 それから死んだ妹が毎日枕元に現れて囁きかけた。


「お姉ちゃん、ちょうだい」


 あんたにあげるものなんて何もない。

 私は死してなお甘える妹を無視し続け自分の人生を精一杯生きた。

 あんたとは違う。立派に育った娘たちは共に素晴らしいパートナーを見つけ、二人ともが新たな命を宿し、その子達もすくすくと順調に育った。

 聡と二人だけになった家は時に広く寂しく思う瞬間もあったが、同棲時代以来の二人っきりでの暮らしはどこかこっぱずかしさもありながら還暦をとっくに迎えたというのに妙な初々しさもあり、何よりも穏やかだった。余生としてはもったいないほど豊かで幸福に包まれた世界の中に私はいた。


「お姉ちゃん、ちょうだい」


 そして私は自分の人生を全うした。

 聡を残して思いのほか早く先に死んでしまった事は悔やまれるが、夫や娘達にちゃんと見送ってもらえた事もまた幸せの一つと思えた。

 

 良い人生だった。

 真奈美だけが唯一の汚点だった。


「お姉ちゃん、ちょうだい」


 死んだ私は久しぶりに妹と再会した。しばらく声しか聞いていなかったので姿を見たのは久しぶりだった。幼い頃の姿のまま、あの日私があげる事のなかった洋服と人形を身に着けていた。


「お姉ちゃん、ちょうだい」

「お姉ちゃん、ちょうだい」

「お姉ちゃん、ちょうだい」


 壊れたように繰り返す妹は、言葉と共に目の前で再び成長していった。

 五歳、十歳、二十歳。みるみるうちに背丈と顔つきが急激に大人びていく様に気持ち悪さを覚えながら目を逸らせなかった。

 成長は三十歳あたりで止まった。ちょうど私達がマイホームを手に入れ暮らし始めた頃だ。

 

「お姉ちゃんがくれなかったもの、全部もらうね」


 そう言ってふっと目の前から消えた。

 やっと解放されたのか。しかし残された言葉は不穏極まりないものだった。

 最高の人生だった。もう私は死んでいる。私から奪えるものなど何もないはずだ。


 四十九日の間、私の魂は家の中に残ったままだった。

 残された家での暮らしをしばらく眺める日々が続いたが、異変はすぐに訪れた。


 聡が私の遺影の前に座りじっと眺めていた。しかししばらくすると遺影を手に取りどこかへ消えた。何をしているのだろうと思ったが次に戻ってきた時、遺影の写真は真奈美に変わっていた。


「真奈美、真奈美ぃ」


 それから毎日、聡は真奈美の遺影の前から動かなくなった。遺影の周りに小さな衣食住を並べ、生活の全てを遺影の前で完結させるようになった。

 遺影を見ながら箸も使わず飯を頬張り、糞尿は簡易トイレで済ませ、うわ言のように妹の名前を垂れ流し続けた。

 

 愕然とした。何が起きているのか分からなかった。だがそれでは終わらなかった。

  少しして、香苗と早苗達が家に帰ってきた。

 

 ーーお父さんを助けて。


 私の声が二人に届いたわけではないだろうが、二人は父の異常な様子を見て当然のように咎め止めさせようとした。

 だが聡は激しく抵抗した。愛した実の娘達の説得に全く応じる事もなく、それどころか生きていた頃には一度も見せたことのない程激昂し、ついには手まであげた。

 私と同様に信じられないと言った様子の二人はすぐさま家を出て行った。おそらくは互いの夫や周りに協力を求めに行ったのだろう。

 

 ほどなくして二人は再び家に戻ってきた。しかし彼女達以外に姿はなかった。二人だけでどうやって解決出来るのだろうかと不安に思った。 


「お母さん」


 言いながら二人も真奈美の遺影の前で、聡と同じように足を崩した。そして彼女達も聡と同じように、遺影の前で生活を始めた。


“お姉ちゃんがくれなかったもの、全部もらうね”


 理解せざるを得なかった。

 真奈美だ。全て真奈美のせいだ。


 そこから娘達の旦那が来たりと、何とか事を改善しようとする動きはしばらくあった。だが聡と娘達三人が全く応じず跳ね除けてしまった事でやがて皆諦め、この家には誰も寄り付かなくなった。家の中は瞬く間にゴミや糞尿で溢れ穢れに満ちていった。

 幸せが詰まったマイホームの姿はもう跡形もなくなっていた。いや、それだけではない。


「真奈美ぃ」

「おかあさあん」


 夫も、娘も、私という存在など最初からいなかったように忘れてしまっていた。

 ここにいるのに。間違いなくあなた達と暮らし、生きて、そして死んで、今尚この場に留まって存在しているのに。

 どれ程の月日が過ぎても、何も変わらなかった。このまま全てが朽ちていくのをただ見守る事しか出来なかった。


“お姉ちゃんがくれなかったもの、全部もらうね”


 死んでなお何を奪うものがあるのかと馬鹿にしていた。

 奪われた。全て。

 夫も、娘も、家も。そして私という存在すらまるごと奪われた。


 ーー私の何が悪かったのよ。


 後悔しようのない感情を抱えながら、全てを奪われた私に出来ることなど何一つなかった。 

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