第4話 僕は、誰が為に戦闘する
広い庭だった。
花園と呼ばれるその庭に、似つかわしくない僕と巨躯の魔獣が花を踏み潰さないように尻もちをついて座っていた。互いに体中に痣を作っている。腫れた僕の頬は饅頭のように膨れて丸まっていた。
――何をしていたのか。
別に喧嘩をしていたわけではない。
ここで、力比べをしていたのだ。
戦う力を備えるために……。
母が丹精込めて育てた花園を汚さないよう――という条件をつけてでの戦闘は、結局至近距離での殴り合いになってしまった。花を踏んだしまいには、地獄の無限岩おとしが頭から降って来るからだ。
「強く、なられた」
口の中で切れているはず……籠った声でタウロスのティタンは言う。
「何を、いうか……。本気で来るから、本気で……やるしか、ないだろ……。というか、心臓、痛ッ」
拳闘を讃えて、僕とティタンは握手を交わす。
この行為は好きだ。
何故ならばこれは善悪のない野生の戦いを楽しんだ結果が生んだ信頼なのだから。
僕よりも前に、母に仕えていた拳闘獣。
そんな強くてプライドの高い奴が、僕に「強くなられた」と言ってきたのだ。嬉しいことは無い。
僕はニカリと、笑って見せる。息を切らしながら、その者に問う。
「僕は、つよく、なったかな?」
「ええ、もちろん。――そしていずれは……」
ティタンの言葉が風に乗り、やがて僕の耳に届いたのだ……。
☆
僕は涙を拭った。
人生最大の敵が眼前にいるのだ。
母と盟友である猛者の獣。
そしてかつて何度となく戦い、讃え合った親友である。
体格差は無情極まれり。
運動量だって違う。
戦闘力の差は目に見えている。
しかし、僕はこの湧き上がる怒りと勇気を振るいに掛けざるを得なかったのだ。
母が何故、ティタンをこちらに寄越したのかは知らない。
ティタンにも事情があるし、母にも何か考えがあるのかもしれない。一縷の望みをかけて――が、流石にやりすぎだ。このままでは赤髪少女が死んでしまうではないか!
「許さんぞ、たとえそれが友であってもだ!!」
戦う意志を衝動に変えて、僕はティタンへと駆けだした。
ティタンもまた応戦体勢だ。身の丈ほどの棍棒を軽々持ち上げ振り回す。さながら修羅のようである。
だが、僕は臆することは無い。
……あらかじめティタンの魔法の正体を教えよう。
ティタンの魔法は――『
端的言えば、相手から受けた攻撃を倍にして返すというものだ。
ただし、すぐに攻撃を倍返しする訳ではない。ティタンのダメージ限度量があり、それを超えた時、発動できるという条件つき。それが分かる標として――ティタンの角が赤く光るのだ。
例えばこうして……避け続けたり受け流したりして……。
ドゴンッッ!!
重い一撃――力一杯込めた拳を鎚に見立ててティタンの頬に叩きつけた。
「グおッあッ!」
断末魔をあげるティタンの角が灯篭のように赤く灯った。
そして……来る!
僕は胸元に両腕を交差させて防御の態勢を取る。
ティタンの棍棒が、僕の体を覆う影になった。
ドッゴゴゴゴゴォオンンッ!!!
ピンポン玉のように僕の体が一直線に宙に吹き飛ぶ。
木が背中に当たる度に、四肢に激痛が走る。痺れるようで熱湯にずっと足を突っ込んでいるときのような熱い痛みだ。
だが、悲鳴なんか上げない。
そんなものよりも、もっと別の所が痛い。
「なんで、そんな顔をする……」
殴られたとき、ティタンの顔が少し見えたのだ。
(魔獣のくせに、何故泣きそうな顔をしている)
最後の壁だ。
切り立った岩壁に僕がめり込んだ。
流石の威力。
僕の力も倍になると、これほどの威力があるのか。
随分遠いところまで来てしまった。ざっと一〇〇メートルほど飛ばされてしまった。体もボロボロだし……自覚できていないがおそらくどっかの骨もボロボロのはずだ。
……体に酷だが、致し方あるまい。
僕は靴を脱いだ。
そして僕が即座にイメージしたのは、足に全ての血を巡らせるイメージである。
すると、どうなるか?
僕の足は人のものでは無くなったのだ。
――異形の足。
鉤爪のように伸びた爪と、やけに全体の筋肉が膨れ上がったその足。脈々と鼓動する様子――僕の足に二つの巨大な心臓が生まれたのだ。
脹脛は第二の心臓だ。
そして僕の体はそれを実現させることができる。
ティタンの方向に視線を送る。
その方角は、匂いが教えてくれる。
「ここから真っすぐ……」
匂いが徐々に濃くなってきている。
どうやらあちらも僕の存在に気付いているらしい。
すぐに襲いにかかってくるだろう……。
何故か僕は、高揚感に駆られていた。
戦う力を備えるための戦いではない……。一刻も早く赤髪少女の傷を治すために、戦っている。
けれど、戦闘を繰り返しているうちに、それは少し違うものだと確信した。
これは、戦闘――。
命の取り合い。
どちらかが力尽きるまで戦いを止められない野生の勝負。
血生臭い口の中が心地よく、全身に回る血の巡りを鋭敏に感じ取ることが出来ている。
こんな感覚は初めてだ。
……そう言えば、赤髪少女もこの戦闘を楽しんでいたっけ。
やがて訪れる巨獣の突進。
棍棒が目の前に襲い掛かった。
僕は再び体を捻り躱す。大ぶりな分、見てから避けられる。
……次は、僕の番だ。
避けながら体を捻り、このまま全身を独楽のように回すことで、遠心力を生み出す。
軸足の左足で体を支え……そして右足から放つ必殺の蹴りを浴びせにいった。
グシャリ。
僕の渾身の蹴りが、ティタンのどてっぱらに串のように刺さったのだ。
「―――――ッッ!!!!」
呻きにもなっていない声を上げながら――今度はティタンの体が真っすぐに飛んでいった。木々を押し倒し、地面に何度も魔獣の巨躯が跳ねたのだ。
僕は、僕自身が創り出したティタンが飛ばされた形跡を、まるで我が物顔で歩いてみた。なかなかの俯瞰で爽快。これでようやっとダメージ総量は互角と言ったところだろう。
僕の右足はイカれていた。
歩くのもやっと。
全力疾走は後一回しか出来ないだろう。それ以上は骨が砕ける。
「よく飛んだね、ティタン」
無垢で忠実な魔獣に僕は訊ねる。
『
強引であるが、ティタンの魔法の弱点の一つでもある。
向こうも頑丈だ。
ムクリと何事も無く起き上がるが、ティタンは明らかに疲弊している。荒い呼吸からなる白い息が止まっておらず、毛立った皮膚は汗でやけに濡れている。
次の一撃で決着がつくだろう……。
だから最後に会話をしたかった。
「ティタン……中庭でのこと思い出すね。僕を強くするためにたくせん稽古をつけてくれた。だからこうして君とも戦える強い力を手に入れることが出来た。
出会い先であった少女を助けられるかもしれない可能性を手に入れることが出来た。
僕は君を尊敬してる。それが例え味方であれ、敵であれ……」
「……」
「あれ、お世辞じゃなかったんだね。僕自身、自分の力に気づけてなかったよ」
黙って聞いていたティタンが、口を開く。
「そうです、とも。あなたは素晴らしい才をお持ちだ。だからこそあなたは見なければならない。この世界の全てを」
そう言うと、ティタンはズボンのポケットからくしゃくしゃで皴まみれの汚らしい紙を僕に見せつける。
「……それは?」
「あなたが勝てば、見れる。あなたが私に負ければ見れない」
そして最後にティタンは、細目にして笑みを溢した。
他人から教えてもらうのではない。
――答えは自分の手で見つけることだ。
ティタンからそう教えられているように僕は感じた。
ならば、期待に答えるしかない。
この戦いに勝つこと。
それが今僕がやることなのだから。
「受けて立つよ」
僕もティタンの顔を真似した。
最後の一撃は右拳に捧げる。そう決めた。
異形の足は解除する。僕の足は元通り人の足になった。
今度は右腕に血を巡らせるイメージをした。
足よりかは変化しないし、腕の太さも変わっていない。
ティタンも最大パワーで対抗するつもりだ。
ティタンの棍棒が赤く光る。先程受けた攻撃を『
勝負は一瞬。
どちらもそれが分かっていて一歩も動かない。
草木が揺れようと、水滴が水たまりに落ちようと、恐らく互いに動いたりはしない。
だから――……僕はあえて先に出た。
両足に力を込めて地面を蹴る。
土煙を背景に僕はティタンに迫りに行く。
ここでもティタンはまだ動かない。
何故なら――いや、きっと僕の思考が見えている――どこへ拳をあてに来るか、分かっているからだ。
そう、僕の狙いは当然顔面。
鼻っ柱を突いて、ティタンの脳天を貫くような一撃を与えるためだ。
僕が顔面へ飛びつくのを見てから攻撃に移行するつもりだ。
そして、その時が来た!
左手で、掲げた右腕を支えるように持ち、そのまま弾丸のようにティタンの顔面に向けて跳躍する。
横行する棍棒が僕の体にぶつかる次の瞬間。
僕は左足を異形の足へと変化させ、足指から伸びる鉤爪を当たる直前の棍棒の表面に引っ掛けた!
膝関節をバネにし、そして――『
驚きを隠せないティタンよりも先に僕の渾身の一撃の方が先に届く。先に仕掛けて、そしてカウンターが成功したのだ。
「これで……最後だ!」
快音が僕の耳に鳴り響く。
☆
僕の渾身のパンチが、牛頭の頬に打ち付けられた!
一点集中――! まさに意識を刈り取る裁きの一撃だ。
相手は白眼を剥いていた。
――もうカウンターが飛んでくることは無いだろう。
そんな確信を得た僕に、タウロスはか細い声を上げたのだ。
ただしそれは悲鳴ではなく……――。
「いってらっしゃい、若……」
旅立ちとその者の幸運を願う言葉を、最後にティタンは僕にそう声を掛けたのだ。
その言葉を聞いた途端、僕の目からは涙が止まらなかった。
だって、城を出た時、誰もいなかったから……。
そんな優しい言葉は駆けてくれない状況だったから。僕が誰もいないときをこっそり抜け出すためにしたのだから仕方が無かったのだけれど、それでもやっぱり寂しかったのだ。
だから僕は――気絶し倒れたティタンのポケットからあの紙を抜き取った後、再びティタンに振り返り呟く。
「ありがとう……いってきます」
最初の怒りはもう無い。
あるのは勝者と敗者の姿。野生の戦いが終わったのだ。
☆
僕は赤髪少女の元へ走り寄る。
相当な傷……
「ふぅ……ふぅ……くぅ……」
まだ息はある。
意識が朦朧としているようだが、負傷は相当だ。
僕はリュックからある物を取り出す。
それは――母の貯蔵庫よりくすねた回復薬、エリクサーである。
数滴垂らせば、あら不思議、赤髪少女の傷がいえ始めているではありませんか。
……エリクサーの相場は……口では言えないほど高い。
「うっ……うう……」
目が覚めたようだ。
「大丈夫か?」
「ん……あ、ああ、なんとか……って、お前! それエリクサーじゃないか! なんでこんなものを私に!?」
「だァー! なんで命の恩人の胸倉を掴んでんのー! お礼ぐらい言ってよ!」
「あんたが負傷してるからだろ!」
「だったら、揺らさなくてもいいだろ!」
「……………それもそうだな」
僕の胸倉を掴み上げるのをやめる赤髪少女。
地面に僕の体が落ちて、ものすごく痛いし、少女の情緒も分からないし、もう散々だ。
何かに気づいたように、赤髪少女は周囲を見渡す。
「あいつは……タウロスはどこいった?」
「追い払ったよ、なんとかね」
「お前が?」
と、少女は訝し気にこちらを見る。そして全身を見渡した。
「そうか……お前が、か……」
「信じてくれました?」
少女はコクリと頷き、そして涙目で僕をまた見た。
「お前が生きていて良かった。そしてありがとう、恩に着る」
そう言って、彼女は僕に満面の笑みを見せるのだった。
それだけで僕はもう十分満足だった。
僕の旅の、最初の宝物である。
彼女に僕の肩を貸したとき、
「私、リーンだ。伸ばし棒が嫌いだから、リンとでも呼んでくれ」
名乗ってくれた。
リン……良い名前だな。
「お前の名前を聞いても良いか?」
少し照れながら聞く彼女に、僕はちょっぴりドキッとした。
ああ、僕の名前は……。
☆
玉座に座るは褐色肌の女性である。
美しき美顔と豊満に垂れた乳房と肉付きの良い太腿……それら以外のパーツが全て世の男性を虜にする魅惑と妖艶を持ち合わせていた。
容姿端麗完璧婦人……そして中身は……。
「なんでなんでなんで? なんでティタンが負けちゃうの? 実力では勝ってたはずなのに? ……――もういっそ私がで向こうか。あの女がいるから私の息子はさらに強くなったじゃないか。それになんだ? 私にも向けたことのない屈託のない笑みを雌豚に向けてさ。いい加減にしなよ。お前には私がいるだろう……? 私以外の女に触れるなんて、私が許さない。必ず地の果てまで追いかけてやる。ねぇ、そうでしょう? 私を一番愛してくれてるわよね? 私の可愛い、可愛い……息子よ」
水晶玉に映る美女の顔は、狂気と寵愛が混じり合っていた。
これを俯瞰してみる、彼女の幹部らは恐れて近づこうともせず、柱の陰に隠れている。
マアトの独り言は、城中にずっと響くのだった。
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