第3話 僕は分水嶺に立たされる。
「これで……最後だ!!」
僕の渾身のパンチが、牛頭の頬に打ち付けられた!
一点集中――! まさに意識を刈り取る裁きの一撃だ。
相手は白眼を剥いていた。
――もうカウンターが飛んでくることは無いだろう。
そんな確信を得た僕に、タウロスはか細い声を上げたのだ。
ただしそれは悲鳴ではなく……――。
☆
目の前に現れた巨大な壁。
筋肉隆々の二足歩行の牛頭魔獣――こいつはタウロスと呼ばれている、ミノタウロスの亜種だ。
半人半牛のモンスター、それがミノタウロスなのだが、タウロスとはすなわち武器を持つミノタウロスのことである。その持つ武器は多種多様だが、今回のこいつは棍棒を両手に構える魔獣なのだ。
「なんでこんな
銀色に煌めく鋭い剣を構えて、赤髪の少女は呟いていた。
僕は――顔を顰めていた。
臨戦態勢の姿勢を解き、まるで懐かしいものを見るようにティタンの全身を見回した。向こうが怖がらせるための叫びを上げたようだが、僕は何も動じはしなかった。
けれど、少女がいる間、気軽に奴に話しかけるようなことはできないから。
僕は演技をすることにした。
上半身を前屈みに、曲げた右前腕を思い切って下げる体勢に入る。
しかし、そんな僕を赤髪少女は制した。
「ここは私がやろう」
僕は奴の能力を知っている。だから心配になった。
「大丈夫なのか?」
「なーに、心配はいらんさ。見掛け倒しではないことは保証するよ。このケダモノをぶっ倒すぐらいには、ね」
自信ありげに彼女は言う。
何か言おうと口を開けたが、何も言葉は出てこなかった。
彼女の実力を見てみたい――そんな気持ちが逸ったせいでもあるだろう。彼女を信じてみよう。
僕はコクリ、と首を縦に頷く。
すると、赤髪少女は僕の頭に手を置いて、ゆっくりと撫でた。
「大丈夫。私が魔獣の脅威から守ってやるからな」
男っぽい口調で僕の耳元で囁かれる。
「…………!」
その時、僕はなぜか赤髪少女の面影が、母の面影と重なった。
そのせいか、妙な安心感が僕の心を包んでいく。
僕に離れろと促すと、彼女は障害を排除するために前へ歩き出したのだった。
☆
開戦の合図は無かった。
せめていうなら、ティタンが両手の棍棒を振り下ろしたのがきっかけであろう。
その攻撃の余波は、長い赤髪を靡かせていた。赤髪少女は軽く身を捻って最小限で躱していたのだ。
眼で見切って躱すというより、反射で体を動かしているように見えた。
赤髪少女は棍棒から腕へ――足場にして駆け上がった。
蚊でも叩くようにティタンが片手で払おうとするが、その前に少女の体が宙に舞っていた。
(跳躍――なのか! なんて脚力だ!?)
ティタンの頭から数メートルの高さで剣の構えを取る。少女のギロリとした眼光は、目下の敵を見定めている。が、同時に不敵な笑みさえする余裕さえ見せつけていた。
「……行くぜ」
赤髪少女がちろりと舌舐めずりをすると、彼女を中心に五本の、白い焔で形成されたレイピアがアーチを描くように現れた。
熱が濃密に収縮された白い焔は、月光に負けていない。
そしてそれら全てがティタンの動体視力では捉えられないほどの速度で放たれたのだ!
全弾命中――。
その瞬間、範囲攻撃に巻き込まれた川の水が一瞬にして蒸発していたのだ。
……どれほどの熱量を持っているのだ。
余裕そうに少女はニタリと口を裂いた。
「
地面に着地した少女がぽつりと呟いた言葉である。
どうやら彼女の奥義のようなものらしい。
――鮮やかながら豪快な戦闘だ。膨大な魔力での圧力。
世にも珍しい白い焔は、有象無象の敵を滅ぼす強大な威力を持ち合わせていたようだった。
ティタンも膝をつき、上下に肩を揺らしながら荒い息を吐いていた。
「私に勝てるとでも思ったのか? このデカブツが!!」
ロングソードを地面に突き立てて、腕を組む赤髪少女。
勝利のポーズだ。
戦いを扇動する女神の絵画があると言うが、それはきっと彼女のようなことを言うのだろう、僕はそう思った。
が、しかし。
「油断は良くないよ、そいつはここからが強い」
誰にも聞こえないように呟いた僕の言葉を聞いたのか――赤髪少女は首を傾げていた。
のしりと――巨大なものが動く物音。
「まだ生きていたのか。あの火力を浴びながらまだそんな体力があるなんて相当タフだな」
僕はぞわりと背中に悪寒が走った。
実力では赤髪少女が上だろう。
が、ティタンの目が――赤いのだ! これはまずい!!?
「お、俺は……」
野太い声が空間に響く。
「…………!? このタウロス、喋れるのか!? 初めて見たぞ!」
赤髪少女は驚いている。
ティタンご自慢の二本の角のうち、片方が焼け焦げていた。先が鋭かった角がもう塵になって消えていた。
ティタンは無くなった角を愛でるように撫でると、
「俺はただ命令を受けただけ……。この小娘に勝てと。だから、俺は、遂行する。しかし、お前との戦闘、おもしろいな。本気になれそうだ……!!」
ティタンはその手をタグに当てて握る。そして思いきり引き千切ったのだ。
赤いタグは地面に落ちる……――。
ドッシンンンッッッッッ!!
タグが地面にめり込んで、砂塵を撒き散らした。
「錘なのか、あれは」
少女はタグに目を向けて、そこに刻まれた名を見た。
「ティタン、それがあんたの名か。飼い主がいるのね」
「俺は命令を……受けた! そして俺は、戦いを楽しむ!!」
何かを覚悟したような瞳と、その言葉の端に僕は悲哀を感じた。
ティタンの意志に呼応するように角が真っ赤に染まった。
その時である。
ティタンの棍棒が変形して、槍のような形に先が鋭く尖り始めたのだ。そしてティタンの紅い角が色褪せ、棍棒が赤く移り染まっていく。
僕は知っている。
これから起きるその攻撃は、滅塵に帰する力だということを。
☆
「逃げろ!!!!!」
いつでも捕まえられる捕虜の声が聞こえた。
私なら大丈夫だ。
これぐらいの修羅場は潜り抜けてきたのだ。
しかし、こんな気持ちは初めてだ。
――人を守りたいと思ったのは……。
「私に指図するな! 私の心配は……いらん!」
脳内で焔魔法を詠唱する。
口には出さず、自分の思い込みだけで魔法を完結させる。
『――我に眠るマナを放つ。それらを
一刻の命を与え、今解き放つは――焔獅子‼』
私のロングソードはただの剣ではない。
これは魔法を解き放つための、鍵でもあるのだ。
その先から放たれる銀製の焔には、一つの生命が宿っている。
私の愛してやまない相棒であり、私に眠るマナの形を顕現させたものでもあるのだ。
私は高らかに宣言した。
『
白い獅子が顕現し、その体は三〇〇〇度の熱量を持つ。それが猛スピードで突っ込むのだ。速さは力を増幅させる。ゴウッ! と噴きあがった焔の火の粉が、半径二〇メートルまでと届き、森の木々を焼き払っていた。
私の渾身の一撃だ。
振り上げられた棍棒を吹き飛ばして、そのままタウロスの体を焼き切るはずだった。
だが無情にも――私の思いと魔法は願いに届かず……。
型なんて無い力だけのごり押し攻撃……二つの棍棒が私の体を擂り潰すようにそのまま地面に叩きつけられる。白焔が象った巨大な獅子は跡形もなく大気へと消えていた。
……どうやら私と同じ運命を辿っていたらしい。最期まで私とそっくりな獅子である。
重い……。
体は動かせそうにないし、全身が物凄く痛い。
暗いぜ、全く。闇には慣れてるが、やはり嫌なもんだな。
唐突に明るくなる。砂埃が顔にかかった。クレーターみたく地面が切り抜かれたように地面が凹んでいる。その中心に瀕死の私がいたのだ。
月光を背景に私を見下ろすタウロス。
佇む姿はなお強者の余裕だ。赤い棍棒は元の通りに戻っている。私の魔法を破ったのには、何か仕掛けがあったのかもしれない。
――「逃げろ!!!!!」
彼は知っていたのだ。
タウロスの魔法の力の正体を。
何故か――しかし今は理由を問うまい。
彼が何者であろうと――私のことを心配して言ってくれたものだ。それだけでもう、奴が悪い奴ではないことぐらいは分かった。
視界が真っ赤に染まっていく……。
私はもう死ぬのか。
折角抜け出してきたのにな。
けれど、不思議とふんわりとした浮遊感に包まれている。満足しているのかもしれない。
走馬灯が過る。が、どれも下らない王都での暮らし。
そして姉たち、貴族どもが私を蔑み嘲笑う日常の場面。
泡に映った思い出が消えていき、最後に残ったのはほんの最近のものだ。
『ありがとう、おいしかった』
塩で焼いただけの焼き魚の食レポ。
子どもみたいにうまそうに食べて……捕虜が満面の笑みを浮かべただけの、ほんの一瞬。自分でも奴の拘束を解いた後、なんで自分は拘束を解いたのか、自分自身でもよく分かっていなかった。だって頭で考える前に体が動いていたから。
タウロスが叫び声を上げながら棍棒を振りかぶろうとしていた。
だけど怖くない……私はなんでか満足している。心が満たされている。
私を心配して、そして感謝してくれる
ちっぽけな感謝が人に生きる希望を与えてくれる。
人は人に感謝されるために生きている――少なくとも私は薄れゆく意識の中でそう思ったのだ。
(感謝されるなんて初めてだったから、思わず嬉しくなったじゃないか……。後は奴が逃げれることを祈ろう……。ああ、そうだ。せめて……名前だけでも聞いておくんだったな)
☆
タウロスの棍棒が彼女の命を刈り取ろうとしている。
一人の影が放った蹴りが、タウロスの頬に打ち付けられたのだ!
そのおかげで彼女への攻撃が崩れてしまい、牛頭の巨躯は堪らず地面に倒れ伏したのだ。その勢いは砂塵の嵐を生み出した。
「…………」
その光景を、一人の影は黙って見ていた。無垢で瀕死の少女の体を両腕に抱きかかえ、むくりと起き上がるティタンを視界に捉えていた。
「……うぅ、そうなんだよな」
ティタンが小さく呟く。
「あなたは、やさしい人だから、か」
「許せよ、ティタン」
少年は含みを入れた。
覇気のない声だが、心に闘志を秘めて。
彼の全身の皮膚の血管が浮き出ていた。顔には、眉から頬へ向かうように――牙を模したような線が走っている。
少年は木陰に少女を寝かせてやると、巨大なモンスターの前へと佇んだ。
そして叫ぶ。自分を鼓舞するかのように。
「誰だろうが、僕を怒らせたら容赦しない!!!」
――僕は目から溢れる涙が止められなかった。
だってそれは、別れの瞬間が近いことを意味していたのだから。
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