第十七話 『魔術師たちは踊る』


 盛大に罵られたが、結局はアッシュに根負けした形でエレナはついてくることになった。


「よ、夜まで一緒にいてほしいって言ってたけど……一体どういうつもり?」


「どうもこうもねえけど? ただ一緒にいたいから」


「も、もぅ……それがわかんないんだってば……」


「もうもう言ってると牛みたいだな。赤茶色の牛っているのかな?」


「……あんた喧嘩売ってるの?」


 エレナと談笑しながら街に戻ってきたが、迷宮探索を切り上げたせいで早朝も早朝である。開いている店も少なく、できることと言えば街を散策することくらいだ。


 こうしてアッシュがエレナを誘って一緒に街をぶらついてるのには理由がある。


 アッシュの記憶では初めての時間遡行をする前、衛兵たちが人が殺されたと話していたのを聞いた覚えがある。


 考えたくはないが、あれもエレナだったとしたら彼女はほぼ同時刻に二つのループで殺されているという事になる。


 ──誰が、なんの恨みがあって、どんな理由でエレナを殺そうとするのだろうか。


 何も情報がない今、エレナを一人きりにしておくわけにはいかなかった。だからこそ最低でもエレナが殺されたであろう時間まで彼女を護衛する必要がある。


 問題はアッシュ自身の戦闘力が、エレナに遠く及ばないという事だけだ。


「はあ……くそ。あんなのはもう御免だ」


「何が? あ、アッシュ。出店があるわ。小腹空いたから買いましょ」


「ああ。わかったわかった。はぁ」


 アッシュの胸中を支配する不安など知ったことかと言わんばかりにエレナはマイペースだ。アッシュもそんな彼女と離れない様について行く。


「ん。美味しい。ソースが甘くて病みつきになるわね」


 口の端を舌で舐め取りながらエレナは舌鼓を打つ。


 だが、アッシュは串焼きを手にしながらも、周囲を注意深く見ていた。エレナに近寄る不審な人物はいないか、何か危険が潜んでいないか、それをじっくりと観察する。


「本当にこれでいいのか……?」


 言ってしまえばこれは対症療法だ。根治療法ではない。

 

 だが、アッシュが経験している時間遡行はこれから先もチャンスを与えてくれるとは限らない。


 もしかしたらこれが最後かもしれないのだ。だからこそリスクのある行動には出られず、こうしてエレナから離れないという選択肢しか取れない。


「食べないの?」


「え? ああ……よかったら食うか?」


「え? いいの!? ありがとう」


 アッシュから受け取った串焼きを頬張り、幸せな表情を浮かべるエレナ。その顔を見ていると、嫌でも決意が固まって行くのを感じた。


 ──もしもエレナを狙う殺人鬼がいるなら、差し違えてでも。


 アッシュは腰の剣にいつでも手を伸ばせる様、警戒しながらエレナと歩く。




 ――――――――――




「はあ。ちょっと疲れたわ。休憩しましょ」


「はぁ……はぁ」


 エレナの体力を舐めていた。街を歩きながら最初は和やかについて行っていたアッシュだったが、息つく間もなく移動を続けるエレナに完全に体力不足を実感させられた。


「大丈夫?」


「も、問題……ない」


「なんか悪い気がしてくるから不思議ね。ちょっとここで待っててくれる?」


「え?」


 噴水広場のベンチに腰掛けた後、エレナはアッシュを置いて立ち上がる。


「仕方ないから何か冷たい飲み物でも買ってくるわ。その調子じゃ歩くのも億劫でしょ?」


「ま、待ってくれエレナ。大丈夫だから……俺は大丈夫だからここにいてくれっ……」


 エレナの袖を掴みながら懇願するが、彼女はするりとアッシュの手から抜け出す。


「大丈夫に見えないから言ってんの。もう……そ、そんな心配しなくても、すぐに戻ってくるからっ」


 踵を返して早足で離れていくエレナに、アッシュはベンチから転げ落ちながら早鐘を打つ心臓の音を聞いていた。


「くそっ……なんで俺は」


 どんな理由があろうと、いくらアッシュが満身創痍でも、エレナを一人にするわけにはいかない。


 喝を入れる様に足を叩き、千鳥足でエレナの向かった方向へと歩いていく。


「あら? 奇遇ね」


「──っ!?」


 横合いから急に腕に抱きつかれ、アッシュの背中に悪寒が走った。


 それを振り解いて件の人物に向き直る。


「ふふ。そんな顔しなくてもいいでしょ? それとも興奮させちゃった?」


「リシャ……お前なんのつもりだよ」


「あはは。おっかしい顔。兎が地団駄踏んでるみたいな顔ね。手鏡とか持ってない? 見せてあげたいんだけど」


 リシャは口元に手を当てて笑う。


「なんの用だよ?」


「んー? 特に用は無いんだけど、アッシュとエレナが一緒にいるのが見えたから。楽しそうだなあと思って」


 ──くそ。まただ。


 リシャと面と向かって話していると、身体中を蛇が這いずり回る様な不快感を感じる。その表情も、その声も、その仕草も、その全てがアッシュにとって耐え難い寒気を呼び起こす。


「見ての通りだよ。悪いけどエレナのところに行くんだ。お前に構ってる暇はねえよ」


「ふうん……そういうこと言うんだ? あ、エレナ!」


 リシャが呼びかけるのを聞いて、アッシュは咄嗟に振り向いた。


 だが、そこにエレナの姿はなかった。


「一体なんのつもりで……ぐっ!?」


「あはは。アッシュ。貴方って思った通り単純ね」


 突然側に近づいてきたリシャに、耳を噛まれた。


 リシャの口元には血が滴っていて、アッシュは咄嗟に自分の耳を押さえる。


「っ……冗談じゃ済まされねえぞ……? 気持ち悪い事すんじゃねえよ」


 熱を持った耳から、全身に鳥肌が広がる。


「ふふ。まあ、私もジークと用事があるからこれくらいで済ませてあげるわ。アッシュのおかげで小腹も空いた事だし」


 どこまでもイカれた女だと思っていると、アッシュとリシャの間に突然、石の槍が着弾する。


 地面を捲りあげながら砂埃を巻き上げた魔術を見て、アッシュは呆然と口を開ける。


「アッシュから離れてくれる? 次は当てるわよリシャ」


 少し離れた位置から、飲み物のカップを持ったまま据わった目つきで杖を構えるエレナがいた。


 アナログな魔術師を表すとんがり帽子のつばが、立ち込める魔力によってはためいている。

 

「あら。エレナー! おはよう!」


「呑気に挨拶なんかしてられる状況だと思ってるの? アッシュに何をしたの?」


 エレナは見たこともない様な厳しい目つきをリシャに向ける。


「べっつにー? エレナがアッシュと歩いてたから、ちょっと揶揄いたくなっただけよ。味見よ。あ、じ、み。もう! 本気にしないでよ?」


「その軽い口を閉じなさい!! 『アイスニードル』!!」


 立ち込める魔力の塊を躊躇なく打ち出す。鋭い氷の針がリシャへと無数に降り注いだ。


「こんな街中で魔術を撃つなんて。エレナったらいじらしいんだから!」


 リシャは軽快にステップを踏みながら魔術を躱していく。その表情は心底愉快そうで、恐怖心など微塵も感じてはいない。


「私は知ってるのよ……? あんたがジークを利用してアッシュを苦しめてた事も、謂れのない罪をでっち上げて、追い出した事もっ!!!」


「落ち着けエレナ! 俺は大丈夫だから!」


「どうやって落ち着けっていうの!? 私はっ……アッシュだって許せないはずでしょ!?」


「そんなに怒らないでよエレナ〜。でも結果的によかったじゃない」


 リシャは高さのある石柱まで飛んで腰掛けると、笑みを絶やさずにエレナに話しかける。


「よかった……? 何がよっ……?」


 エレナはリシャを睨みつけながら言葉の真意を探る。


 リシャは頬杖をつきながら、エレナに向かって無邪気に笑いかける。


「私がアッシュを追い出してあげたから、エレナはこうしてアッシュと一緒にいられるでしょ?」


「……何を言ってるの?」


「お、おいエレナ。耳を貸すな」


「だってそうでしょ? ただのパーティメンバーってだけだったら、きっとエレナはアッシュと一緒にいられても、こんなに大切にされることはなかったもの。行かないでって、縋り付かれる事も無かったでしょ? エレナだって内心は私に感謝してるんじゃないの? あーこれで、アッシュを独り占めできる……って」


「──死になさい」


 杖を持つ方とは違う手に持っていた飲み物を落とし、エレナは杖を起点に魔力を練り上げる。


「おい! エレナ!?」


 アッシュは呼びかけるが、渦を巻く魔力の奔流に近づくことが出来ない。


「あ、エレナ。それ撃ったら本当に私死ぬかもしれないわよ〜?」


「っうるさい! 黙れ!」


 エレナはリシャに魔術を撃つことだけが望みになってしまっているのか、もはや周りは見えていなかった。


 アッシュが辺りを見回すと、早朝とはいえ、無視できない騒ぎに街の人たちが遠巻きに集まってきている。


「おいエレナ! やめろ! 落ち着けよ!」


「ふふ。エレナ。それ撃ってもいいけど、私が弾け飛んだらアッシュはどう思うのかしらね〜?」


 リシャの言葉に、エレナは表情を歪める。


 逡巡した様子を見せた彼女だったが、やがて暴発寸前だった魔術の標的を、リシャから空に変える。


 紫色の光線が、まるで柱の様に空へと伸びていく。


 その刹那。


 轟音が鳴り響き、空にあった分厚い雲にぽっかりと穴が空いた。


 アッシュは目の前で起きた現象に呆然としていたが、ふらふらと足取りが不確かなエレナを見て駆け寄っていく。


「エレナ!」


「はあ……はあ」


 大量の汗をかきつつもリシャを睨みつけるのを辞めないエレナ。彼女はアッシュが近づくと、その胸元に倒れ込む。


 気丈にエレナに向けて敵意の籠った視線を向けていたが、すぐにエレナは瞼を閉じて動かなくなった。


「大丈夫か!? おい! 返事をしろエレナ!」


「魔力が底をついたのね。安心しなさい。眠ってるだけだから。それにしても末恐ろしい才能だわ。火と水の複合魔術。本来混ざらない性質なのに、こんなに形になってるなんてね」


 リシャは雲に穿たれた穴を見上げながら、独り言の様に呟く。


「お前、一体何がしたいんだよっ……? 俺だけじゃなく、エレナにまで!」


「あら? 攻撃されたのは私なのに。それに私は間違ったことは言ってないわよ? だから図星を突かれてエレナが怒ったんでしょ?」


「そういう問題じゃねえだろ! 仮にもエレナは同じパーティだろうが! なんで人の神経を逆撫でする様な事をするんだよ!?」


「そうねえ。言うなれば"愛"かしら」


 リシャのとぼけた様子に、アッシュは本気で理解に苦しむ。


「は、はあ? 何言ってんだよお前……?」


「エレナは私と似ているから。私も彼女の様に純粋な時があったの。だから郷愁の念と、お節介かしらね」


 エレナがリシャと似ていると言われ、アッシュは睨みつける。


「エレナがお前なんかと……? 冗談じゃねえっ……」


「う……あ、アッシュ……もういいわ。何を言っても無駄よ」


「っ!? エレナ! よかったっ……!」


 エレナは自分の足で立ち上がるが、まだふらふらと覚束ない足取りだ。


「驚いたわね。もう魔力が回復してきたの?」


「おかげさまでね……リシャ。貴方に言っておくことがあるわ」


「なにかしら?」


「──私はもうパーティには戻らない。そうジークに伝えなさい。私はアッシュと一緒に行くわ」


「エレナ……?」


「いいの? 見たところ、結局迷宮には潜れずに帰ってきたんでしょ?」


 リシャの挑発する様な問いかけに、エレナは無表情のまま言い返す。


「気持ちが悪い女ね。そうやって人を勝手に推し測って、自分の尺度だけで世界を見ていればいいわ。何を考えてるのか知らないけど、全てが貴方の思い通りなるわけじゃないわ」


 リシャはエレナの言い分に眉を顰める。


「そう? 勝手にすればいいわ。別に貴方がいなくても、私がいれば魔術師は足りてるんだから。それに、アッシュにどこまでついていけるか見ものだわ。思ってる以上に役に立たないわよ? その男は」


「それは私が決めるわ。わかったらさっさと消えなさい。また撃つわよ?」


「あらこわーい。じゃ、またねエレナ。アッシュも」


 高さのある石柱から何事もなく着地し、悠々と歩き去っていくリシャを見ながら、アッシュは奥歯を噛み締めた。


「ごめんアッシュ……」


「なんでエレナが謝るんだよ……?」


「だって、止めてくれてたでしょ? なのに、私あんまりにも頭に来て」


 申し訳なさそうに俯くエレナに、アッシュは胸が張り裂けそうな気分になった。


 本来ならエレナを守るべきは自分だったのに、何もすることができなかった。リシャにいいようにやられて喚くことしかできない自分の非力さが憎かった。


「気にすんなよ。そんなこと。俺だってリシャの奴には腹が立ってる……」


「……ちょっといい?」


「え?」


 エレナは突然アッシュの顔に手を伸ばしてきた。


 その手は顔を通過して耳に触れ、アッシュは針を刺す様な痛みに顔を顰める。


「血が出てるわね……」


「え? あ、ああ。気にすんなよ。そんなに痛むわけでもないし」


「ベンチに座って。治療するわ」


「いいって。こんな傷……放っておけばすぐに治る。それに俺よりエレナの方が」


「いいから座って」


 有無を言わせないエレナの様子に、アッシュは戸惑いながらも素直に従う。


「……別にアッシュのせいじゃないから」


「何が?」


「私がパーティを辞めるってこと。私も前から考えてたの。だから、気にしなくていいから」


 エレナは治療をしながら、ぶっきらぼうに言い放つ。


「エレナがそれでいいなら、俺は何も言わないけど……それより、あんな啖呵切って大丈夫なのか? ジークやライゼンには何も言ってないんだろ?」


「なんか言ってきたらぶっ飛ばしてやるからいいわよ。はい。治療終わり!」


 最後に心なしか強く耳を叩かれ、痛みに顔を顰める。


 アッシュはエレナがリシャのことをそこまで引きずってない事を確認し、意を決して口を開く。


「エレナはさ」


「ん?」


「エレナは、どうして迷宮に潜るんだ?」


 エレナ程の魔術の腕があるなら、きっと他でもやっていけるはずだ。


 エレナはパーティに加入したての頃は魔術師の卵の様な存在だったが、今ではそこらの中堅魔術師と比べても勝る事はあっても劣る事はないはずだ。


 だから不思議だった。どうして彼女は迷宮に潜るのだろう。


 もっと安全で、実入りのいい場所で働く事だってできるはずなのに。


 これまで他人に興味を持っていなかったためか、エレナのそういった話は聞いたことがなかった。


「……秘密」


「え? は? なんで?」


「言ったら笑いそうだし……そもそもあんたが迷宮に潜る理由だって私はよくわからないんだけど? 迷宮の奥に何があるのか気になるとは言ってたけど、気になる理由もわからないし」


「いや、言っただろ? 故郷に帰るためだって」


「え!? 聞いてないわよ! なんの話!?」


「あれ……?」


 そういえば今回のループではエレナに迷宮に潜る理由を話していなかったか。


「そうだったのね……故郷に帰るため……」


「あ、ああ。で? エレナは?」


「だから秘密って言ったでしょ? うるさいわね。焼かれたいの?」


「ちょ、杖を向けるなよ! さっきの見たら洒落になってねえよ!」


「はあ……もう騒がないでよ。ほら? 行くわよ。まだ一日は始まったばかりなんだから」


 上手く流された気もするが、アッシュはそれ以上問いただす事もできずにため息をついて立ち上がる。


「さっきぶっ倒れたのになんでそんな元気なんだよ」


「身体の鍛え方が違うのよ。わかったらあんたもちょっとは鍛えなさいよね。今のままじゃ安心して前衛を任せられないわ」


「はいはい」


 

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