第四話 『始まりの鐘の音』
「アッシュ。あんた右利きでしょ? 左利き用の片手剣持ってどうするつもりだったの?」
「これ左利き用なの……?」
腰に下げた剣を見ながら言うと、エレナは盛大にため息を吐いた。
「ナックルガードが左側に沿ってるでしょうが。大方、ジークのお下がりを押し付けられたんじゃないの? ていうかあんたそんな事も知らないで迷宮に行こうとしてたの?」
エレナの棘のある言葉達に反射的に何かを言い返そうとするアッシュ。
だが、そう言われるのも仕方のない事だった。アッシュはこと迷宮探索においてはほぼ初心者といっても過言ではない。
孤児院出身という事もあって迷宮に潜る上で訓練した事もなかったし、魔物と戦った経験など皆無に等しい。
そもそもある時期までは迷宮に興味すらなかった。
迷宮に潜ると言っても普段はパーティの雑用や荷物運びをしたり、迷宮の外での必要な物資の買い付けや帳簿の管理が主だった。
つまりはほぼデスクワーカーなのである。迷宮に潜った経験はそこらの探索者に比べて格段に少ない。
「その調子だと剣を握った事すらなさそうなんだけど?」
「いやいや。流石にそれはない。けど……」
「けど?」
「……そんなに経験があるわけでもない」
「はあ」
「おいため息つくなよ。だって剣って刃物だぞ? 危ないだろ?」
アッシュは現代人の感覚から漏れず、街中を帯剣した人間が闊歩しているだけで末恐ろしい気分になる。
そもそも前世では思春期は過ぎていたし、今更剣やら冒険やらに浪漫を感じる様な精神年齢でもなかった。
魔術には少し興味を惹かれたが、それも特別な才能が必要だと言われ、スタート地点にすら立てなかった。
つまりは実戦経験はゼロに等しい。無論、迷宮探索が戦闘だけに集約しているとは言えないが、だからと言って少しも戦えないのでは最深部になど行けるはずもないのが道理だ。
「あまりに無謀すぎて頭が痛くなってくるわ……」
「別に無理して付いてこなくていいぞ。まだ朝早いし宿で寝てればいいだろ」
「はあ」
「……俺には俺の考えがあるんだよ。確かに俺は戦うのは得意じゃないかもしれないけど、迷宮そのものについては少しだけ知ってる事がある」
これは嘘ではなかった。迷宮探索の実戦的知識ではないが、迷宮そのものに関してだけ言えば、きっとその辺の探索者は知らないであろう情報をアッシュは持っている。
それが迷宮の攻略に役立つかどうかは未知数ではあるが。
「あっそ。あんまり期待しないでおくわ」
「そうしてくれ。──まあなんとかなるさ」
アッシュの言葉にエレナがピタリと静止する。
「……あの時も確かそう言ってたわよね」
「あの時?」
アッシュには何のことを言っているのかわからなかったが、どうやら以前も同じ様な事を言ったことがあるらしい。
「なんでもない。剣は私が選んであげるから」
そう言って店に入っていくエレナに、頬を掻きながら付いていくアッシュだった。
――――――――――
エレナと時折言い合いをしながらも装備を新調することに成功した。
剣は持ち手の長いものを選んだ。片手でも振れるし、両手でも振れる。前世の高校時代に剣道を少し習ったことがあったため、両手で振れる方がいいと考えた。
靴や、マント、鎧も動きやすく、通気性の良いものに変えた。深緑の迷宮は気温が高いためだ。
そして再度迷宮の入り口に戻ってきたが、アッシュはその扉を見て言いようのない不安感を覚えた。
「何? もしかして怖気付いたの?」
「……悪いかよ」
素直に自らの不安を認めるアッシュに、エレナは伸びをしながら口を開く。
「アッシュって別にジークと違って英雄志向ってわけじゃないわよね?」
突然の質問にアッシュは目を丸くした。
「……なんでそんな事を聞くんだ?」
「アッシュってその歳の割に冒険に興味がある様にも見えないし、むしろそういうのを毛嫌いしてると思ってた。だから、なんで探索者をしているのか不思議だったのよね。どうしてそんな無理してまで迷宮に潜るの?」
その質問は今までも色々な人間にされてきた。そしてそのたびにこの世界に嫌気がさした。
「別にお前には」
「──関係ないって言いたいの? 言っとくけど次それ言ったら魔術撃つから」
エレナの物騒な物言いにアッシュはチラリと横目で彼女を覗き見る。
その表情は冗談を言っている様子はなく、真剣そのものだったため、アッシュは堪らずため息をついた。
「はぁ……。言ったってどうせ信じちゃくれない」
「そんなの分からないでしょ。あんたってお金が欲しいって訳でもなさそうだし、魔道具にも特に興味はないわよね?」
顎に手を添えて考える素振りのエレナ。
「尋問みたいな真似はやめろよ」
「いいから話してよ。私は聞きたいの!」
エレナの圧力に負けて、少し口を開きかけたアッシュだったが、すぐに頭を振って考え直す。
「……知りたいからだよ。迷宮の奥に何があるのか」
辛うじてそれだけ伝えた。
アッシュは本当の事を言うのを避けた。それがあまりにもこの世界の人間にとっては荒唐無稽な話だと理解していたからだ。
「今はそれで納得してあげるけど、いつか必ず本当の理由を話してもらうから」
「今はってなんだよ。まさかずっと付き纏う気か?」
「ち、ちがっ……! ていうか付き纏うって何よその言い方!」
「はっは……まあいつか機会があったら話すよ」
「いつも人を揶揄って……絶対だからね」
エレナと話していると不思議と緊張は取れた。続けて何かを言うでもなく、無言でアッシュは迷宮の扉に接近する。
古びた両開きの扉を開け、慎重に中へと進んでいった。
迷宮は入り口の扉を通り、仄暗い洞窟を通るところからスタートする。
決して短い距離ではない洞窟を抜けると、その先には緑生い茂る深緑の迷宮が現れる。
この洞窟を通るたびにアッシュはいつも言いようのない不安を抱いた。
一片の雑草すら生えない土褐色の洞穴は、全くと言っていいほど生命の息吹を感じさせない無機質な雰囲気があった。
早朝だからか誰もいない洞窟をもう少しで抜けるというところで、アッシュはふと何かの音を聞いた。
「──なんだ?」
「どうかしたの?」
アッシュは耳元に手を当てる。
「いや、ほら? 今も何か……」
耳を凝らすと聞こえてくる微かな音。それは次第に大きくなり、アッシュの勘違いでは済まされない音量となって鼓膜を叩く。
「……鐘?」
鐘の音が聞こえた。だが、ただの鐘の音ではなかった。アッシュにとっては遠い過去に耳に馴染んだ音だ。
確か"ウェストミンスターの鐘"という名称だったか。
──つまり、学校のチャイムの音が鳴り響いていた。
死に戻り探索者は迷宮の最深部を目指す 新田青 @Arata_Ao
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