死に戻り探索者は迷宮の最深部を目指す
新田青
『プロローグ』
草原には静けさが漂っていた。
まだ幼さの残る少年の目の前には、赤茶色の髪の毛を伸ばした少女がいた。
少年は少女の背中に手を回す。二度と離さないとばかりに強く抱きしめる。
腕の中の少女は少し躊躇した様子だったが、次第にその腕を少年の背中に回す。
二人は抱き合いながら、草原を揺らす静かな風に晒されていた。
少年は熱くなる目頭に抗うことなく、とめどなく流れる涙に感情を乗せて言った。
「──俺と一緒に行こう」
──迷宮の最深部に。
――――――――――――――
「おい、てめえ! 俺の女に手を出しやがったな!?」
宿の一室に呼び出されたと思ったら開口一番で謂れのない濡れ衣を着せられ、少年は大口を開けて放心する。
だが、すぐに平静を装うと疑ってかかる相手に対して頭を掻きながら返答した。
「何言ってるのかさっぱりわからんし……そんな事を俺がする筈がないだろ? 一体誰がそんなこと言ったんだよ」
少年の目の前で怒気を露にする男の名前はジーク。短髪を後ろに撫でつけた大柄の男であり、少年が所属する迷宮探索パーティのリーダーである。
「リシャからだ! 本人から聞いてんだから間違ってるわけがねえ! てめえ、この期に及んで誤魔化す気か!?」
「本人からね。因みにそれっていつの話だ?」
「三日前だ! リシャはそれからずっと部屋に引きこもって食事も喉を通らねえ! こっちが目をかけてやったらふざけた真似しやがって!」
怒りと共に伸ばされた手が少年の胸元を締め上げる。
「ぐっ……三日前だとっ? その時の俺はお前から頼まれて減った物資の補給に行っていただろうがっ!? 一日中市場にいた俺がどうやってリシャに手を出せんだよ!」
「うるせえ! そんなもん誰かに頼んじまえばお前はいくらでも手が空くだろうがっ!」
「ふざ……けんなっ!」
自らの胸元を掴む手を払いのける。
ジークは少年の反撃に、怒りで顔を赤く染める。
「てめえ……」
「濡れ衣着せた挙句にこの仕打ちか!? リシャを連れてこいよ! 本人の口から説明させてみろ! 俺はそんな事やってねえって言ってんだよ!」
「じゃあてめえはリシャが嘘ついてるって言いてえのか?」
「大嘘だろっ。元々あの女は口先だけで、ろくに自分の仕事もしないで俺らに散々迷惑をかけてきただろうが」
最近になってジーク率いるパーティに加入したリシャは、これまでにも様々な場面で他のパーティメンバーの手を煩わせてきた。
だが、リーダーであるジークがリシャに惚れているせいか、その失態を表立って非難することも出来なかった。
しかし、謂れのない罪を問われてまでそれに固執することはない。
少年はジークに向かってこれまでの鬱憤も込めて言い返した。だが、返ってきた返答は想像を絶する物だった。
「──リシャは嘘なんかついてねえ! 俺は仲間を信じる!」
ジークの言葉に少年は呆気に取られる。
「は、はぁ? おまえっ……俺だって仲間だろうが!? どうしてあの女は信じて、俺の言う事が信じられねえんだよ!」
あまりに能天気な答えに、一瞬だけ言葉に詰まった少年。だが、すぐにその言葉の矛盾を突いて反論した。
だが、その結果は余計にジークから聞きたくない言葉を引き出す事になる。
「てめえは仲間じゃねえ。そもそも最初は雑用として雇っただけで、てんで役に立たねえ。いつも俺らに危険な探索を任せて、てめえは戦闘もせずにぬくぬくおこぼれをもらってるだけのハイエナだろうが!」
ジークの言葉に少年はショックを受けた様子で目を見開く。
「ジーク、お前……そんな事を思ってたのかよ?」
「この際だから言わせてもらうぜ。お前は俺らのパーティに必要ねえ。それどころか、ただの寄生虫だ。本来は俺らだけが得る成果を何食わぬ顔で掠めとっていきやがるっ……」
舌打ち混じりに吐き捨てたジークに、少年は耐えきれず激怒する。
「元々そういう契約だろうがこの鳥頭が! そんな事も忘れちまったのか? お前が言ったんだろ!? 俺らが迷宮の攻略に集中できる様に、お前は俺らのサポートをしてくれって!」
確かに少年は迷宮で戦ってきたわけではない。
だが、毎日、市場やギルドに顔を出してきた。できるだけ負担を減らせる様に顔馴染みの店を作り、時に怒鳴られながらもメンバーのためにギルドに頭を下げた事もある。
重い物資を一人で運ぶために、古びた荷車を必死で引くのだって元はといえば仲間のためだった。
「うるせえ! もううんざりなんだよ! 部外者のお前が物知り顔で俺らに指図しやがる……この前の攻略だってそうだ! 俺らはまだ先に進めたんだ! なのにお前が止めた! そのせいで他のパーティが魔道具を手に入れやがった!」
その言葉に少年は戦慄する。あまりの無体な言い草に呆れを通り越して固まる。
「お、おい、お前何言ってるのかわかってるのか? そのパーティはメンバーが一人死んでるんだぞ……?」
久しぶりに迷宮から魔道具が出たのは知っていた。
売れば値千金の魔道具は、迷宮でも中々お目にかかれない。そのため、全ての探索者にとって垂涎の代物だ。目の前のジークがそれを欲しがるのもわかるし、少年だって同じだ。
──けれど、命には代えられない。
なにせ、帰還したパーティは誰一人としてその成果を喜ぶ事なく、方針状態で受付と話していた。
一人足りなくなったパーティで。
「うるせえ! 俺らだったら誰一人として欠ける事なんかねえ! あいつらが弱えのがいけねえんだろうが!」
「……クソ野郎がっ」
ジークのあまりに自信過剰な一言に少年は思わず罵倒する。
「なんだと? てめえもう一度言ってみろ」
少年はこれまでパーティ内で揉め事を起こした事は無かった。なぜなら、少年にとってパーティは仕事仲間であり、同僚と揉めて良い理由など一つも無いと思っていたからだ。
だが、ジークの発言には堪らず憤った。
なぜなら少年は見ていたからだ。嘆く事も、喜ぶことも出来ずに項垂れたままで受付に立つ彼らを。
「何度だって言ってやるよクソ野郎。お前についていった俺が馬鹿だった。お前も、あのクソ女も、揃ってクズの中のクズだ」
そこまで言うと、ジークの拳が顔面に飛んでくる。
「ぶっ……!」
目の前の景色が明滅する。
「誰がクズだ!? 喧嘩売ってんのかっ!? だったら買ってやるよクソ野郎!」
「お、お前。くそっ。喧嘩売ってんのはそっちだろうがっ!」
殴り返すが避けられる。これでもジークは近接戦闘のスペシャリストだ。
「おらおら! どうした!?」
「う、ぐっ……」
腹部に膝が突き刺さる。横っ面を殴り飛ばされる。髪を掴まれて何度も、何度も拳を打ちつけられる。
やがて疲れに荒い息を吐くジークの前で、少年は床に倒れてゲホゲホと咳き込む。
唾液に混じる血を吐き出しながら、虚な目で床を見ている少年。
「金輪際、俺たちの前に顔出すんじゃねえぞこの寄生虫野郎がっ」
ジークの吐いた唾が、少年の髪にかかる。
一人しかいなくなった宿の一室で、少年は苦痛と怒りにうめき声をあげる。
「く、そ……ちくしょうっ。なんで俺がこんな目に合わねえといけねえんだよっ……? やっぱりクソみたいな世界だっ……」
ボロボロの身体を引きずる様に、少年アッシュはやっとの思いで宿の一室を出て行った。
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