⑦【似てない兄妹:妹】 【オタクたちの遠征:告白】
【似てない兄妹:妹】
こっそり顔を覗かせてみる。
視界に入る人の姿はまばらだ。
待つことに疲れてしまった群衆は、そろそろ口を開くことも飽きたらしい。
瞼を閉じ寝息を立てるか、手元の電子機器に夢中になるか、もしくはぼうっと窓の外の吹雪に目を奪われているか。
先行きの見通しが立たない状況では暇つぶしの選択肢も狭まってきたようだ。
しかし人影が多少なりとも減ってきたことは香凜にとっては都合が良かった。
手洗い場に人がいなくなったタイミングを見計らって扉から出てきた彼女は久しぶりに広がる広大な景色に瞬きをする。
実測時間としては自分もつい先ほどまであの椅子に座っていたのに、体感ではこの広い空間にいたのがずっと前のことだったかのように錯覚したからだ。
トイレに入る前は座る場所を見つけるのが困難なほどに人で溢れていた待機所も今は休憩場所を探すのに苦労することはなさそうだった。きっと待ちくたびれて外に出た人が多いのだろう。
香凜は周囲の様子を警戒しながら恐る恐る足を動かし始める。
特に何か罪を犯したわけでもないのに人の視線が気になってしまう癖がどうしても抜けない。片手をこめかみのあたりに持ち上げ、片側の視界を手のひらで隠しながら香凜はこわごわと慎重に歩みを進める。特に行く先があるわけでもなかった。けれどこれ以上トイレに留まっているのも少々辛かった。故に彼女は、行く当ても見つけられずにこの壮大な施設の限られたエリアのみを再び彷徨うことになる。
結末は分かっていても一度トイレの外に出た以上後戻りはできなかった。
もしまた同じ場所に戻ればどこかで自分のことを見ていた知らない誰かに不審に思われるかもしれないと思ったからだ。
自分のことなど誰も見ていない。
自分のことを皆が監視している。
自分のやること全てを誰かがいつも嘲笑っている。
自分の存在を気にする者はいない。
行く先のみならず彼女の思考も多方面から押し寄せてくる呆れと不安で渦を巻き始めていた。
「ううぅ……」
止めたくても止まってくれない濁流のような妄想に身体が震えていく。香凜は自分の靴先だけに意識を集中させ、次第にその速度を上げていった。
手放したい想いがたくさんある。にもかかわらず、そのどれもこれもがしつこくつきまとって主の言うことなどお構いなしに居座り続ける。こいつらに翻弄されるのはもうたくさん。
香凜の呼吸が少しずつ荒くなっていった。これはよくない傾向だと彼女自身も自覚している。ぐるぐると眩暈がして今すぐにでも吐いてしまいそうだった。
どこかに自分を隔離しなくては。
香凜の脳裏に最初に浮かんだのは先ほどと同じ場所だった。しかし無機質で不衛生なあの場所を思い出すと余計に気持ちが悪くなってくる。本当はあの場所に留まっていたいわけではない。あそこが自分の居場所だと認めたいわけではない。
離れたくて。もっと遠くに行きたいのだと本心が求めていることは分かっている。
「どうしよう──ぅう……きもちわる……」
呻き声が空気に吸収されていった。誰にも届かぬ叫びは今回も虚しく二酸化炭素に変換されていくだけだ。
どこか。どこでもいい。とにかく周りから少しでも距離が置ける場所ならどこでもいい。一人になれるのならどこだって構わない──でも、あの場所はいやだ。
すっかり青ざめてしまった香凜の顔が持ち上がると、その鼻先に他のものとは違う佇まいの、少し立派につくられた椅子がぽつんと置かれていた。
「マッサージ……チェア……」
公衆浴場や家電量販店でよく見るその椅子の名を香凜がぽつりと呟いた。
あそこなら。
香凜に選択肢は残されていなかった。一刻も早く自分だけの場所を確保したいのだ。
何かを考える余裕もなく、香凜は半ば駆け足でマッサージチェアに雪崩込む。ちょうど誰も使っていなかったのはラッキーだった。思えば、駆け込んだところで誰かが使用中であれば悲惨だった。が、マッサージチェアに身体を沈めるまで香凜はそんな「もしも」のことなど思いつきもしなかった。深呼吸をした数秒後にその可能性に気づいた彼女は、「もしも」の事態を想像して苦笑する。
だがひとまずのところはその「もしも」もなく、安全に居場所を確保することができたわけだ。香凜はその事実にほっとして安堵の息を吐いた。
これまでマッサージチェアに座った経験はあまりない。一度家電量販店で兄に唆されて試した時に凝ってもいない肩を圧迫されて痛い思いをした記憶のみだ。
当時の不快な感覚を思い出し、香凜はふと顔をしかめる。
自分と違って両親はマッサージチェアが大好きだ。
何故、あんなに痛くて心地が悪いのに両親は穏やかな顔をして入眠してしまえるのだろう。しかもわざわざお金を払ってまで。
「──君、お金入れてないだろう」
香凜の眉が八の字に歪んだ瞬間、右隣から低音の声が聞こえてくる。
ちょうど自分の脳内を読まれたような指摘だった。表には見えないはずの思い出に他者が侵入してきたことに驚いた香凜はびくっと異常に肩を跳ね上げた。
「なんだ子どもじゃないか。君にマッサージチェアはまだ早いんじゃないか」
驚きのあまり香凜が声を失っている間に、隣のマッサージチェアに座っていた壮年の男がこちらをじろりと見やる。
「それとも、君みたいな若者も機械に頼らなければいけないほどに疲弊しているのか。やれやれ……嘆くべきか、感心すべきか」
男は香凜が怯えていることなど気にもせず淡々と自分の感想を声に乗せていく。呆れているようにもまったくの無関心にも聞こえる絶妙な声色だった。
「あ……あの──ごめんなさい……一人になれる場所が、ほしくて……」
ぶつぶつと独り言のように妙な分析を語る男に向かって香凜はビクビクしながら頭を下げる。すると男が再び香凜の瞳に視線を投げてきた。色素が薄い瞳からは彼の意図は何も読み取れない。香凜は彼と目を合わせもう一度軽く頭を下げる。何故だかそうしなければという気にさせられたのだ。そうでなければ失礼だと本能が言っている気がした。
「──なるほど。君も同じか」
質のいいスーツに身を包んだ彼は香凜の謝罪を聞くなり、とすん、とマッサージチェアに頭を預けた。もはや興味を失ったようにも見える。いや、そもそも初めから香凜になど興味がなかったかのようにも思える態度だ。
「飛行機が飛ばないのは皆同じだ。飽き飽きしていることだろう。このマッサージチェアも私の所有物ではない。好きにすればいい」
「──はい……」
男の言葉に香凜が大人しく頷くと彼は片手を上げてそれを返事とした。
「だが他にこの椅子を求める者が来たらどいた方がいいだろう。君はお金を払っていない」
「はい……わかっています」
もう一度頷き、香凜は男に向けていた身体を正面に戻した。目の前に広がる吹雪に魅せられ指先が微かに冷たくなる。両手を組み、静かに体温を分け合っていく。するとほんのりと爪の色が戻ってきた──と、同時に別の興味が香凜の心に浮かんでくる。
「──あの……さっき、君も、って仰いましたよね」
「──うん?」
「あ……ごめんなさい。お邪魔……ですよね」
自分でも理由は分からなかった。
だが隣でマッサージチェア本来の機能を堪能している彼が先ほど言った言葉になぜか興味をそそられたのだ。香凜は温かくなった両手を膝の上でぎゅっと握りしめる。今度は冷えるどころか手汗まで滲んできた。余計なことを言ってしまったかもしれないという罪悪感のせいだ。
「構わない。確かにそう言ったのは事実だ。君には観察眼がある」
正確には目ではなく耳で聞いたことだが。
思わずそう言ってしまいそうになったが、香凜は唇を閉じたままこくりと頷いてみせた。
身体を起こした男がこちらを見ている。冷淡なのにどこか包容力のあるその瞳に香凜は果敢に視線を返す。
「私は群衆が苦手だ。騒がしいところも。遠くから観察し、透明人間のように場に紛れていたい性質なもので。だから落ち着ける場所を探していた。見たところ君もそのようだ。旅行にでも行く予定だったのか」
男はまだ血の気が完全には戻ってきていない香凜の顔を一瞥した後で彼女が背負ったリュックを見やった。
「家族旅行で……両親は先に行っていて、兄と一緒に後から行く予定だったんです」
「なるほど。どうも君の兄はちゃっかり者のようだな」
「──え?」
「ただ推測したまでだ」
男の鋭い指摘に香凜は首を傾げたが、彼は表情筋を一ミリも動かすことなくぴしゃりと言い切った。面倒な詮索はされたくないのだろう。どうやら彼は香凜以上の観察力を持ち合わせているようだ。
「あなたは……旅行ではなく、お仕事ですか」
「スーツを着ているからか?」
「──はい。とても高そうな服」
「安直だが間違いではない。そうだ。本来ならラウンジでのんびり待つこともできたが、あいにくアシスタントの手違いがあってね。単純なエコノミーにラウンジなし。こんな移動はいつぶりか分からない」
「お金持ちなんですね」
「その判断は捉える人による」
「人に……」
「ああ。ヒトの印象なんて自由気ままに形成されていくものだ。そうだな──例えば、君。君は家族旅行に行くそうだが、こんな状況は災難だろう。両親だけ先に目的地に着き、子どもたちは後から追いかける。楽しいはずの旅行の時間が限られてしまう。きっと残念で残念で堪らないはず。こんな嵐などさっさと去って欲しいと思うはず。だが──」
男は吹雪に目を向けたまま一息置いて声を研ぎ澄ませる。
「君は嵐が去るのを望まないように見える」
妙にはっきりとした断言に香凜は反射的にぴくりと眉を歪ませた。
「そんなことないです! 家族旅行、楽しみでした。最後の家族旅行かもしれないんです。兄が留学するから。だから……っ! ざ、残念です……っ」
「君は質の良い目も耳も持っているが、嘘は下手なようだな」
「う……っ」
「どうせ一期一会。嘘を吐くなど卑劣な真似はせず本音を曝け出してみればいいものを。無駄な虚勢だな。年相応とも言えるが」
香凜の反論にびくともせず男は呆れた様子で息を吐く。どうにも彼には小細工など通用しないらしい。香凜は観念して口を開いた。半ばムキになっていたのかもしれない。誰も自分のことなど理解してくれないくせに。胸の底が煮えくり返りそうだった。
「──そうです。あなたの言う通り。私、このまま嵐が去って欲しくない。このまま空港に閉じ込められていたいと思う。ずっとこの空間に閉じ籠れたらどんなに気楽かって。だってしょうがないんだもん。出られないんだから。帰りたくないもん。帰ったところで何もいいことなんかない。ここにいれば学校にも行かなくていい。ここにいなきゃいけないから、学校になんて行けるわけないもん」
爆発しそうな感情を一息で言い切った香凜ははぁはぁと息を切らしながら男を睨みつける。
「──なるほど」
しかし男は切腹を覚悟したかのような香凜の必死の様相とは真逆の波のない湖面のごとく静かな瞳でこちらを見るばかりだ。
「君はいじめられているのか」
おまけに真実まで言い当ててくる。
「あなたには……関係ないです」
「おや。また虚勢を張るのか。せっかく、君の本音が聞けそうだったのに」
「……私のことなんか、誰も興味ない」
「それは君の勝手な思い込みだ。私が君をどう捉えるか、そう簡単に決めつけられては面白くない」
男はそう言いつつ二人の目の前を通り過ぎていくダークグレーのコートをじっと黒目で追いかける。やけに急いでいるようにも見えた。が、香凜はそのダークグレーのコートに気づくことはなく、彼女の瞳はずっと目の前の得体の知れない男のことを観察していた。この男は一体何を言いたいのか、何を言わせたいのか、そればかりが気になってしょうがなかった。彼の黒目はどこか違うところをなぞっているというのに、それでも自分のことを気にかけてくれるように感じたからだ。
「君はどうして自分が虐められていると思う」
「え……?」
「考えたことはないか?」
「うん……」
「ならいい機会だ。まだ時間はある。虐めの原因を考察してみるのもいいだろう。君も自分に興味を持ってみたらどうだ」
男の黒目が香凜のもとに戻るなり、彼はポケットからおもむろにコインケースを取り出す。そのまま香凜が座るマッサージチェアにお金を投入し、彼はさらりと言ってのける。
「さぁ、考えて」
*
【オタクたちの遠征:告白】
永遠の時が続いているような感覚だった。
しかし無情にも腕時計はその歩みを止めることはない。
「なぁ……圭人」
床に視線を向けたまま放心状態を引きずる哉太が久しぶりに口を開く。
圭人の告白の後、百華と成谷が消えた数分後に正澄が気を落ち着かせるために一人になりたいと去って更に十数分が経過したところだった。
「ん。なんだ哉太」
衝撃的な告白をした直後だというのに当の本人である圭人はカラッとした態度で軽い返事をしてくる。それが哉太の心を余計に抉っていった。
湿った気分に浸りたいわけでもない。だがそれにしてもあまりにもあっさりしすぎてはいないだろうか。哉太の表情が苦悩で歪んだ。
「なんだ、そんな顔して。やめろって。可哀想で見てられないだろ」
自分の方を向く哉太の顔を見るなり圭人は参ったように眉尻を下げてけらけらと笑った。
「お前こそ。そんな笑ってんなよ」
「なんだよ俺の笑顔にまでケチつけんのか」
哉太の暗く硬い声とは対照的に圭人の声は温かく柔らかだった。圭人が笑うたびに哉太は獣が爪を立てて皮膚を引っかいていく感覚に苛まれる。もし少しでも動けば、見えない獣に八つ裂きにされてしまいそうな緊張感をただ一人抱えていた。
そうなると妙に清々しい顔をしている圭人に腹が立ってくる。
「やめろ。お前、自分が何を言ったか分かってんのか」
「──分かってるよ。まさか、今日言うことになるとは思わなかったけど。でも結果的に言えて良かった。ずっとモヤモヤしてたんだよ。お前らに隠し事するなんて気が引けるからな」
「隠し事も大隠し事だよ。ただの隠し事なんてもんじゃない。百華、きっと泣いてるぞ」
「それは──悪かったって、思うけど」
「いや別に悪くはないけど……だって──病気は圭人のせいじゃないっていうか……その──結果として、正直に教えてくれたわけだし。責める気はないんだけど──」
「哉太は優しいな」
適切な言葉が見つからずにもごもごと口を動かす哉太の頭をわしゃわしゃ撫で、圭人は満面の笑みを湛える。そんなに嬉しそうな顔をされては怒る気力すら消えていく。哉太は悔しそうに唇を噛んだ。
「実は俺も言うのが怖かったんだ。口にすると真実になりそうで。っていうか真実だし現実なんだけど。でも、皆に言うことで本当に未来が決まっちゃいそうでさ」
「圭人……」
「でも哉太の真剣な顔見てたら言って良かったって思えた。うん。本当に」
「俺たちに言うことで未来が決まってたまるかよ。で、家族はなんて言ってるんだ? よく遠征を許可してもらえたな」
「ダッパーの存在や皆と出掛けることが俺の一番の栄養になるってことをよく理解してるからさ。反対はしないよ。心配はされるけど」
「そっか……」
圭人の落ち着いた口調にだんだんと哉太の険しい表情も柔らかさを取り戻していく。
「ショックだった?」
哉太の様子が緩やかに平常に近づいていくのを察した圭人は少し気まずそうに首を傾げて訊ねる。友人の素直な感想が知りたいようだ。
「そりゃショックに決まってる。百華じゃないけど、俺も圭人たちと聖地巡礼の旅に行けたらなーってちょっと楽しみにしてたりもしたんだからな」
「はは、それは楽しそう」
「俺なんてほんと、くだらないただのオタクだけどさ。それでもまだやりたいことが浮かんでくるんだ。あー、あれもやってみたいなー、って。圭人みたいに優秀だったら、余計にそうだろ。そんで実現も夢じゃない。なのに、俺じゃなくて圭人にそんな呪縛があるなんて間違ってるって。困る。非常に参る」
「大袈裟な。それは自分を卑下しすぎだし俺を過大評価しすぎ」
「いやでも真面目に」
苦笑する圭人に向かって哉太は静かに首を振る。
「困るんだよ。お前がいないのは」
哉太の真摯な眼差しに気づいた圭人はふざけるのをやめて瞬きをする。ここまで深刻な友の声を聞いたことはなかった。
哉太は椅子に座り直し、姿勢を正してから圭人を軽く睨みつける。
「好きなんだよ」
「は? なにを?」
「俺、圭人のこと好きなんだって」
「へ?」
思いがけない言葉に圭人は無意識に首を捻っていた。
「好き、って、どういうこと?」
「どういうこともなにもないだろ」
「え。でも哉太、俺も男なんだけど。それは哉太的にいいわけ?」
「知ってるし、それでいいんだけど」
圭人が目をぱちぱちさせて自分のことを改めて指差すと、哉太は冷めた瞳で彼のことを見やる。言葉とは裏腹にその表情は喧嘩を売っているようだった。
「もういいかなと思って。別に両想いとか求めてないし。ただこのまま黙ってたら後悔しそうだったから。俺も言っちゃおうって」
「え? マジで言ってるの」
「マジもマジ。圭人だけ言い逃げなんてズルいだろ。俺にも告白くらいさせろ」
「え。でもそれこのタイミング?」
「なに。もしかして圭人、お前雰囲気とか結構大事にするタイプ?」
「いやわかんない。俺こういうの初めてだし。ただ驚いてる」
圭人は哉太と目を合わせたまま困惑した態度を隠さずに正直に答えた。哉太は圭人の真っ直ぐな瞳がどこかやるせなく目線を逸らす。哉太の視線が離れると圭人は小さく息を吐いてから興奮を抑えるように静かに呟く。
「もう余命も近いし、まさか俺にこういうイベントが起こるなんて思いもしなかった」
「それ本気? お前かっこいいよ?」
「えマジ? 知らなかった」
「え? ヤバ」
二人は互いに顔を見合わせ同時に瞬きを繰り返す──と。
『──お知らせです。天候不良の影響により、この後運航を予定しておりました便も一度運航見合わせとさせていただきます。運航再開については、決まり次第改めてご連絡をいたします。この度は大変ご迷惑をかけ申し訳ございません。繰り返します──』
誠意のこもったアナウンスが構内に響き渡り、同時にどよめきと落胆の声も轟いていく。精一杯に情が込められた人間の声のはずなのに、そのどよめきのせいかアナウンスがやけに無機質なものに聞こえてしまう。
「嘘だろおおおお‼」
もっとも、そう感じたのは二人の近くで膝から崩れ落ちた友人のドラマチックな嘆きとの対比のせいかもしれないが。
「正澄、戻ったのか」
一瞬、時が止まったかのように二人の世界に入っていた哉太は友の悲鳴に意識を現実に戻して正澄が落としたペットボトルを拾う。正澄の背後には百華と成谷の姿もあった。どうやら水を買ったその後で百華と成谷のことも探しに行ってくれていたようだ。
「あんまりだ! これじゃもうライブには間に合わねぇ!」
まるで時代劇に出てくる江戸の男のような口ぶりで正澄は自分に近寄ってきた哉太にすがりつく。
「正澄落ち着いて。ヤバい奴だって思われてるよ」
周りの視線を気にする哉太は正澄をなだめようと、しゃがみこみつつ彼の背中を叩く。
哉太が正澄の世話をする間、こちらに近づいてくる百華の真っ赤な目元を見た圭人は申し訳なさそうに眉尻を下げる。
「──百華ちゃん、大丈夫?」
「ん。なんでもない。ちょっと目が疲れただけ。冷やしたくて顔洗ったの。ごめんね突然いなくなっちゃって。スマホのやりすぎかな」
「……そっか。あんま無理しないで」
「うんっ。へーきへーき」
百華の元気な返事に圭人は気まずそうに小さく頷いてみせた。二人のやり取りを見ていた成谷は、何を言うこともなく微かに苦い唾液を飲み込んだ。
「──あっ‼ そうだ‼」
圭人の告白の余韻も冷めぬ中で飛行機の再遅延も確定し、どことなく気まずい空気が漂う仲間たちの中心で正澄がハッと何かに目覚めたように目を見開く。
「なんだよびっくりした。今度はなんだ正澄」
一番近くで彼の様子を見守っていた哉太は心臓が飛び上がったことをバレないように呆れを装って正澄に訊ねる。
「俺、名案思いついちゃったかもしれない。ちょっと皆──いいかな」
何やら計画を思いついたらしい正澄がひそひそと声を顰めて皆を集める。
その様子を、たった一人輪に入れてもらえなかった圭人は首を傾げて黙って眺めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます