今日もこの場所には主役たちがつどりて
冠つらら
①【働く者:佐那】【仲良し旅行】
【働く者:佐那】
「やだ。また見つかったの?」
思わず声に出していた。
感情のままに呟いた口を手で軽く抑え、辺りを少しだけ気にする。
彼女の煙たい面持ちは大窓の向こうに広がる重々しい暗雲にも負けていない。顔をしかめたまま、彼女は濃紺の帽子を外して手のひらを睨みつける。
嫌悪感をあからさまにした彼女に同情するように、もう一人の女が苦笑した。
「今月でもう三個目ですね」
濃紺の制服に身を包んだ険しい表情の女とは対照的に、苦々しく眉を顰める彼女の制服は明るい色をしている。
「これはどこで?」
「出発口A近くの女性用トイレです。ネジに埋め込まれていたので最初は見間違いかと思ったんですよ。でももう私たちの勘も鍛えらえたもので、そろそろ見分けがつくようになってきました──スパイじゃないですし、余計な才能かもしれませんが」
「いえ、立派なことです。唯一の明るいニュースと言ってもいいかもしれない」
手のひらに乗せた小さなネジのような物体をまじまじと見つめ、濃紺の制服はため息をつく。
「ご報告ありがとうございます。お仕事の途中にすみません」
「いえいえ。今やこれも私たちの仕事の一つ。お役に立てたのならなんてことないですよ。では失礼します」
明るい色の制服を着た方の女は軽く会釈をしてから踵を返し去って行った。
残された濃紺の制服はというと、彼女の背中に一礼した後で手の中の物体にもう一度視線を落とす。
巧妙な設計のもとに作られた小型カメラ。近頃は予想もつかない形のものまで一般に売られるようになり、もはや意識していなければ気づけない厄介な兵器と化している。
「変態め。レンズの向こうに隠れてるんじゃないよ」
彼女はカメラのレンズに向かってべっと舌を出す。既に壊されてはいるが、無機質なその瞳が憎くて堪らなかったのだ。
「──不審物を発見。清掃の方が届けてくれました。念のため、トイレの見回りに入ります」
事務的な口調でインカムに囁きかけ、やれやれと首を回しながら天井を仰ぐ。不審物の詳細を話さずとも、耳元にはすぐに了解の声が聞こえてくる。それもそのはず。ここ一か月の間で似たような不審カメラがあちこちで見つかっているのだ。未だ犯人は分からず、被害規模の全容も掴めていない。
ある程度の犯人の目星でもつけば楽なものだが、職場柄どうにも候補者が多すぎる。
凝り固まった肩をほぐして帽子を被り直した彼女は轟々とした風の音に導かれて大窓に目を向けた。
外の世界を捉えた視界一面を真っ白な雪が覆う。降雪の勢いにつられて彼女の身体までもが斜めに傾いていく。
「こりゃ、しばらく止みそうにないね……」
近くの椅子に座っていた老夫婦が顔を見合わせながら眉を顰めている。濃紺の帽子のツバがそちらを向いたと同時に、室内アナウンスを告げる音が頭上に鳴った──が、ちょうど足元を幼児がはしゃぎながら駆け抜け、その無邪気な大笑いに案内の声は欠けてしまった。
「すみません。お邪魔しました! こらっ、走っちゃ駄目だろ」
「いえ、大丈夫です」
幼児を追いかけてきた父親の必死な形相に呆気にとられているうちにアナウンスは終盤へと向かう。
『──各便に関する情報は、各社カウンターまでお問い合わせください。繰り返します。大雪の影響により、本日、これより予定しておりました全便が運行見合わせとなります。欠航、遅延に関する情報は、ご案内板をご確認ください』
アナウンスの声が切れると同時にあちこちから困惑の声が沸き上がってくる。
先ほどの老夫婦も「やっぱりね」と肩をすくめ合っていた。濃紺の制服は、ざわめきの広がる空間を見渡し腕時計を確認する。ちょうど午後三時を過ぎたところだ。
混乱は無理もない。昨日までの予報では、ここまで天候が崩れるなど誰も口にしていなかったのだから。
老夫婦から視線を離し、濃紺の制服はとぼとぼと歩き始める。頭に浮かぶのは残業の二文字だ。
予測不能なことが起こるのは日常茶飯事。逐一気を荒立てていては心が持たない。大らかに、泰然と、待ち受ける事態に対処しなくては。
気を落ち着かせるために彼女は深呼吸をする。効果はてきめんで、女性用トイレに向かう彼女の精神がいい具合に整い始めた──その時だった。
「ふざけないでよ‼ 六時までには帰らないといけないのに‼」
落雷の如く鋭い怒号が一帯の空気を切り裂いていく。
何事かと目を向ければ、数々の遅延と欠航を知らせる表示板の前で若い女が友人らしき相手に詰め寄っている姿が確認できた。
「──はぁ、さっそくか……」
自分に向けられる周りからの無言の訴えを察した濃紺の制服は、トイレ方面に向けていた靴先を左に回転させる。
ひとまずのところ盗撮犯探しはお預けとなった。
しかしそれも仕方がない。一つのことに集中しすぎるのも得策ではないことを彼女は嫌というほどに分かっている。
彼女の職場は北の一大ターミナルである新千歳空港。
予想もつかない人間がいること、それが彼らの日常なのだ。
*
【仲良し旅行】
「ねぇ、ちょっと落ち着いてよ」
保安検査場を抜けた先、案内表示板の前でダークブラウンのコートを着たベリーショートヘアの女が愛想笑いを浮かべる。綺麗に染められた金髪が彼女の涼やかな顔立ちを際立たせていた。
「落ち着けるわけないでしょう⁉ 六時までに帰るって
が、彼女の健闘も虚しく、友人であるピンクのコートを着たボブヘアは首を横に振った。興奮する友人の瞳は一回り大きくなり、ただでさえ大きな瞳がこぼれ落ちてしまいそうだった。
「これくらいの雪ならまだ飛べるでしょ⁉ ねぇ、一体どういうことなの? やる気あるの?」
「ちょっと
「ちょっ……放してよ真白! マフラーが伸びちゃう!」
近くを通りかかったグランドスタッフに詰め寄ろうとした璃沙のマフラーを鷲掴みした
「でもしょうがないでしょ、この雪だもん。風も強いし。天気予報によれば二、三時間で回復するみたいだから今日の別の便に乗れないか確認しようよ」
グランドスタッフが通り過ぎていくのを見送り、ぎりぎりと歯ぎしりした璃沙が今度はやけに冷静な真白に詰め寄っていく。
「他の便じゃだめだもん! 陽彩くん、わたしが帰ってくるのを待ってご馳走を用意してくれてるんだよ? 約束の時間に帰れなきゃ陽彩くん可哀想。きっとがんばって用意してくれたのに」
「そうは言っても無理なものは無理でしょ。もう一回、陽彩くんに無理だって伝えなよ。正式に欠航になったって」
「だめ‼」
真白の提案を璃沙は食い気味で拒絶した。
「さっき電話した時、どんな手を使ってでも帰って来てって言われたの。璃沙の大好きなケーキを買って、沢山ご馳走も頼んだんだって言ってた。独りで待たせてるなんて寂しいよ」
早口でまくし立てる璃沙は真白にぐっと顔を近づける。彼女の愛らしい顔は不安に歪み、今にも泣きだしそうだった。
「今日は陽彩くんとの記念日なの。ちょうど二年前のこの日、六時に、東京駅の前で告白してくれたの。この記念日はいつも一緒にいようねって決めたの。なのにわたしがその場にいないなんてあり得ない!」
「大事な日だってのは分かってるけど……」
「陽彩くんは、必ず六時までに帰るからっていう約束で旅行に行く許可をくれたんだよ? それを裏切るなんてできない! だいたい真白が旅行なんかに誘うからこんなことになったんじゃん!」
「はぁ? 今度は私のせいなの?」
「そうだよ‼」
大雪に向けられていたはずの怒りの矛先が突如として自分に向けられ、真白は目を丸くして自分を指差す。彼女の問いを吐き捨てるように肯定した璃沙は憤怒の顔つきで真白を睨む。
「だって──ここしか休みの予定が合わなかったから……璃沙だってそれでもいいって言ってくれたじゃない」
「それが間違いだったって言ってるの! そもそも予定が合わないなら、最初から旅行自体行かなきゃよかった」
「はぁあ⁉ 今朝までは旅行最高、現実に戻りたくないってはしゃいでたくせに!」
「そんなの過去の話! 今はもう最低最悪!」
頬を膨らませ激高する璃沙は素早くスマートフォンを操作し始める。
「なにしてるの」
「船とかないか調べてるの。同じ国なんだから、空を使わなくても帰る手段くらいあるでしょ」
「いやいや。外を見てよ。めちゃくちゃ荒れてるんだから動くのは危険だって。電車だって止まってるだろうし、タクシーだって出払ってるよ。ここ北海道だよ? 土地勘もなしに──」
「うるさい‼」
落ち着いた口調で諭してくる真白をぴしゃりと黙らせ、璃沙はスマートフォンの画面を消す。
「わたしが必死なのが分からないの? 友だちなら協力してよ!」
「協力できるならしたいよ。でも今はできるだけ早い便の席を取ることしかできない。それが最善策だと思うから。だから早くカウンターに行かなくちゃ。皆考えることは同じなんだから席が埋まっちゃうかもしれないでしょ」
真白の説得から目を逸らす璃沙は視界に入ってきた手を繋ぐ若い男女を見て唇を噛みしめる。
「──だいたいさぁ、おかしいでしょ」
「え? なにが」
不快感を隠さない璃沙は身体を小刻みに揺らして怒りを露わにする。真白を睨むその形相はまさに舞台で演じられる悲劇のヒロインそのものだった。
「大事な記念日に被せて旅行だなんて……わたしが陽彩くんに溺愛されてるのが悔しいの?」
「──ハ?」
「そうなんでしょ‼ 真白は高校以来ずっと恋人がいないから!
「違うって! 大好きだったお店が潰れちゃうから思い出の場所がなくなる前に行きたいって最初に言ったのは璃沙だよ? 閉店までに予定が会う日がここしかなかっただけ。帰りの飛行機の時間だって、少し遅いけど大丈夫かって訊いたら璃沙も承諾してくれたでしょ。スケジュール的にそうなるならしょうがないって。だから無理やりになんてしてない。大丈夫、いいよって言ってくれたじゃない。ていうか、雄大はそういうのじゃないし」
最後だけ声を濁らせつつも真白は璃沙の憶測を真っ向から否定する。真白の言葉に思い当たるところがあったのか、璃沙は不意打ちを食らったかのようにぐぬぬと唇を内側に巻き込んだ。しかしやはり自分の決断を認めたくないらしい。再び真白から目を逸らし、ぽつりと訊ねる。
「で? 飛行機を変えるなら何時になりそうなの」
「まだちゃんとは聞いてないけど、たぶん、早くてもしちじ……」
「ふざけないでよ‼ 六時までには帰らないといけないのに‼」
真白の口から飛び出た想定時刻に璃沙が牙を剥く。周りの視線が一斉に二人に集中する。だが璃沙は外野の雑音などに構うことなく、無限に涌き出る文句を声に乗せ続けた。注目を浴びていることに気づいた真白がそんな彼女を止めようとすると、二人の間に濃紺の制服が割り込んでくる。
「二人とも、こんな状況だから喧嘩するのも分かるけどもう少しお静かに」
警備の制服を着た背の高い女に窘められ、真白はすかさず頭を下げる。
「すみません、ご迷惑を……」
「気をつけてね。今は皆気が立ってるから、厄介な人に目をつけられちゃうかもしれないでしょう」
「はい……」
しゅんとした二人を見て、警備員はやれやれといった具合に柔く口角を持ち上げた。
「ほら。早くしないと席が埋まっちゃいますよ」
警備員が指差した先にはカウンターに並ぶ途方もない人の行列が見えた。
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