第12話 結婚したい男No. 1

 イヴォンヌは、結婚を機に何着かまとめて服を購入した。どれも既婚者らしい落ち着いたトーンのドレスを選んだつもりだ。


 ここに来る前はまともな服を持っていなかったので、夫が寛大なのをいいことにあれもこれもと買い込んでいる。だが、浪費が激しいと言われやしないかと心の片隅では心配していた。


 結婚前はクロエからの嫌がらせで困窮した生活を送っていたことをギルバートは知らない。舞踏会用のドレスだけでなく、日用品に至るまで入手するのに苦労していた。惨めなところを見せるのはイヴォンヌの矜持が許さない。特にギルバートには知られたくなかった。


「ルーシー、今日はどの服を着ていけばいいかしら? 堅苦しくない集まりだから、少し華やかでも問題ないと思うんだけど。同行するスタンレー夫人の足を引っ張らないようにしなきゃ」


 イヴォンヌは、ベッドの上に乱雑に置いたドレスを一つ一つ体にあてがいながら、鏡に映った自分自身を見ていた。このような着せ替え遊びができるなんて夢のようだ。つい最近まで義妹のドレスを拝借していたなんて考えられない。


「どれでも特に問題ないと思われます」


 イヴォンヌは、ルーシーの声にいつもの張りがないことに気づいた。ふと顔を上げて彼女を見ると、どこか浮かない表情をしている。そういえば、舞踏会の後からルーシーは徐々に元気がない日が多くなった。


「じゃこないだ買ったばかりのこれにするわ。着替えを手伝ってちょうだい……そうじゃなくて!」


 ルーシーにしては珍しく、指示を聞き間違えつまらないミスをした。やっぱり何か変だ。


 しかし、今はルーシーと向き合う時間がない。準備をしているうちに出発の時間があっという間にやってきた。


 今日は、スタンレー夫人に同行して、さる大貴族のティーパーティーに参加する。本当は夫妻揃って誘われていたのだが、ギルバートが部屋にこもっているので、イヴォンヌだけが行くことになった。


 ギルバートの不調の原因は分からない。先日温室に昼食を届けに行った時も、少し苛立っているようだった。後で謝ってくれたが、あれから温室へは行っていない様子だ。


 一体どうしたのかと心配になるが、おいそれと声をかけられる雰囲気ではない。ファーガソンに尋ねても「お疲れが残っているようなのでそっとしてあげてください」と言われたきりだった。


 心当たりがない以上悩んでも仕方ない。外出着に着替えたイヴォンヌは、馬車に乗って目的地へと向かった。


 スタンレー夫人とは結婚披露パーティー以来だ。改めて協力してくれたお礼を述べる。彼女は気さくに笑いながら、気にしなくていいのよと言い、イヴォンヌのドレスを褒めちぎった。


「そのレモンイエローのドレス素敵ね。ギャザーがたっぷりあって、フェミニンとシンプルのいいとこ取りのデザインだわ。ギルも来ればよかったのに、久しぶりに多くの人と会って疲れたのかしら?」


「そうですね……。さすがにちょっと疲れたようです」


 スタンレー夫人がイヴォンヌの新調したドレスを褒めてくれるが、当の本人は、ギルバートのことが頭から離れなかった。せっかく、大きな山を越えてほっとしたと思いきや、別の問題が湧いて出る。しかも、理由が分からないのにどうやら嫌われたらしい。一体何をしくじったのだろう?


「どうしたの、ぼんやりして? 何か考えごと?」


「え? いいえ、ごめんなさい。何でもありません」


 イヴォンヌは、慌てて笑顔を作ってスタンレー夫人に向き直った。物思いにふけっている場合ではない。ギルバートが一緒じゃなくても、人前では気を抜くことはできないと自分を叱咤する。


 すると、彼女を試すかのように、会いたくもない人物の声が聞こえてきた。


「あら、イヴォンヌじゃないの。先日はどうも。すっかり垢抜けたわね。今日はご主人は来てないの?」


 結婚披露パーティーで会ったばかりなのに、やはり嫌なものは嫌だと思いながら振り返る。そこには、けばけばしいドレスに身を包んだクロエとオーガスタが立っていた。


「こちらこそ、先日はお世話様でした。夫は家で休んでます」


「あなたのせいで頑張りすぎたんじゃないの? 程々にしてあげなさいよ? 相手もお年なんだから」


 そう言いながら母娘で声を上げて笑う。隣にいたスタンレー夫人が眉をひそめるのを見て、イヴォンヌは自分のことのように恥ずかしくなった。


 こんなのと親族だと思いたくないが、周りからは同類だと見られるだろう。そのくせなまじ社交的だから、クロエが流した噂はあっという間に社交界に広がる。性悪娘という噂にどれだけイヴォンヌが悩まされたことか。


 しかし、スタンレー夫人は、クロエに好印象を持っている様子は見受けられない。さっきから居心地悪そうにしている彼女を見て、もしかしたらこの人は私の味方のままでいてくれるかもと希望を持ったのだが。


「これであなたもドレスを盗んでまで舞踏会に行く必要がなくなったんだからいいこと尽くしよね。せいぜいサッカレーさんにかわいがってもらいなさい」


 しかし、あっという間に希望が打ち砕かれた。ここで一番バラされたくなかったことだ。しかも、残念なことに嘘とは言い切れない。


 イヴォンヌは、クロエとスタンレー夫人を交互に見ながらどう反応したらいいか考えあぐねていたが、黙っていても仕方ないので口を開いた。


「それなら、私もお義母様に散々嫌がらせを受けた話をしますわよ? ドレスを一着も買ってもらえなかったことも、日用品すら支給されなかったことも、気に入らないことがあると部屋から出してもらえなかったことも全部バラします。そしたらみんなどちらの味方をするかしら?」


「なっ……あなた何を言ってるの?」


「まるで絵に描いたようなシンデレラよね? うちの父に拾ってもらったくせにその遺児を蔑ろにするんですから。私はもう、後ろ盾のないイヴォンヌ・カスバートじゃない。家から独立してギルバート・サッカレー元中佐の妻になったんです。あなただけが好き勝手言える状況は終わったのよ」


 こうなったら仕方ない。イヴォンヌは、洗いざらい公開する戦法に打って出た。ギルバートの威を借りるのは不本意だが、ここでクロエを屈服させないとこれからも好き勝手されてしまう。


 隣では、スタンレー夫人がどうすればいいか分からずオロオロしている。イヴォンヌは心の中で謝った。こんな私を見たら、彼女は幻滅するだろう。でも、ここで負けるわけにはいかないのだ。


 クロエは、憤怒の形相でガタガタ震えている。オーガスタはなす術もなく途方に暮れたまま。周囲の人たちも、次第に異変に気づき始めた。


 言いたいことを言ってやったが、誰がこの状況を収拾するのだろう。そんなことが頭をよぎった時――。


「シンデレラがこの会場にいると聞いたのですが、一体どなたかな?」


 突然、感じのいい若い青年が二人の間に割って入った。イヴォンヌもクロエもハッとして青年を見る。


 整った顔立ちに薄く抜けた緑の目がこちらを見ている。輝くような金髪の髪を緩くなびかせた姿はまるで王子のよう。


 こんなハンサムな人がどうして現れたのだろうと、イヴォンヌの頭の中はクエスチョンでいっぱいになった。


「あ……こっちかも……です」


 イヴォンヌが間抜けた声で答える。どう答えれば分からないが、これでいいのか……? と思いながら。

 

「ああ! あなたでしたか! なるほどお美しい! 確かにシンデレラのようですね。ガラスの靴を一緒に探しましょうか?」


 青年がイヴォンヌの手を取ろうとすると、クロエが遮った。


「お言葉ですが、そちらの方は既婚者でしてよ?」


「ああ、そうでしたか。すでに王子と出会っていたとは。これは至極残念。しかし、あちらにおいしいカスタードパイがあるので一緒に食べませんか? よければそちらのご婦人もご一緒に? おや、結構ですか。それは残念」


 緊迫していた空気はすっかり弛緩した。クロエは、バカバカしい! と言わんばかりに鼻でふんと笑うとその場から離れていった。オーガスタもその後を追い、どうやら嵐は過ぎ去ったようだ。


「あの……助けてくださってありがとうございます」


 まだ狐につままれたままだったが、イヴォンヌはお礼を言わなければと慌ててお辞儀をした。青年が緑の瞳でにっこり笑う。


「いえいえ、どうやらお困りのようでしたので、無粋にも邪魔をしてしまいました。ご不快に思われたらごめんなさい」


「不快だなんてとんでもない! このままヒートアップしてどうなるか分かりませんでしたわ! 本当に感謝しております。あの……お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」


 イヴォンヌは、自己紹介をしてから青年の名前を尋ねた。


「メレディス家次男、スチュワートと言います」


 それから二言三言会話し、スチュワートは去って行った。彼が見えなくなったところで、影が薄くなっていたスタンレー夫人が、イヴォンヌの袖を引っ張った。


「スチュワートさんと言えば、『結婚したい独身貴族ナンバーワン』と呼び声高い憧れの方よ! すごい人に目をつけられわね!」

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