第6話 思いがけない提案
ギルバートに嫁いだ翌日、午後の穏やかなひと時、イヴォンヌは執事のファーガソンから屋敷を案内され、一通りの説明を受けていた。
「本当に静かね。主人がずっと温室にいるからここには使用人しかいないのね。少ない数でこれだけの広さを維持するのは大変でしょう」
「ええ。しかし、特段何もするわけでもないので維持管理だけなら、まあ」
大変なのは、人の都合とは無関係に増殖する植物の剪定くらいか。クララ没後、ギルバートは一切の社交行事にも姿を見せず暮らしぶりは質素のようだ。
「先ほどは、お食事を運んでいただきありがとうございます。ご主人様はお変わりなかったですか?」
「ええ。クララ様の絵を描かれていたわ。いつもそうなんでしょう?」
「左様でございます。天気のいい日は、日がな一日温室のアトリエにいらっしゃいます」
「軍人だったと聞いたけど、絵がお上手なのね」
「家業を継ぐ形で入隊しましたが、元々は画家志望だったようです。もし、軍人にならなければ画家になっていただろうとおっしゃっていました」
大きな窓から陽がさんさんと入り込む廊下を歩きながら二人は静かに話をした。この廊下の一角にもクララがいる。
「ここまでバタバタしていたから、ギルバート様のこと何も知らないのよ。あなたはずっと一緒だったんでしょう?」
「ええ、上司と部下の関係でした。73年にゴズリールの役があったでしょう。その時に敵の罠に嵌って死を覚悟したことがあったんですが、ご主人様は見捨てずに助けてくださったのです。その時から一生お仕えすると誓いました」
「そうなの……。素晴らしい方なのね」
「ええ。いい主人にお仕えできて私は果報者です」
その言葉には一切の虚飾は見られず、誇りのようなものが混じっていた。嘘偽りない真実の気持ちなのだろう。イヴォンヌは、どこか誇らしげにまっすぐ前を向くファーガソンをそっと垣間見た。
「そのような素晴らしい方だから私のことも救ってくださったのかしら。確か、父の部下だったのよね?」
「カスバート大佐ですか? 私自身は、直接大佐の下で働く機会はなかったのですが、彼の勇名はどこまでも轟いてました。お若くして亡くなられたのが残念でなりません」
「私も7歳までしか一緒にいないから、正直よく覚えてないのよ。出張から帰った時、大きな手で頭を撫でてもらったことくらいしか」
「それなら、ご主人様にお尋ねになるのがよろしいかと。きっと色々教えてくれるでしょう」
「そうね……。でもずっと温室にいらっしゃるからなかなかお会いできなくて。そのためにわざわざ訪ねるのも変だし。何らかの形で恩返ししたいのだけど、どうすればいいかしら」
「では、昼食を届けるお仕事をお願いしてもよろしいですか? 本来は私の仕事なので、奥様にお頼みするのは心苦しいのですが」
イヴォンヌは、目を丸くして執事を見つめた。わざわざ二人の接点を作ろうとしてくれるのは、彼自身そう望んでいるからかもしれない。そう推測したが、真意を尋ねるのはやめておいた。
「分かったわ。では明日からそうすることにします。ありがとね、今日は付き合ってくれて」
礼儀正しい執事は、ここでも折目正しく礼をした。
**********
結婚式が終われば平穏な毎日が訪れると思っていたのは、どうやら見込みが甘かったようだ。間もなく、サッカレー邸には社交イベントの招待状が山のように送られるようになった。
「結婚するとこんなに招待状が来るものなんですか?」
「新しい夫婦を目に入れたいと思う人が多いんだよ。やれやれ、本当の事情は言えないしどうしたもんかな?」
ギルバートは、招待状の山を前にため息をついた。ずっと波風立たなかった平穏な生活に終止符が打たれるのは、彼にとって一大事のようだ。
「ごめんなさい。私のせいですよね。あなたに迷惑をかけてしまって」
「それは違う。物見高い野次馬のせいだろう。歳の差が30もある新婚夫婦がどんなものか見たくてたまらないんだよ。やれやれ、これではいい見せ物だ」
「結婚をお祝いしたいというのは自然な流れですしね。裏にどんな思惑があれ、拒めるものではないでしょう」
ファーガソンが二人の元へお茶を提供しながら話に割って入る。この二人は主従の関係とは言え、やはり気のおけない仲なんだろうとイヴォンヌにも分かってきた。
「こちらは静かに暮らしたいだけなんだ。社交行事はごくたまに出ることはあるが、こんなに立て込んだのは久しぶりだ。人との話し方なんて忘れてしまったよ」
「やっぱり申し訳ないです……。世間はあなたを『若い娘と再婚した人』という目で見るでしょう? そのような人がどんな風に言われるか分かっているつもりです」
「そのことはすでに織り込み済みなんだがな……。あなたが気にすることではないよ。私は世間の目は気にしてないから、お気遣いありがとう」
優しいことを言われ顔が熱くなる。見くびられないように気を張るのが癖になっていたから、逆に褒められるとたじたじとなってしまう。
「でも、こちらとしてはどうしても負い目があるんです。私ばかりが得をして、あなたは若い女を買ったと陰で噂されて。これじゃ不公平だわ」
「私は隠居した身だから、世間の動向にはまるで興味ないんだよ。それより、あなただって損をしている面はあるんだよ、それに気づかない?」
「と、申しますと?」
「若い身空で、これからたくさんの思い出を作りたかっただろう。同年代の男性と恋の鞘当てをしたり、友人と遊びに行ったり。それが人妻という立場になってしまった。もちろん、結婚しても社交の場はあるが。あなたは本当にこれでよかったのか?」
真面目な様子でギルバートに尋ねられ、イヴォンヌはきょとんとした顔になった。義母のクロエから社交費を制限されて身動きできなかった状態なので、そんなこと考えたこともない。
むしろ、早く結婚して家を出たいと、みっともないまでに婚活する有様だ。生きるために必死だった彼女にとって、この結婚は願ってもない蜘蛛の糸だった。感謝こそすれ、損をしたなんて考えたことはない。
「別に遊びたいとも思わなかったので、ピンと来ませんでした。なるほど、そういう考えもありますね。でも、ギルバート様には感謝しかありません」
ギルバートは目を丸くしてイヴォンヌを見つめ、ちょっと考え事をした。
(そう言うものなのか。跳ねっ返りと聞いていたが、目の前の彼女は落ち着いた女性だな。世間の噂なんて当てにならない)
「ところで本題に戻りますが、挨拶回りはどうしましょう?」
「あ、ああ。全部じゃないにしても一通りはこなさないとだろうな。私だけなら何と言われても構わないが、あなたまで人嫌いの謗りを受けるわけにはいかないし。とは言え、ずっと続くわけじゃないから何とかなるさ。ほどほどに受けておこう」
「私に考えがあるのですが、少しよろしいでしょうか?」
イヴォンヌは、言おうかどうか迷ったが、口にしてみることにした。彼女自身、自分への負担が大きくなるので、一か八かの賭けなのだが。
「私たちがあちこち行くよりも、こちらで大きなパーティーを開けば一回で済みませんか?」
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