第44話 間章 下 そして船は行く

 聖王国の大司祭ルカの邸宅。


「じゃあ、お前は、その親子を、シシルナ島に亡命の依頼をしろと言うのか?」


 ルカは、グラシアスの言葉に不快感を露わにしていた。


「はい」


グラシアスはきっぱりと答える。


「お前ごときの小さな商会と話をしてやるだけでも、感謝しろ」


 ルカは鼻で笑うように言った。


「もちろんです。ルカ大司祭に、お願いするだけではありません。実は、耳寄りなお話があるのですが……」


「ふん、どうせろくな話ではないだろう。今、わしは忙しいのだ。下がれ!」


 ルカは苛立ちを隠さず、手で追い払う仕草をした。


「わかっております。枢機卿の選挙も近いですし」


「ふん、お前に何がわかる?」


 ルカは冷たく言い放った。


「わかりませんが、聖女様の居場所なら知っております」


「はぁ! 嘘も大概にしろ! 百年だ、百年もおられないのだ」


 ルカの顔に驚愕が浮かんだ。


「わかりました。それでは、別の方にお話しに行きます」


 グラシアスは静かに席を立ち、出口に向かった。


「ま、待て。 本当なんだな?」


 ルカは慌てて手を伸ばし、声を張り上げる。


「お話しを聞いて、いただけますか?」


「わしを頼ってきた商人を邪険にする訳がない」


 ルカの表情が少し和らいだ。


「それは良かったです。ちなみに、聖女様は、既に、聖王国の聖都に居られます」


 グラシアスの言葉に、ルカは言葉を失った。



 枢機卿選挙の日になった。一人の枢機卿が亡くなり、新たな枢機卿を選ぶ日だ。


 聖王国議会では、立候補者が順に演説を行う。有力者の演説には大きな拍手が送られ、すでに結果は決まったかのような空気が漂っていた。


 その様子を見て、演説を辞退する者も次々と現れる。


「それでは、ルカ大司祭、お話しされますか?」


「はい」


「それでは、手短にお願いしますね」


 司会者の司祭も早く終わらせたいらしく、気のない態度で促した。


 ルカは自信を持って立ち上がり、演壇へ向かう。


「それでは、手短に。我が国に、いや、この大陸に聖女様が現れなくなって、どれほどの年月が経ったでしょうか?」


 何を当たり前のことを言い出すのか、と会場の誰もが退屈げな表情を見せる。


「少しずつ穢れが広がっております。特にここ数年、魔物の森が勢いを増していることが、その証拠です」


「わかっておる。だからこそ対策を練っているのだろう」先ほど演説を終えた大司祭の話を引き合いに出し、皮肉交じりに語る。


「ふふふ……場当たり的ですな」


「馬鹿にするつもりか?」有力な大司祭の支援者たちが声を荒らげる。


「とんでもない。ただ――」


「ルカ大司祭、お時間です」司会の司祭が遮ろうとする。


 しかし、ルカはゆっくりと懐から一枚の書状を取り出し、堂々と掲げた。


「ここに委任状があります。読ませていただきます。我、聖女ネフェルは、ルカを私の後見人に指名します――以上です」


 その瞬間、議場がざわめきに包まれた。


「ルカ! 今、何と言った?」最年長の枢機卿が目を見開く。


「本当か? 我々がどれほど真剣に聖女を探していると思っている!」聖王国騎士団の長が激昂する。


「もし嘘なら偽証罪では済まないぞ。極刑になるぞ!」


 その時――


 重々しい音を立てて、閉ざされていた議会の扉が静かに開いた。扉の向こうには、小さな少女が立っている。


「何事だ! 選挙が終わるまでは扉を開けるなと命じておいたはずだ。警備は何をしている!


 だが警備隊は、少女の前に跪き、最敬礼を示している。その隣にいる聖王国随一の鑑定士も、同様の敬意を表していた。


「そうなの? ごめんなさいね、知らなかったわ」


「何者だ!」


「ああ、名乗らないとね。私は――ネフェル」


「お前が偽聖女か! 鑑定士は――」


「あなた、失礼ね。その前に、この空気が汚れているから、綺麗にしましょう」


 少女が両手を挙げ、静かに振り下ろすと、眩いばかりの「祝福」の光が議事堂内に降り注いだ。光は周囲に広がり、穢れを一掃する。


 その光景を目の当たりにした瞬間、そこにいた全員の表情が驚愕に変わる。


「これが……聖書に記されている聖なる光か」


「生きていてよかった……」


「聖女様万歳!」


 ついに悲願であった聖女が降臨したのだ。


 その場にいた聖王国民は、次々に少女へ跪いた。


 こうしてルカは新たな枢機卿に選ばれ、ネフェルたちは彼の準備した邸宅へ住むことになった。多くの崇拝する使用人たちと共に。


「窮屈だけど、しばらくは我慢するわ。アマリもあんまり体が強くないしね」


「いや、こっちこそありがとう」


 ルカ枢機卿との交渉は無事にまとまり、グラシアスは聖王国御用商人の地位を手に入れた。



「グラシアス。ありがとう」


 聖王国の船が行く。


 シシルナ島に。


 セラ親子を乗せて。


「さて、行商して帰るか」


 ここで大丈夫よ、とセラに言われたが、次の季節には、シシルナ島に行くつもりだ。

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