第44話 間章 下 そして船は行く
聖王国の大司祭ルカの邸宅。
「じゃあ、お前は、その親子を、シシルナ島に亡命の依頼をしろと言うのか?」
ルカは、グラシアスの言葉に不快感を露わにしていた。
「はい」
グラシアスはきっぱりと答える。
「お前ごときの小さな商会と話をしてやるだけでも、感謝しろ」
ルカは鼻で笑うように言った。
「もちろんです。ルカ大司祭に、お願いするだけではありません。実は、耳寄りなお話があるのですが……」
「ふん、どうせろくな話ではないだろう。今、わしは忙しいのだ。下がれ!」
ルカは苛立ちを隠さず、手で追い払う仕草をした。
「わかっております。枢機卿の選挙も近いですし」
「ふん、お前に何がわかる?」
ルカは冷たく言い放った。
「わかりませんが、聖女様の居場所なら知っております」
「はぁ! 嘘も大概にしろ! 百年だ、百年もおられないのだ」
ルカの顔に驚愕が浮かんだ。
「わかりました。それでは、別の方にお話しに行きます」
グラシアスは静かに席を立ち、出口に向かった。
「ま、待て。 本当なんだな?」
ルカは慌てて手を伸ばし、声を張り上げる。
「お話しを聞いて、いただけますか?」
「わしを頼ってきた商人を邪険にする訳がない」
ルカの表情が少し和らいだ。
「それは良かったです。ちなみに、聖女様は、既に、聖王国の聖都に居られます」
グラシアスの言葉に、ルカは言葉を失った。
※
枢機卿選挙の日になった。一人の枢機卿が亡くなり、新たな枢機卿を選ぶ日だ。
聖王国議会では、立候補者が順に演説を行う。有力者の演説には大きな拍手が送られ、すでに結果は決まったかのような空気が漂っていた。
その様子を見て、演説を辞退する者も次々と現れる。
「それでは、ルカ大司祭、お話しされますか?」
「はい」
「それでは、手短にお願いしますね」
司会者の司祭も早く終わらせたいらしく、気のない態度で促した。
ルカは自信を持って立ち上がり、演壇へ向かう。
「それでは、手短に。我が国に、いや、この大陸に聖女様が現れなくなって、どれほどの年月が経ったでしょうか?」
何を当たり前のことを言い出すのか、と会場の誰もが退屈げな表情を見せる。
「少しずつ穢れが広がっております。特にここ数年、魔物の森が勢いを増していることが、その証拠です」
「わかっておる。だからこそ対策を練っているのだろう」先ほど演説を終えた大司祭の話を引き合いに出し、皮肉交じりに語る。
「ふふふ……場当たり的ですな」
「馬鹿にするつもりか?」有力な大司祭の支援者たちが声を荒らげる。
「とんでもない。ただ――」
「ルカ大司祭、お時間です」司会の司祭が遮ろうとする。
しかし、ルカはゆっくりと懐から一枚の書状を取り出し、堂々と掲げた。
「ここに委任状があります。読ませていただきます。我、聖女ネフェルは、ルカを私の後見人に指名します――以上です」
その瞬間、議場がざわめきに包まれた。
「ルカ! 今、何と言った?」最年長の枢機卿が目を見開く。
「本当か? 我々がどれほど真剣に聖女を探していると思っている!」聖王国騎士団の長が激昂する。
「もし嘘なら偽証罪では済まないぞ。極刑になるぞ!」
その時――
重々しい音を立てて、閉ざされていた議会の扉が静かに開いた。扉の向こうには、小さな少女が立っている。
「何事だ! 選挙が終わるまでは扉を開けるなと命じておいたはずだ。警備は何をしている!
だが警備隊は、少女の前に跪き、最敬礼を示している。その隣にいる聖王国随一の鑑定士も、同様の敬意を表していた。
「そうなの? ごめんなさいね、知らなかったわ」
「何者だ!」
「ああ、名乗らないとね。私は――ネフェル」
「お前が偽聖女か! 鑑定士は――」
「あなた、失礼ね。その前に、この空気が汚れているから、綺麗にしましょう」
少女が両手を挙げ、静かに振り下ろすと、眩いばかりの「祝福」の光が議事堂内に降り注いだ。光は周囲に広がり、穢れを一掃する。
その光景を目の当たりにした瞬間、そこにいた全員の表情が驚愕に変わる。
「これが……聖書に記されている聖なる光か」
「生きていてよかった……」
「聖女様万歳!」
ついに悲願であった聖女が降臨したのだ。
その場にいた聖王国民は、次々に少女へ跪いた。
こうしてルカは新たな枢機卿に選ばれ、ネフェルたちは彼の準備した邸宅へ住むことになった。多くの崇拝する使用人たちと共に。
「窮屈だけど、しばらくは我慢するわ。アマリもあんまり体が強くないしね」
「いや、こっちこそありがとう」
ルカ枢機卿との交渉は無事にまとまり、グラシアスは聖王国御用商人の地位を手に入れた。
※
「グラシアス。ありがとう」
聖王国の船が行く。
シシルナ島に。
セラ親子を乗せて。
「さて、行商して帰るか」
ここで大丈夫よ、とセラに言われたが、次の季節には、シシルナ島に行くつもりだ。
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