第43話 間章 中 グラシアス


「グラシアス、助けて」


 聖王国の郊外にある小さな商会。その扉を深夜に叩く音が静寂を破った。


「この声は……」


 飛び起きたグラシアスは、急いで扉を開ける。そこに立っていたのは、かつての憧れの女――セラ。しかし、以前の気品ある姿とはまるで別人のようだった。


 薄明かりの中で見ると、衣服はぼろぼろ、彼女だとわからない容姿。その腕には、赤ん坊――ノルドがしっかりと抱かれていた。


「セラ様! 医師を呼びましょう!」


 驚愕するグラシアスを前に、セラはかすかに首を振る。


「……駄目です。匿ってください、どうか……」


 震える声で懇願する彼女を見て、グラシアスは短く息を吐き、静かに頷いた。


「わかりました。まずは中へ――少し落ち着いて、何か温かいものでも」


「そんな気分じゃないわ……」


 セラの声はか細い。グラシアスは苦笑しながら、軽い調子で応じる。


「はは、セラ様じゃなくて、この子ですよ。ポーションだけじゃ育ちませんからね。最近売り出している乳児用ミルクがあります。それに哺乳瓶も」


 慣れた手つきで哺乳瓶を準備し、ノルドにミルクを飲ませる。ノルドは最初こそ落ち着かなかったが、哺乳瓶の温かさを感じると静かに飲み始めた。


「手慣れたものね……」


「お茶のお誘いはできませんが、ミルクならいつでもどうぞ」


 穏やかな口調に、セラの緊張がわずかに和らぐ。


「教えて頂戴……今後のために」



 グラシアスと話をしていたはずが、気づけば眠ってしまっていたらしい。


 目を覚ますと、静かな室内に穏やかな光が差し込んでいる。


「あ? どれくらい経ちましたか?」


 セラは少し驚いたように尋ねた。


「そうですね……だいたい一週間ですかね」


 グラシアスが穏やかな口調で答える。


「え? ごめんなさい」


 驚きと申し訳なさが入り混じるセラの声。


「気にしないでください。あの子もまだ寝ていますから。夜になると起きる子です」


 指をさすと、ノルドがすやすやと寝ているのが見える。


「セラ様の傷を治す薬を探してみたんですが、どうやら特殊な毒薬のようですね」


「グラシアス、探さないで」


セラはさっと言葉を切り、静かに続ける。


「この毒薬と解毒薬は、たぶん同時に作られているものだと思うの。つまり……解毒薬は敵の手元にあるはずよ」


「でも、このままでは傷が一生残ってしまいますよ」


「それでも構わないわ。変装にもなるし」


セラの言葉は、静かな決意を帯びていた。


「……でも、そんな……セラ様ほど美しい人が、そんな……」


 グラシアスは少し言葉を詰まらせ、心の中で何かを整理するように目を逸らす。


「お願い、グラシアス」


 セラの落ち着いた声に、グラシアスは短く息をつき、深く頷いた。


「……わかりました。それでは、今後の方針を決めましょう。一つ手だけ手があります」



 彼が聖女を見つけたのは偶然だった。いつものように獣王国への行商の帰り道のことだ。


「ねえ、お兄さん、この魔物、買ってくれない?」


 山道脇の小高い丘から、何かが転がり落ちる音がした。振り返ると、野生児のような少女が現れ、にっこりと話しかけてきた。


「何者だ?」


 グラシアスは警戒しながら声をかける。


 彼には特別なジョブがあった。セラが学者であり、裁縫師であり、料理長でもある多才な人物であるように、グラシアスも商人であり、鑑定士でもあった。


「聖女……様、ですね」


 彼はすぐにその少女の正体を見抜いた。

「あら、ばれちゃった。猟師としか言われないのに」


 少女は少し驚いたように目を見開き、肩をすくめる。


「すまん。俺の鑑定能力はちょっと変わっててな」


「そんなことより、買うの?」


少女は興味津々といった様子で問いかける。


「もちろんです。買います。お名前をお教えください」


「ネフェルよ」


少女はにっこりと笑って答えた。



 グラシアスはネフェルと取引を重ねるうちに、自然と親しくなっていった。


 ある時、彼女の家で商談をしていると、少し困った様子で相談を持ちかけられた。


「妹ができたの」


「だって、一人じゃなかったっけ?」


 ネフェルは孤児で、魔物の森に一人で暮らしているはずだった。それも恐るべき力を持ちながら。


「ふふん、落ちてたのよ。さっき拾ったんだけど、育て方がわからなくて」


「この子よ」


 奥から大事そうに抱えてきたのは、生まれて数か月ほどの赤子だった。おそらく捨て子だろう。


「じゃあ、孤児院に預けるか?」


「嫌よ。この子は私の妹、アマリよ」


「そうか。でも、一人じゃ育てるのは難しいだろう?嫌じゃなかったら、俺の家に来ないか?」


 ネフェルは少し考えた後、頬を膨らませて言った。


「……確かに、一人じゃ無理かも。町も見てみたいし、行ってみる!」


 こうして、ノルドとアマリは同じミルクで育つことになった。


【後がき】


 お時間を頂き、読んで頂き有難うございます。⭐︎や♡等で応援頂きますと、今後も励みになります。又、ご感想やレビュー等も一行でも頂けますと、飛び上がって喜びます。 引き続きよろしくお願いします!  織部

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