第19話 妖精

 

 シシルナ島の秋は例年よりも短く、冷たい風が吹き始め、冬の到来がすぐそこに迫っていることを告げていた。


「長い冬の準備を始めないといけないな」


 ノルドは手元で薬を調合しながらつぶやいた。グラシアスやニコラから頼まれた薬の調合に追われていたが、いくつかの材料が不足していることに気づいた。


「エルフツリーの樹液が、もうすぐ無くなりそうだ。ヴァル、取りに行こうか」


「くぅん!」小さな狼のヴァルは尻尾を振り、元気よく答えた。


 ノルドもずっと小屋にこもりきりだったので、気分転換も兼ねて外に出ることにした。


 薬草を集めながら、魔物の森の奥地にも足を運ぶつもりだった。


 奥地に入るにはセラの許可が必要で、先日彼女から試験を受け、その結果をもらっていた。


 試験では、ダガーナイフの投擲精度は高く評価されたが、剣の技術はまだ不十分とされた。その時のセラの言葉が、ふと頭をよぎる。


「投げの精度は素晴らしいわ。でも、接近戦では剣がどうしても必要になるのよ。魔物に近づかれると、投げるだけじゃ防げないから。だから、ヴァルが必ず同行すること。そして、危険を感じたら無理せず引き返すこと――それが条件よ」


ノルドはその言葉にしっかりと頷き、セラの厳しくも温かい思いを感じた。こうして条件付きで、ようやく奥地に入る許可を得ることができた。


「よし、ヴァル、行こう!」


「くぅん!」ヴァルも元気よく応え、ノルドと共に一歩を踏み出した。日が沈みかける森に入っていく。


 ノルドはエルフツリーの幹に僅かな傷をつけると、樹液が少しずつ木の表面を伝い、大きなポーション瓶にぽたぽたと滴り落ち始めた。


 樹液はほんの少しずつしか集まらないため、しばらく時間がかかる。


 エルフツリーの周りには苔がふかふかのベッドのように広がり、心地よい休息を勧めているようだった。


 そのままノルドとヴァルは、苔の上でうとうとと、眠りに落ちた。


 異様な気配に目を覚まし、薄く目を開けると、エルフツリーの周りに小さな光の妖精たちが光を放ちながら、くるくると舞っているのが見えた。


 さらに目を凝らすと、他の妖精たちも同じように舞い踊っていた。


「綺麗だな……」ノルドが思わず声を漏らすと、その声に反応して妖精たちは一斉に姿を消した。


「この木は我らのもの、すぐに立ち去れ!」怒りを込めた幼い声が響き、突風と水がノルドとヴァルに吹きつけた。


 ノルドは服がびしょ濡れになり、ヴァルも体を震わせて水滴を飛ばしたが、何事もなかったかのように澄ました顔をしている。


「ごめんね、ちょっとだけ樹液をもらっただけだから」ノルドは満杯になった瓶をリュックにしまい、ダーツを引き抜いて幹についた傷口に薬を塗った。


 すると、幹の傷がすっと消えていった。


「妖精が話せるなんて……」


 ノルドは驚きながらも、逃げるように急いでエルフツリーを後にした。


 夜の魔物の森では、魔物たちが蠢いている。


 ビーストベアやオーガは自らの寝床である深い洞窟に籠り、静かに眠りについているが、オークやゴブリンをはじめとする夜の魔物たちは暗闇の中で活発に動き回っている。


「せっかくだし、森を見て回ろう」ノルドが提案すると、ヴァルが不満げに低く唸った。


「お母さんには遅くなるって言ってあるし、ヴァルにはノシロさんちの美味しいお肉を……」


「ウゥン」


「戦うつもりはないよ。ただ、森の地図を完成させたいんだ」


 ノルドが微笑みながら言うと、ヴァルはやや渋々とした様子で、先導するように歩き始めた。


 狼であるヴァルは、暗闇の中でも鋭い視覚、聴覚、嗅覚を駆使する。


 この森に潜む魔物たちの中でも、彼の感覚は際立って優れていた。


「なるほど、ここが熊たちの縄張りで、あの洞窟が寝床か!」


 ノルドはノートに素早く書き込むと、次の場所へ向かって歩き出す。小狼の顔には真剣な表情が浮かんでいる。


 オーガの縄張りを越えると、ヴァルの表情も少し和らいだ。


 ノルドがオーガの寝床近くで何かしでかしそうな気配を漂わせていたので、ヴァルは彼の服を軽く噛んで引き寄せ、無言でその場を離れるよう促した。


 ノルドは一瞬驚いて顔を上げたが、ヴァルの意図をすぐに理解し、慎重に足を動かした。


 息を呑むように静かに一歩を踏み出し、ヴァルの表情を伺いながら少し苦笑するように口元を引き締めると、小さく呟く。


「今は、やらないよ」


 その言葉には、自らの衝動を抑える強い意志が込められていた。


 彼の心には迷いがないわけではなかったが、ヴァルの賢明な視線が冷静さを呼び戻すのを感じたのだ。


 ヴァルはノルドを一瞥し、納得したように頷くと、再び静かに先導を始めた。


「オークたちは逃げるなぁ」ノルドがつまらなさそうに呟くと、ヴァルもまるで同意するかのように顔をしかめた。


 オークたちも五感が鋭く、簡単には捕まらない。


 決して弱い魔物では無いが、相手を見て判断するらしい。ノルド達は、危険判定されているらしい。


 森の外れに差し掛かると、古びた神殿らしき建物が目の前に現れた。


「古代遺跡か。今は魔物達の住処になっているみたいだな」


 ノルドは興味深げに呟き、立ち止まって目を凝らした。ノルドより一回り小さい、多くの緑の子供が忙しそうに、遺跡を出入りしている。


「あれは、ゴブリンかな。いつの間に……」


 ノルドは、生まれて初めてゴブリンを見たが、匂いから生理的に受け付けないものを感じた。


 今までこの森で、ゴブリンは見かけなかったのだが、いつの間にか、大量に生息していたらしい。


「これは問題だな。帰って母さんに相談しよう」急いで、森を引き上げた。



「ただいま、遅くなりました」


 ノルドが疲れた体を引きずるようにして家に戻ると、扉を開けるのを待っていたリコが勢いよく飛びついてきた。


「お帰り!遅いよ!」リコは遊びに来ていたらしく、キッチンからはリコがセラに習って作った料理の美味しそうな匂いが漂ってくる。


 どうやら外出許可ももらっており、今夜は一泊していくらしい。


「また来たのか?」嬉しさを隠すように、少し意地悪な言い方をする。


「もう、ノルドったら!」リコはむっとした表情を浮かべると、すぐにセラに告げ口をしに行った。


 案の定、ノルドはセラに軽くたしなめられ、苦笑いを浮かべるしかなかった。


 夜食にはリコが作ったシチューが用意されており、冷えた体に温かさが染みわたった。


 ただ、ヴァルは少し不満そうにシチューの皿を見つめていた。ノルドはそんなヴァルに


「明日、ノシロさんが用意してくれた肉をあげる」とささやき、なだめるように頭を撫でた。


 ふとノルドは、今日の森でゴブリンを見かけたことをセラに伝え忘れていたことを思い出したが、疲れた体には眠気が勝り、「また今度話そう」と心に留めてそのまま目を閉じた。


【後がき】


 お時間を頂き、読んで頂き有難うございます。⭐︎や♡等で応援頂きますと、今後も励みになります。又、ご感想やレビュー等も一行でも頂けますと、飛び上がって喜びます。 引き続きよろしくお願いします!  織部











 

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