第12話 黒の男

 大きなくちばしに尖った爪、そして獲物を決して逃さないような鋭い瞳を持ったその獣は彼らを見据え、もう一度咆哮を上げる。


「これは……グリフォン?」

「グリフォンってなんだよ!」

「グリフォンはアシッド村の守護獣だ! まさか本当に存在しているなんて……どうして」

「今はそんなこと考えている場合じゃないわ! 来るわよ!」


 考え込むガクにティリスが叫び、飛びかかったその獣を間一髪のところで彼が避けたとき、結衣菜は誰かに腕を引っ張られた。チッタだ。


「ユイナはここで待ってろ!」


 洞窟内のくぼみのような場所に結衣菜を誘導し、チッタは狼姿になって飛び出していった。見るとティリスは剣を引き抜き、ガクは洞窟内に落ちていた木の板で応戦していた。

 何に怒っているのだろうか、獣の勢いは増すばかりで、その時チッタがグリフォンの足に噛みついた。激しく唸り声を上げたそれが大きく足を振り払いチッタが洞窟の尖った壁に向かって勢いよく叩きつけられ、鍾乳洞の一部が派手な音とともに崩れ落ちる。


「チッタ!」


 ゆっくりと動いているところを見ると彼は無事なようだが、ティリスとガクも苦しそうな表情を浮かべている。結衣菜は逡巡すると、洞窟内を煌々と照らす炎に目を止めた。


「エーフビィ・メラフ!」


 生み出された炎。その熱がグリフォンの足に近づく。けたたましい悲鳴をあげてその獣が一歩後ずさり、勢いに乗じて飛びかかろうとしたチッタを、ティリスが制した。


「まって! 様子がおかしいわ!」


 彼女の言葉通り、グリフォンは何かとても苦しんでいるようなうめき声を上げ、暴れまわる。やがて洞窟の中は静寂を纏い、その静けさを破るかのような信じられない出来事が起こった。グリフォンが口を開いたのだ。


「……すまなかった、人間たちよ。私はグリフォンのストーレン」

「お前、しゃべれるの?」


 ストーレンと名乗った獣はゆっくりと首を縦に振る。今までの激しさとは打って変わって厳かな対応である。


「私は、私ではなくなっていた。だが、すべて覚えている。すべて……」

「一体どういうこと……?」


 ストーレンはその鋭い目を少し細めた。獣は姿勢を低くすると洞窟の真ん中に座り込む。


「少し前、ある人間がここを訪れた。私の名を聞き、私は答える。すると、私の意識は彼女に奪われてしまった。そして君たちが現れ私は本能のままに君たちを傷つけた……」

「誰かがあなたを操っていた?」

「だとしたら村長のお孫さんの件は……」


 ティリスがそう言いかけた時、どこからともなく何者かの声がきこえた。


「さすが騎士団の女は頭が回る……」


 結衣菜たちの後方を見つめてストーレンがその声の主に問うた。


「何者だ。姿を見せろ」


 獣が見据えていたのは空虚な空間。刹那、今まで何もなかった場所に突如男の人が現れた。


「やぁ」


 その声は先ほど聞こえたものと同じだ。どうやら彼が声の主であるようだった。黒い髪に黒いマント、漆黒に包まれたような彼の容姿は、どこか不安な気持ちを掻き立てる。


「あなたはチャチャがどこにいるか知っているのか……?」

「知っているさ。彼女を連れ去ったのは僕だ」


 彼の口の端が引かれた。不敵な笑みを浮かべた男に向かって勢いよく飛び出そうとしたチッタを、再びティリスが制す。


「ジェダンの坊やは血の気が多いみたいだ」


 そうぼそっと言い、彼は何故か結衣菜を一瞥するとガクの方に向き直った。一瞬とても美しい緑色のその瞳と目が合いそのゾッとするような冷たさに結衣菜は背筋が凍りついた。

 彼は何かを言おうと口を開きかけたが、ガクが先に言葉を発す。


「あなたは俺たちのことをなぜか知っているみたいだが、あなたが誰だか俺たちは知らないしそんなことはどうでもいい。チャチャの居場所を教えてくれ」

「どうでもいいとは失礼だな。まあ名乗らなかった僕が悪いとして、話を続けよう。あの少女の居場所ねえ……どうしようか。なんていうとまた狼君辺りの反感を買いそうだから教えてあげよう。彼女はこの奥の花園にいる。無事かどうかは、まぁ君たちの目で確かめることだね」


 チャチャの安否を気にした様子のティリスが目を伏せた。未だ男の表情は変わらない。


「心配か? あんな子娘一人……」


 男がその先を言いかけた時、ガクの握った拳に力が入るのが見えた。気づいた彼は一つも動揺せず、むしろ少し落胆でもするような声色で口を開いた。


「こんなところで怒りを露わにするとは、君の種族も落ちたものだな」

「……俺の種族のことを知っているのか」


 ガクの声は拳の力とは裏腹にとても弱々しいように感じた。ガクがディクライット族ではないことを知らなかった結衣菜は首を傾げた。


「ああ、とてもね。詳しすぎるぐらい。あ、知りたいなら東の砂漠にあるカル・パリデュア遺跡に行くといい、あそこは君の種族と大きな関係がある。ついでに言うと、そこにいる少女、彼女が探しているものもきっと……」

「いい加減なことを言うのはやめてくれ。俺の種族と関係のある場所にこの子が探しているものがあるはずがない」


 結衣菜は不意に話を振られて動揺していたが、まるで決めつけたようにガクがこたえる。男は煽るように言う。


「君こそいい加減だよ。もしそれが真実かどうかを疑うのであればそこに行ってみるんだね」


 ガクはついに黙ってしまった。彼の拳はまだ握りしめられたままだ。


「さて、僕はもう行くよ。君たちとはまたどこかで必ず会うことになるだろう。ではまた」


 誰かが止める間もなく、男はそのまま数歩下がると洞窟の闇にまるで溶けていくかのように消えてしまった。後に残るのは洞窟の尖った壁と壁にかかった炎の光だけ。

 今まで見ていた男の姿が幻影だったかのように思え、不気味な静寂が再び洞窟の中を包み込んだ。

 闇に溶けるように消えていった男、彼の言葉を半信半疑ながらも確かめてみることにした一行はストーレンに別れを告げ、洞窟の奥を進んでいた。


「あの男には気を付けたほうがいい」


 そういったストーレンの言葉が不気味に脳裏をよぎり、結衣菜は考え込みながら皆の後に続いていた。

 本当にその遺跡というところに元の世界に戻る手がかりがあるのなら……。


「もうすぐ出口だぜ!」

「なんでわかるの?」

「匂い!」


 元気の良い彼は半ば走りながら前を進んでいき、危ないんだからと悪態をつきながらも結衣菜たちは引きずられるように洞窟の外に出る。

 強い光が目に入り、思わず目をつむる。再び瞼を開くと、そこには一面の花畑が広がっていた。美しすぎるその光景はどこか幻想的なものを感じさせ、花畑の中には薄紫色の葉を持った木が生えている。その中の一本、とりわけ鮮やかな紫色の葉を持った木の下に人影が見えた。気づいたガクがその少女のもとに駆け寄り、結衣菜たちもそれに続く。ガクはその人影を揺り起こして声をかける。


「チャチャ!」

「ん、ガク兄……」

「チャチャ! 怪我してない? 怖くなかった? 大丈夫?」


 重ねるように問う彼の姿は本当に少女を心配しているようにしか見えない。結衣菜はこの人が少女を利用するなんて、なんでそんなことを思うんだろう、と思いながら先刻の村長の彼に向けた辛い言葉を思い出していた。


「……さて、チャチャさんの無事も確認できましたし、アシッドの村へ戻りましょうか」


 ティリスの一言で、ようやく彼らは帰路に着いたのだった。

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