第7話 小さな炎

 その後、結衣菜たちはしばらくディクライット城下町の宿屋に滞在していた。

 ティリスはこの前の盗賊団の一件の処理に忙しいため、中々チッタ達のお家の手配まで手が回らないらしい。そのため結衣菜達は待機……ということになったのだった。


 事件から三日も経ったが、結衣菜はまだ外を歩いて見る気にはなれなかった。

 あんな怖い思いをして、これからどうやって帰る方法を探せというのだろう。まだ、ふとした瞬間にあの時の恐怖が蘇る。掴まれる腕にかかる圧力と強く当てられた刃先の痛み。この世界の〈魔法〉という不思議な現象によって傷こそ治ったが、未だに痛みを感じるように錯覚することがある。


 ティリスが結衣菜を助けるために思い切った作戦、あの噴水の下に騎士団の魔法隊が間に合っていなかったらどうなっていたのだろうと考えると悪寒がする。もしチッタもいなかったら……。

 かなりの無茶とはいえ、ティリス及び騎士団のピンチを救ったとしてチッタはこのディクライットの王様から感謝状をもらったという。


 結衣菜は宿屋の寝台の脇にある窓枠に肘をついて外の城下町の景色を見つめた。街は何か催しでもあるのか、ごった返す人で賑わっている。

 小鳥のさえずりに呼応するように心地よい風がそよぎ軽く髪を撫でたが、結衣菜の心は沈んでいた。

 正直、いままで起こったことが全て夢だと思いたいところだ。しかし、頬をつねると痛みは感じる。この不思議で危険な世界は夢ではないのだ。簡単に元の安全な世界に戻れるはずもなかった。

 寝ても覚めても周りは結衣菜が住んでいた国の首都の殺伐とした空気はなく、ただ何処か懐かしい匂いがするディクライットの白い街が広がっているだけだった。


 何かをしなきゃいけないのはわかってる。首にかけたペンダントに手をやった。竜の目に嵌め込まれた石は変わらず鈍く緑色に輝いており、父の顔が脳裏によぎって家族のことを思いだす。母は心配していないだろうか、妹の楓は寂しくて泣いたりしていないだろうか。


「……帰りたい」


 ため息と共に吐き出した言葉は風に溶けて消えた。

 ノックも無くいきなりドアが開く。驚いて振り返った結衣菜に、明るい声がかけられた。


「ユイナ、祭り、今日からだぜ! 見に行こうぜ!」

「祭り? でも……」

「いいから、いこうぜ! すんげー楽しそうなんだ、ほら早く!」


 外には出たくない。けれど手を引き嬉しそうに笑う彼に、半ば引きずられるように結衣菜は外へと連れ出されたのだった。


***


 城下町は混雑を極めていた。あちこちに吊るされた花とツルの装飾が香しい匂いを放っている。


「……すごいんだね。なんのお祭りなの?」

「んー、なんだっけ? 冬のお祭り? ティリスが言ってた気がするけど、忘れた!」


 ヘラヘラ笑う彼はどんどん人混みの奥へと入っていく。


「結局なんのお祭りなの……」


 少し悪態をつきながらも結衣菜は彼を見失わないようについていく。不意にチッタが足を止め、反応しきれずにぶつかってしまった。彼は何かを指さしている。


「みて! ユイナ!」

「チッタ、急に止まらないで!」

「ごめんごめん! だってみてよあれ、すごいよ! ほら、あれ!」


 少し開けた広場にいる二人組の大道芸人。暗い赤の髪色に三つ編みが特徴的な男の人が手に持っていたスティックを投げ上げたかと思うと、もう一人の水色の長い髪の男の人がそれに向かって水を打ち上げる。

 水とスティックがぶつかるかというまさにその瞬間、赤髪の男が手を上げなにやら掛け声のようなものを叫び自らに注目を集めた。すると男の手から眩い電撃が迸り水とスティックにめがけて一気にその力を強める。三つがぶつかった瞬間、光る水の中スティックが爆発し広場の空に美しい虹を描いた。

 二人の大道芸人が礼をし観衆が歓声をあげ、お金やその他価値のあるものを逆さにした帽子へと投げ込んで行く。

 まだ興奮が収まっていない結衣菜たちはただその光景を見ていた。


「す、すごい……!」


 チッタは人が少なくなるとここぞとばかりに男たちに駆け寄り、「すごいすごい!」と子供のようにはしゃぐ。赤毛の男はチッタにありがとうな、と頭をくしゃくしゃと撫で、こちらをみた。

 目があったその瞬間、結衣菜はとっさに口を開いていた。


「あ、あの、それ……あたしにもできませんか?」


 こんなこと言うつもりは、なかったのに。


「ん? それって、何?」

「えっと……さっきの、何も無いところから水が出たり、電気がビリビリしたり……」

「電気? なんだそりゃ」


 赤毛の男は不思議な顔をして首を傾げたが、「そうか! ビリビリな!」と思いついたように手をたたき言った。


「嬢ちゃん、それは魔法だぜ? やってみる?」


 頷いた結衣菜の頭を撫で、男は言った。


「よし教えてやるよ! えっと……俺はエルム。あそこにつったってる水色のがヴィル。あいつと一緒に色んなところ回って大道芸やってんだ、へへへ。嬢ちゃんたちは?」

「俺はチッタ!」


 元気に名乗ったチッタに続いて、結衣菜も恐る恐る口を開く。


「え、えっと……あたしは結衣菜……」

「チッタにユイナか! よろしくな! へへ、じゃあさっそく……」

「エルム、何子供に絡んでんだ」


 近づいてきたのは挨拶を終えたもう一人の大道芸人だ。エルムは彼を見ると早く来いと言わんばかりに手を招く。


「お、ヴィル、ちょうどよかった! チッタとユイナって言うんだぜ、この子達魔法を教えて欲しいんだって」

「へぇ~、またそんなめんどくさいこと……まったくお前は……ごほん。まぁ、俺はヴィル、よろしくな、二人とも」

「はは、チッタは元気がいいな、いいことだぞー! こいつみたいに年中葬式みてーな辛気臭い顔してるより全然な!」

「どっかのバカみたいに労力使うよりはいいだろ……。それで、魔法を教えるんじゃなかったか?」


「お、おう、もちろん。忘れてなんかないぜ? じゃあやるか! まず、えっとね、魔法を使うには、呪文を詠唱しなきゃいけないんだ。簡単な魔法ほど短くて、難しい魔法ほど長くなる。そんで……」

「ちょっ、ちょっとまってよ!」


 早速説明を始めようとするエルムに、結衣菜の静止がかかる。


「さっきの演技のときって、呪文なんて唱えてるようにみえなかったけど……」

「ユイナはいいところに気が付くな。それは無言詠唱さ。頭の中で呪文を思い浮かべるだけで魔法の発動が可能になる。それには修練が必要だけどね。えっと……そうなると一から説明しなきゃだめそうだな。ユイナたちは、魔法の種類については知ってるかい?」

「俺ちょっと知ってるよー! あれだろ、癒魔法ゆまほうっていうのがあるんでしょー?」


 元気よく答えたチッタにヴィルは頷いて、指で一を示すと、説明に合わせて数を増やしていく。


「うん。それも魔法の一種だ。簡単に説明すると、魔法にはだれにでも使える渾魔法こんまほう、ある種族にしか使えない殊魔法しゅまほうがある。殊魔法しゅまほうは例えば……そうだな、ジェダンの変身術とか」

「これでしょ!」


 そういって白い煙に包まれ狼姿に変身したチッタはヴィルをみてにっこり笑った。


「うぉー! お前ジェダンの子だったのかー! てことはユイナも?」

「ユイナは違うよー! えっと、うーんとねー」

 狼姿のチッタをみて喜ぶエルムへの返答を詰まらせるチッタに、結衣菜は焦ったように答える。

「ディ、ディクライット族です!」


 それはティリスと同じ種族の名。この世界には人間の中でも様々な特徴で分類した沢山の種族がひしめいていて、チッタのように狼に変身出来る種族や未来をみることが出来る種族などがいる。その中でも結衣菜に一番近いのはこのディクライット王国を中心に栄える種族だろうと聞いていたのだ。


「へぇ~珍しいコンビだなーっ」

「金色の毛並み……まぁいいか。そう、こんな感じで特定の種族だけが使える固有の魔法が殊魔法だ。それぞれ呼び方は様々だけどね。この世界にはたくさんの種族がいるんだから殊魔法はその数だけある、といっても過言ではないかもしれないな。それでやっと肝心の渾魔法についてなんだけど……」


「渾魔法は、さっきもこいつがいってたとおりだれにでも扱える魔法だ。種族によって得意不得意はあるけどね。まぁそれはいいとして渾魔法は大きく三つに分けられるんだ」

「三つ?」


「うん、三つ。一つは実魔法、二つ目はさっきチッタがいっていた癒魔法、そして最後は宿魔法だ。実魔法は人々が一般的に魔法と呼んでいるもの。さっきユイナが教えて欲しいって言っていた、なにも無いところから水や雷を作り出すのがそれ。魔法っていったらだいたいこのことを指すんだよ。それで二つ目、癒魔法はその名の通り人々の傷を癒す魔法だ。とっても役に立つんだけど病気や死に至るような大怪我だと全く意味をなさないから、そこが注意な。最後は、宿魔法、これは割と新しい魔法だから聞きなれないかもしれないけど、武器に実魔法を宿す魔法だ。この国の騎士団で使われてるらしいけど実魔法をある程度使いこなせるところから始まるから、習得はかなり難しいらしいぜ。俺たちは使えない。宿魔法を使う騎士団の奴は魔法剣士って言うんだけど、そいつらはそれもあってエリートなんて言われてるらしい。そういえば最年少で魔法剣士になった子はすごく陛下に可愛がられているって噂だぜ。やっぱ優秀なんだろうなぁ。……っと話が横に逸れちまった。……とりあえず、魔法の説明についてはこんな感じだ。長くなっちゃったな、それじゃあ実際にやってみようか」


 ヴィルは結衣菜たちを間を開けて立つように促す。あたりの人だかりはもうすっかり消えていた。


「よし、じゃあ今から呪文を教えるから、それの通りに詠唱しながら、発動させたいところに手のひらを向けるんだ」


 チッタは「わかった!」と元気に返事をするとエルムに向かって手のひらをかざす。


「ち、チッタ、そっちは危ないからな、地面だぞ、地面」

「あぶなっかしいなあ。じゃあ呪文を教えるよ。覚えやすいのにしよう。えっと、エーフビィ・メラフだ。エーフビィ・メラフ。……覚えたかい? エーフビィ・メラフ。ほら、言って見て」

「エーフビィ・メラフ?」


 結衣菜の復唱はどうやら正しかったらしい。頷いたヴィルの後ろでチッタは呪文が覚えられずエルムと奮闘している。結衣菜は自分のかざした手のひらの先を見て首を傾げた。


「ねぇ、呪文を言ったのに、なんで魔法が出ないの?」

「魔法が発動するにはもうひとつ、やることがあるんだ」

「やること?」

「今呪文を唱えただけで何のための呪文なのか、わかっていないだろう? これはね、炎を生み出す魔法だ。魔法はそれを理解し、且つ頭の中で鮮明に思い浮かべることでやっと発動するんだ」

「へぇ~難しいんだね」

「やってごらん、これでやり方はわかっただろう?」

「うん!」


 返事をした結衣菜は再び、詠唱する

 呪文を唱えながら手のひらの先、地面に向かって神経を集中させる。

 炎の魔法……赤く燃え上がる炎……。

 そのとき、不思議な感覚に襲われた。手のひらの先から何かが飛び出すような、そんな感覚。結衣菜が思わずつむっていた目を開けると、そこには小さな炎が揺らめいていた。


「すごい……」


 そう呟いたのは結衣菜ではなく、ヴィルだった。


「すごいぞユイナ! 初めてで魔法が発動したのをみることが出来るなんて! 俺たちだってその感覚をつかむのに一年はかかったんだぞ! 本当に始めてだよな? すごいぞ!」

「ユイナには魔法の才能があるんだな!」


 熱で雪が溶けて露わになった地面に、未だその小さな炎は静かに揺らめいていた。

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